2012年12月29日土曜日

Weekly blog 2012/12/25~12/28

2012/12/28(金)

今日から休暇。その初日。朝起きたら物音がしない。リビングに行ってみると誰もいなかった。どうやらヨメと子供達は何処かに行った様子。そう言えば昨晩遅くに帰ってきた時、まとめてある荷物を見たことを思い出した。こりゃ泊まりで行ったに違いない。
別に一人置いていかれたことを恨むわけでも悔やむわけでも無いが、例え別居だからと言っても何時まで帰ってこない等と伝えるのが礼儀ってやつでないか?まあ礼儀を期待するのが無理か・・
そんな予定が早くから決まっていれば、こちらだって早くから西に向かって移動をかけていたのに。
午前中は、M銀行に行く、午後は帰ってきて昨晩借りてきていた、最近ハマっている昔の喜劇映画を見ていたら夕方になった。雨の降る中、食材を買いに行き「独りでも鍋」。

2012/12/27(木)

本年、営業最終日。
朝から身辺整理。資料は全て捨てる。年末挨拶が二社。そこで一つやる事ができて、午後に来年早々の段取りしていたら、良い時間になった。早めに時短として事務所をでる。
歩いて東京駅へ。暫く本屋で時間調整し、ちょっと早い18時半すぎから、相棒KZと新橋龍馬。
最終日なので(とは言え相棒KZは、年末は28日まで、正月も出勤)今年飲まなかったと思しき芋焼酎をお湯で頂く、都合4杯呑んだ様に思う。(が、記憶が定かではない)
ちょっと早めに22時頃別れ、乗り過ごし防止のため京浜東北線で帰る。自宅着は24時前。
携帯を見ると、相棒KZとMKちゃんからも年末の挨拶メールが届いていた。
今年も終わった。

2012/12/26(水)

かなり暇。まあ年末だからな。先週までの忙しさとのこの落差はなんだ?
17時すぎに時短で早めに事務所を出て、自宅近くのJRの最寄駅まで移動。
この春に会社を辞め、同業他社の同じ職種に転職した後輩Mと呑む。
懐かしいので、話すことは沢山あるのだが、その中でも、同業他社しかも同じ職種なので、、、、
当然、組織構成、体制、実力、スキルなどなど仕事面でも聞きたいことは山ほどある。
で、、、聞いてみて流石、業界トップ企業だということがワカリマシタ。
そりゃ基盤だもんな、我々の仕事は。
人は溢れているのに、「間接だから」という理由で、基盤に全く人を落としてこない何処かの企業とは違うな。

2012/12/25(火)

連休明け。
だけど、あまり憂鬱でもない。
今週はあと三日(実質二日位)で終わりだもん。
とは言いながら、夕方から同僚MRTの資料作成を手伝い、ちょっと残業。
今日は休肝日。

2012年12月27日木曜日

男はつらいよ

私、生まれは尼
育ちは全国
田中病院で産湯を使い、姓は岡田、名は煩悩
人呼んで駅前の煩悩と発します

どうせ、オイラはヤクザなオヤジ
解ぁって居るんだ子供ぉ達
何時か子供が喜ぶような
そんなオヤジに成りたぁくて
奮闘努力の甲斐もなく、今日も涙のぉ
今日も涙の日が落ちる、日がぁ~落ぉちる~

ドブに落ちても、根のある社員
いつかは組織の華と咲く
意地は張っても心の中ぢゃ
泣いて居るんだ父さんは
仕事で給与が決まるなら
こんな苦労もぉ
こんな苦労も掛けまいに
掛けぇまぁい~に

とにかく
西に行っても、東に行っても
土地 土地の
団長さん、課町長さんに
ご厄介になる中年です
以後、見苦しい騒動
お見知りおかれまして
年末に 一宿一鍋
よろしく おたのぅ申します

2012年12月24日月曜日

Weekly blog 2012/12/17~12/21

2012/12/21(金)忘年

年末進行も水曜日迄。漸く週末、否、年末を迎える事が出来た。まあ今日は世界の終末でもあるらしいのだが「んな訳ないやろぅ」。午前中は先週の監査の反省会。午後から関東の僻地に移動して本年最後の業者定例会。5時過ぎにOさんと卓球脱出して、新橋に移動。12年以上前の上司Aさん、Oさん、Kさん、TMちゃん、Tちゃん、相棒KZと年忘れ。

2012/12/20(木)

落ち着きを取り戻した木曜日。昼過ぎに昨日から泊まりでドサッて来ているMKちゃんから「今日は難しそう」とのメール。状況が変わらないか夕方迄待ってみても結局状況変わらず。折角、年末に三日も呑める可能性があったのに、結局呑みに行けなくて残念。明日も有るので、相棒KZに本日中止の一報を入れ、事務所を出ようとしたら、これまた今日で状況が落ち着いた同僚MRTから軽く行こうと誘われ、軽く立ちで呑む。一時間程で引き上げたのは良いが、帰りの電車が人身時刻で遅れ、結局娘への貢ぎ物は買えず終い。世の中、上手く行かない時は上手く行かないモノです。

2012/12/19(水)

朝早くに来て丹波組の連中の資料内容を読むも、ちっとも内容が解らない。
朝一番で河馬野郎に説明するつもりで居たが、このままでは馬鹿野郎と言われるだけなので、午前中二番迄時間の猶予を何とか貰ったものの、相変わらず丹波組の担当者と話しても要領を得ない。最後には開き直りも出て、正直、もうちょい勉強せえョと思ってしまう。何とか形だけは整え、河馬野郎に資料を見せ説明。解りにくいだの何だの、まあ想定の範囲内の指摘は受けたのだが、約束通りワタシャ引導渡したからね。
夕方に上京途上だった筈のMKちゃんから「トラブル発生、到着23時」の報せが。相棒KZを呼んで新橋龍馬で待つものの、やはり23時迄は待てず、断念。惜しいなぁ

2012/12/18(火)

夜明け方、3時間位は寝た。昼二番で河馬野郎に最終予算説明。河馬は丹波組の投資に難色を示す。ダメと言う訳では無いが、その金額をその方法で払う理由がないとのたまう。他とのバランスを取れとの判りにくい指示だろう。まあいつもの禅問答。丹波組のTに理由資料の再提出を夕刻までにお願いして待つも、そんなに短い時間で他の予算を削ることもできず、待ってくれの一点張り。結局、23時まで待ったが二日も社中泊したくないので先に帰る。あす出てきて資料が出来上がっていることを祈る。

2012/12/17(月)

一日中、最終予算資料の作成。山を越えたのが先週だと思っていたが、実は今週が最大の山だった。夕方、内部確認。税金計算がどうしてもおかしい、経理の出してきた税額が信じられないなんて、こんな会社信じられない!
結局、他の細部調整も含めると今日の内に帰れないと判断。明日、ドサってくるMKちゃんに夜分ダメかもとメール。水曜日は夜から移動してくる事を知り、水曜日に予定をズラす。結局、税計算が嫌になって、夜中の3時に会議室に椅子を並べて眠る。

2012年12月16日日曜日

一軽庵戯言類聚

右へ倣への合唱に、入れる人なき、哀しさを想え

投票紙、押して咲くらむ、わが鼻糞花

2012年12月15日土曜日

Weekly blog 2012/12/10~12/14

2012/12/14(金)

昨日、予算の件が何とか落ち着いたので今日は平和な一日。

一応、来週に修正予算の説明資料を河馬野郎に提出して、最終承認は貰わないといけない。 が、ほぼ数字的には落下点が見え、それに従い「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」黙々と作るしかない旨を関係者に伝える。 まあ、どっちにしても今日はそれ以上手が出せない。

夕方に業務用のPCを入れ替えたりなんかしていたら、19時を回りそうになったので事務所を退散。 今日は相棒KZも居らず、久々に酒に縁のない週末なので、八重洲口まで歩いて帰る。 途中、丸善に回り道。八重洲の街は冬のイルミネーションが灯り、完全にクリスマス前の冬景色となっていた。

二日後に迫った選挙に、最後のお願いで走り回る下らない政治屋志望者のマイクの雑音を耳にしながら、一昨日に比べ幾分暖かい夜道を帰る。

2012/12/13(木)

夕刻から「馬鹿」が口癖の河馬に予算説明。予定時間を大幅に超過。

河馬は、まぁ正論を言っている(役職者なのだから言えて当たり前)のは解るのだが、口は災いの元。 「馬鹿!馬鹿!」ばっかり言っている河馬だから、何を言っても河馬の我侭にしか聞こえない。

新しい発見は、良く似た人がいるなぁと思ったら、ウチ(自宅)に同類の人間が居た事だ。
人が何をやっても、何を言っても「貶して」「小馬鹿にして」「無理難題押し通して」「出来なければ怒って」、行動パターンが非常に似ている。

こうやってこの手の人間は、人望を無くしていくんだろうなぁ。と妙に感心する。 とは言え、夫婦は離別が選べても、上司とは離別が選べないからツライのだが。

予定時間を大幅に超過した御蔭で、最寄駅の近所で一杯呑もうかと、昼に急遽誘った同業他社に後輩Mとの約束をキャンセルせざるを得ない羽目になってしまい。残念!

2012/12/12(水)

朝から都心のど真ん中に直行。監査対応。

対応シナリオが直前まで完全に出来ていなかったので、どんな監査になるか気が気でなかったが、監査人がツッコミを入れるタイプで無かった所為も有り、大きな改善指摘も受けることなく事なきを得る。

午後には関東の僻地まで移動。場所を変えて監査の続き。 旧知のOさんの見事な立ち回りで、監査人に隙を見せず。監査は恙無く終了。

そのOさんから、この僻地に新しく発見した魚の美味い居酒屋に行こうかと誘われるも、明日に控えた河馬への説明資料がまだ出来ていないので、残念ながらお断り。

夕方遅くなってから、担当MRTと資料作りに励んでいたが、ここからだと帰途は片道3時間になることを思い出し、9時すぎ退散。家に帰り着いたのは0時前。

2012/12/11(火)

ひたすら内勤。資料作り。

2012/12/10(月)

朝から関東の僻地まで移動。監査の準備に追われる。
大きな二つの山を乗り越えられれば、漸く年末を迎えることが出来るのだが。
だが、満足に準備が出来ていない案件が多い。
吉と出るか凶と出るか。
泣いても笑っても今週がヤマ。

ところで、関東の僻地を出たのが19時すぎ。帰宅はJust 3 hours! で22時。
一日の4分の1を通勤時間に割かれているのだから、無駄だよな。

2012年12月8日土曜日

Weekly blog 2012/12/3~12/7

2012/12/7(金)

巷は忘年会シーズンだよなぁ。この週末あたりは忘年会真っ盛りなんだろうな。

が、最近は会社で忘年会、部署で忘年会なんてのはなくなってきたな。

給与所得者の給与自体がすっかり目減りして、会社でも濃い人間関係は無くなって、サークル小集団みたいな集まり方しかしなくなってきた。などと考えながら業後も来週に迫った監査の事前確認。

相棒KZも残業との連絡があったが、22時から一時間ちょっとだけ新橋に繰り出す。 いつもの龍馬はお客さんが溢れていたので、河岸を変え、以蔵で三杯飲んで帰る。

2012/12/6(木)切られ屋

午前中、某機器のトラブルで某ベンダーが社長自ら釈明の挨拶。

言わんとしていることは解る。感情任せにベンダーの失敗をあげつらう、労働集約型IT産業の手法で攻めても仕方がない。しかしながら、米国の品を売るのであれば、端っから保守交換を前提とした売り方を提案すべきだろう。故障時は交換が前提なので、故障率すらわかりませんってのは論外。 人に物を売るのだったら、アフターを考えろって。

そうこうする内、次回イベント会議の検討会が始まるのに、誰もなにも準備をしない。 しかも始まってみれば時間が長い。

メシも食えずに、午後からご本社様に移動し、これまた来期以降の予算に関わる業者との打ち合わせがあって、夕方からパワハラ部長様への予算説明。けど、役割分担が完璧にできていなかったからか、予定外に矢面に立たされてしまい、結局「そんな説明じゃワカンネーヨ、馬鹿野郎!」って河馬野郎に怒られて仕舞った。

一時は翌朝まで持ち越すかと、嫌な展開になりかけたのもつかの間、今日の所は「数字だけは覚えておいてやる」との結論になり、定時に終了。西の首領Sさん、子分T、ダブルMMと近所の中華で二時間ばかり、反省会。

2012/12/5(水)

昨年のこの時期は確か解約交渉?で忙しかった。

今年は、予算、監査、計数がほぼ同時期に重なって忙しい。

人生49年、どう転んでも自分は「師」ではないが、そんな人間でも師走の忙しさはやってくる。 この日もそこそこの時間で帰るつもりが、明日の倫巴里パワハラ部長様への予算説明が不安になって、結局深夜の帰宅。

2012/12/4(火)いいことばかりはありゃしない。

週末納期の課題もあり、山積みの山を一つずつ崩す一日。

昨日は話を聞けなかった、パートの予算の検討。

従業員だけは増えて社内人口だけは有数の大企業になった所で、コア事業ではあっても、我々の様なコアな技術でないセクションは、仕舞いには容赦なく切られる予算なのだが、作戦は考えないと通るものも通らない。

結局、昨日と同じパターンに陥り、今日も深夜の帰宅。大金持ちに成りたいなんて思わないが、食うための金が欲しくて、働いて、眠るだけ。

まるで清志郎の唄、そのものだ。。。

2012/12/3(月)My Birthday of 49 old years.

誕生日。人生49回目。

ここまで来るのが長かったようで、短かった様で、何とも言えない感覚。

生まれてほぼ半世紀なんだな、、。

とは言え憂鬱な月曜日。

午後から会議会議の連続。予算の件では延々内部検討が続いたが、全体的に甘い。 予算だけでなく、ここに来て問題は山積み。来週には内部の監査でなしにホンマものの審査が来ると言うのに、何も資料が出来ていない奴もいて呆れる。今まで放置する気もしれないが、人を責めても解決しないので、結局、審査対応資料を共に作成するしかない。終電までは至らないまでも、深夜の帰宅。食って、フロに入って、眠るだけ。とんだ誕生日。

2012年12月2日日曜日

Weekly blog 2012/11/26~11/30

2012/11/30(金)

前日の雨で朝からバスで駅に向かう。

朝一番からイベント会議の反省会。その後のイベントのデータ集計などで、本来の仕事が始まったのが午後。

予算期なので、税額計算が面倒。夕刻から旧ご本社様に移動して老後の年金設計のおはなし。 卓球脱出して、18時半から新橋龍馬で始める予定が、始まったのは15分遅れ。

本日は呑んべ四人の会。年齢も性別も立場もバラバラ。

最初、30代半ばのKSと飲み始め、15分遅れて相棒KZが来て、更に15分ほど遅れてミセスKが来て、その度に乾杯。滅多に全員で集まらないこの面子で飲むと言うことは、今年も忘年会が始まったと言うコトでもある。 生麦酒から始まり、結局一人当たり生麦酒3杯、焼酎3杯~4杯。あては何を食っても美味いのだが、鮪の炙りとおツマミイリコが最高に美味かった。4人共ヘロヘロでバラバラの方面に帰途についたのが23時すぎ。

気づいてみれば藤沢(乗り過ごし!)で、寒い中をトボトボ一時間歩いて家に帰る羽目に・・・・

携帯を見ると、東上線方面に住むミセスKは山手線内を振り子のように乗り過ごしたとメールをくれ、宇都宮線方面に住む相棒KZは山手線を一周してまだ上野にすら着いていないとメールがあり、、。 朝、なけなしの一万円札を入れたばかりの財布には、僅か三千円しか残っていなかった・・明らかに飲みすぎ。

2012/11/29(木)

予算案が決まらない。だが、、、定時で卓球脱出。

横浜鶴見に直行し、大阪から出張してきていたOさんと再会。昨年、この鶴見の某外資系金融ブラック企業の現場で一緒に働いた仲。 最後の最後に口論になりもしたが、今はまたこうやって呑める仲。

立呑み「とっちゃん」でほぼ一年ぶりに乾杯。二人とも気に入っている、辛い!モツ炒めが絶品。

Oさんの今の勤めは特殊な不動産業なのだが、まあそんなに簡単に特殊建物(同業)が売れるものでもなく、大変そうやな。

Oさんは新横浜からほぼ最終のN700RRで帰れたとのこと。

2012/11/28(水)

終日イベント対応。その後イベント反省会で21時過ぎから終電まで飲む。

2012/11/27(火)

新橋で出張してきたMKちゃんと飲む。

こっちはほぼ残業が確定していたが、どうしても会いたかったので、引き止め、20時半開始。それでも何と、MKちゃんは律儀に4時間も「立ちで呑む」為に待っていて暮れたのである。

今月既に計算すると、一斗缶ほどの量のアルコールを飲んでいる事になると言うMKちゃんの話から始まり、最後は学生の頃の話とか、親の話とかになっていたな確か。。。

23時過ぎまで呑む。

2012/11/26(月)

憂鬱な一週間の始まり。早速、残業。月曜日はさすがに休肝日。

2012年11月24日土曜日

Weekly Blog 2012/11/19~11/24

2012/11/24(土)

8時半過ぎに起床。上の子は既にサッカーの試合で居ない。朝食を摂って、下の子の遊び相手をして、自転車のカゴを新しいものに変えて、ガレージを掃除したらもうお昼。昼食を摂って公園に遊びに行き、二時半におやつを食べに帰る。もう直ぐ師走なので、あとで慌てないように自室の掃除をしているうちに五時が来た。アッと言う間に三連休の二日目が終わった。。。

2012/11/23(金)

下の子の幼稚園の父親参観。朝から冷たい雨が降っていたが、昼前には止む。三々五々、父親達が集まって、同じ教室に入るのだが、6歳の年長さんの父親の年齢層は結構広い。上は50歳過ぎと思われる方が一名、おそらくその次が自分(48歳)そして、そこからは40歳以上と思しき人が二三人。その他大勢は30歳代かな。

最初は子供たちの歌を聴き、次のイベントは絞り染めだった。大体、何処の幼稚園でもイベントは似た様なものだろう。

題材は日本手ぬぐい。

娘と一緒に何とか、形を作って輪ゴムや糸で縛る。出来が楽しみ。

退園前に、恒例の紙芝居の読む役目(実はこれを毎年恒例としている)を無事終え、これが最後の紙芝居読みとなった。

2012/11/22(木)

朝から予算再作成で天手古舞い。昼二番で、別件を首領部長様に報告、憂鬱。

報告の後、何だか急に虚しさがこみ上げてきて、もしかして男の更年期障害でないかと頭をよぎる。何をやってもこの所、モチベーションが上がってこない。やらされ感が凄くある。

上から押し付けがましいのが、この労働集約産業の共通の社風なんだろうが、何だか非常に疲れる。

まあ会社なんてどこも、どの産業も一緒なのだろうが。

夕方になんとか予算サマリまで作ったので、卓球脱出とはいかぬものの19時に新橋集合。相棒KZと二週間ぶりに飲む。前に飲んだのはMKちゃんが東京にドサって来たちょうど二週間前の木曜日だった。

それにしても、もう仲間内の忘年会も企画しなきゃね!

2012/11/21(水)

丹波組の重鎮Sさんが姿を見せたので、これまた偶然、事務所に現れたMS課長を誘って飲みに行くつもりだったが、MS課長の当てが外れたので、若手Bを誘って事務所の近場で飲む。

2012/11/20(火)

仕事が詰まっていて、適当な時間まで残るしかないので、残る。

2012/11/19(月)

打ち合わせで日が暮れる一日。

2012年11月19日月曜日

Weekly blog 2012/10/27~2012/11/18

2012/11/19(月)そうだ!選挙行こう!

英蟯虫よりメール。年末年始の確認。もうそんな時期になったかと改めて思う。

そう言えば、昨日は喪中はがきを印刷して皆に送付したのだったっけな。

彼のいるイタリアでは交通ゼネストで、デモ隊が治安部隊と対峙して、催涙弾が飛んでいると言う。

翻って、この国の覇気の無さは何なんだろう?

老成ではイタリアもこの国も変わらないだろうが、、政権にしがみつこうとす日を増して悪徳廻船問屋並みの悪人顔になっていく低支持率の首相。爺様(自慰様)コンプレックスの長州の残党、権力亡者の老害知事、政策二の次と言い切る芸能人弁護士、この機に乗り遅れまいとするアッケラカーのカァーの欲ボケ。静観を決め込む宗教団体。低調著しいコミュ二エスト等など。

今まで、抵抗票としての白票を入れてきたが、そろそろそれも飽きてきた。

次回の選挙は、鼻糞丸めて貼り付けて出すつもり。

2012/11/18(日)

昨日の午後8時前から布団に入り、この日、朝8時半に起床。疲れがたまっているのか?12時間半睡眠。

途中、夢にUFOが出てきてうなされた気がするのだが、目が覚めると全てが忘却の彼方。

子供たちの世話をしながら、喪中はがきを印刷、切手を貼って出す。

朝は寒かったが、日中は日が照ると暑いくらい。

夕方、同居人が仕事から帰ってきて、子供たちがそちらに流れたので、お役目御免。

自宅内完全別居スタイルに戻る。

2012/11/17(土)

朝から雨。寒い雨。

2012/11/16(金)

昼前に相棒KZから新橋のお誘いがあるも、今日中に来期予算を上げねばならず、残業。帰宅は0時すぎ。

2012/11/15(木)

夕方、首領ブチョー様に説明のためご本社様に行くも、一蹴されてしまい事務所に帰社。

その首領ブチョー様と、規格化カチョー様と、お断り出来ない官製飲み会に出席、トホホ。

パワハラムード全開のまま、22時前に漸く開放。同席したHとKが「二軒目で飲み直しましょう」となって、23時すぎまで神田で飲む。家にたどり着いたのは1時前。

2012/11/14(水)

書きかけ。

2012年10月26日金曜日

Weekly blog 2012/10/22~10/29

2012/10/26(金)YHC 二回目

会社を休んで朝から関内のYHCに行く。調停二回目。

先方の要求は二つ。話し合いは半年待つこと(何を今更。怖くなったのか?)、もう一つは今の家を譲ること(ローンは銀行との契約上禅譲なんかでけへんねん!!)

あの一年十ヶ月前の「別れろ!この脳なし!!アホボケ」的な勢いはどうしたんだ?と思うが、、主張の隔たりが大きいので、このまま行けば調停では決着せず、裁判になる可能性もある。

考えてみれば無駄な時間。

2012/10/25(木)

朝から幕張メッセに行き、センター構築運用展を見に行く。

が、、内容にガックリ。東京ビックサイトでの開催時に比べ、出典企業が少なすぎ。

余りにショボイので、昼過ぎに退散して事務所に帰投。机に座ってちょっとメールを見たと思ったら午後3時から打ち合わせ、午後4時からは来客の嵐。その結果を待って、夕方から説得調整に入った挙句、来週月曜日に大阪に行くことに・・・

ほっとするも束の間、午後7時過ぎからイベントが始まり、終了後はサーカス団の打ち上げに誘われて、自宅着は日付の変わった1時すぎ。疲れた。

2012/10/24(水)

卓球脱出を企んでいたが、、昼過ぎに出た要求事項が定時になっても終わらない。

それでも午後7時過ぎには結果を出して新橋へ。

今日は丹波時代の同窓会。MS課長、大阪から昨年現場でも一緒だったOさん、丹波組の首領様Sさん、その子分Tやん。ここの事務所から足を洗って他所の島に行ったH衛門。そこにうちのMRTが合流して、二次会は歌まで行ってしまう大騒ぎ!またやろう!

2012/10/2(火)

一向に机に座って仕事していない、打ち合わせと来客の繰り返しのまま、夕刻から全社イベント。

イベント後にMRTと久しぶりに二人で乾杯!今回の一大プロジェクトと、これからの組織論で日が暮れた。

2012年10月21日日曜日

Weekly blog 2012/10/14~10/21 

2012/10/21(日)お団子開眼

朝から快晴。暑いくらい。10月だというのに半袖の方が良い陽気。

朝から、子供と何かしたいと思っていたが、お団子作りをすることに。

団子粉から水を少しづつ入れて、丸めて、茹で上げてあとは乾かすだけ。

天日で乾かしてしまい、硬くなったと言う失敗もあったが、みたらしのタレも作って完璧。

おやつの時間に、一人四個ずつをものの五分で完食。

この先、離別が見えていて、この子たちとはいつまで一緒に暮らせるかわからないが、ちょっとはいい思い出になったならそれで良い。

2012年10月9日火曜日

Weekly blog 2012/9/30~10/07

2012/10/07(日) 四十九日 

「秋空に 蜻蛉迎える 七七日」 煩悩

朝早くから起床、実家の中を掃除し、喪服に着替え、十時過ぎに父を老人ホームに迎えに行く。

父は普段着だが、小奇麗なジャージ姿に着替え車椅子で待っていた。ヘルパーさんに「行ってらっしゃい」と声を掛けられ、実兄と二人で借りてきた車に乗せる。ホームから凡そ五分程で法要会場に到着。

既に母親の弟である伯父さん達が揃い、父の実妹の叔母さんも到着。そうこうする間に、実兄の家族が滋賀県から到着し、話もそこそこに菩提寺から坊さんが到着。

11時、坊さんのお経で法要開始。真言宗特有なのか、「おかんき」と言って式場から渡された経文を皆で声を出して読むのだが、、本日の登板坊は「咳き込む」「声が掠れる」「途中を端折る」を連発。

法要に集まった遺族関係者に対して、プロの仏門人として、最低のことが出来てない!っての。

要はプロ意識が足りないの!鉄人金本の哲学を見習えっ!ての。

まあ母の法要だからして、あまり失礼の無い様にとは思うものの、立派な坊主だったら遺族の法要にかける思いをわからなアカンはなぁ。

おかんきの後に、実家裏の共同墓地に移り皆で納骨。前日、兄弟三人でピカピカに磨き上げた墓を開いて、喪主である実兄が納骨。よく考えるとこの裏山の墓地からは、亡き母の故郷である讃岐の山々がすぐそこに見え、母の魂もきっと落ち着けるところであろうと、(無理やりだが)納得する。

納骨から帰り、法要会場にて昼食。専ら私は足の不自由な父親の世話係りなのだが、父親を小用に連れて行っている間に食事会はお開きになり、直ぐに福祉タクシーが父親を迎えに来て法要会は終了。これにて亡き母の四十九日もまずは終了。

タクシーに便乗し、私が老人ホームまで父を送って行く。その後で実兄の家族と実姉がホームに来て、母亡き後、気落ちしている感が大いにある父を励ます。昔気質の父親なので多くは語らない。が、ポツリと「寂しいわい」と言われるとやはり心配になる。残った余生を、思う様に過ごさせてあげたいと切に願う。

15時過ぎに老人ホームを辞去し帰途に就き、16時半前に岡山から川崎N700RRの人となる。

母が急逝して約一ヶ月半、精神的にもかなり疲れていたのだろうが、四十九日で母も漸く向こうの世界に辿り着けたのだろうという安堵感からか、この日ばかりは新神戸辺りから静岡位まで完璧に熟睡だった。

 

2012年9月30日日曜日

Weekly blog 2012/9/24~9/29

2012/9/29(土) 長男運動会 

朝から長男の運動会なのである。家庭内別居状態なので、何も告げずにヨメと娘が見に行き、起床が9時前。

外は快晴の秋晴れ!暑いくらい(実際暑いのだが)に晴れ、雲が高い。母が死んだ8月末の空も青く晴れていたが、あの時から比べても、空は一層高くなった気がする。

朝食を食べて出たのが9時半過ぎ。学校に着くと既に四年生の80m走は終わっており、残るは団体競技だった。昼前の適当な時間まで見て、一旦家に帰って食事。昼からまた運動会を見に行く。

四年生は団体競技が一つあるだけで、結局一年生の可愛らしい日本昔ばなしの団体競技や、六年生のソーラン等を見て最後のリレーを待つ。最後のリレーは一年生から六年生までのリレーで男女混合。小学生ってのは、三年生位まではまだまだ小さいが、四年生あたりから男の子も女の子も背が高くなり子供っぽさが無くなってくるように見える。子供のこの六年間の成長ぶりは目を見張るものがあるな。最後の六年生の男女の走りは強烈!速いのなんの。やはり背が高い子供の方が脚も速い傾向があるのも改めて実感!(まあこれは歩幅の差かな?)

息子の所属する黄色組は負け、青組が勝ったので、閉会式は見ずに帰宅。

夜、麦酒を飲みながら吉村昭を読んでいたら眠くなり、21時には就寝。

2012/9/28(金)アニキ最終戦

朝から人が休んだり、結構バタバタとしながらサマータイムの定時17時すぎに卓球脱出。目指すは神宮球場。

今日はアニキ金本知憲の神宮最終戦。

相棒KZと外苑前で待ち合わせ神宮に向かって歩いていると、球場前で転職した元営業のSKにバッタリ再会。奴も 金本の神宮最後の試合を見に来たという。球場前でSKと別れ、今日の応援グッズを買ってレフト側外野自由席へ。

18時に試合が始まり早々に鳥谷のタイムリーなどで三点先取。エエでその勢いや!

「今日は安心してみて居れる」なんてKZと話しながら麦酒を早いピッチで煽り、Tigersの応援時は声張り上げ、、、、7回の裏のスワローズの攻撃前には「くたばれヨミウリ(ゴミ売り)」の大合唱!大満足でいたのだが、、、その7回裏に先発岩田が崩れ同点。しかも8回表にその岩田の打順で代打を出さない、、で結局凡退。そして8回裏に逆転二点本塁打を浴びる(なんでやねん!)

9回表、満を侍してアニキ登場!も四球。そして後続断たれ、結局蓋を開ければ逆転負け!!

アニキが挨拶に立った時には「アニキーヤメなんでくれ~」って叫んでいたが、その後は「和田、ヤメてまえコラ!来年は来るな!」と叫んでいた。

気持ちが収まらないので、反省会と称して新橋に河岸を写して生麦酒と焼酎を二杯。途中、巨人ファンの男性と一緒に来ていたTigersファンのオネエちゃんと話が盛り上がったりしたが。23時過ぎになったので終了。

うーんそれにしても今年は弱いなぁTigers。アニキまだまだ引っ張ってくれこのチームを・・・

悲しい年

今年は悲しい年。

さる8月、闘病四ヶ月の末に、人生の師、母親が無念の死。

この9月に尊敬していた我らがTigersのアニキ、金本知憲引退。

2012年9月11日火曜日

Weekly blog 2012/9/1~2012/9/10

2012/9/10(月)

本日、丹波の山中にドサ。朝早くから山中に入り込むも、昨日の結果が気になってネット上で解答速報を漁る。漸く某Ω社のページに解答速報を見つけ自己採点するも。。。やらない方が身のためだった気がする。

なぜならば、理論30点、電力40点なのである。半年間、猛然と休みも殆ど潰して理論の科目合格に賭けてきたのに、、勉強を一切しなかった電力の方が高得点だったとはどう言うこっちゃ?やはり文系出身者に電気主任の道は遠いんやろか?

17時に山中を抜け出し帰途に就く。一時間ほど待ってMKちゃんが仕事を早めに切り上げて来てくれ、僅か一時間だが新大阪で呑む。久しぶりだが会えてよかった。ほぼ終電間近ののぞみN700RRで帰る。

2012/9/9(日)Does happen the miracle on a happy Birthday of my little daughter?

日曜日でありながら、朝早く出勤時間に相模原に向かう。今日は可愛い可愛い愛娘の6歳の誕生日なのだが、よりによって電験の試験日でもあるのだ。会場は6年前にわずか一科目科目合格した時と同じ、A學院大学。まだまだ暑いが、空の青さと、高さ、吹く風の涼しさに秋の気配を感じながら、何の因果で今日、試験を受けないといけないのか?と文句のひとつも言いたくなる。まぁ言っても無駄なのだが。9時から「理論」。やっぱり難しいなあ。ほぼ半年、理論ピンポイントで勉強してきたのに全てがスッキリ理解できた感じがしない。模試でいくら最高80点を取ったこともあるとは言うものの、本番は全く問題傾向違うしなぁ。二時限目、11時10分から「電力」実は全く電力は今回勉強すらしていないのだが、、、計算問題等々は割と解った積もりになる。が、、やっぱり難しいな。

2012年9月1日土曜日

Weekly blog 2012/8/24-2012/8/31

2012/8/31(金)

朝から実家の清掃、昼前に実家を出て児島の天満屋にペットボトル等のリサイクルに持っていく。そのまま天満屋で昼食。今回の届けの本籍地の記載間違いを修正に役所に行き、その後父親を見舞う。一人残された父親はやはり「寂しいな」という言葉を連発している。そりゃあそうだ、六十年間連れ添ってきた母親に四ヶ月会えず、そのまま、この世に居なくなってしまったのだから。父の気持ちは良くわかる。それだけに、何故、母の闘病中に会わす事が出来なかったか。どう転んでも、その結果に対して子供として後悔することは解っていたが、現実は非常に残酷だ。午後3時半すぎ、父親を1人残し老人ホームを出る。母の入院先に程近い倉敷のレンタカー会社にレンタカーを返却し、岡山に移動。16時49分発のぞみにて兄や姉とは別れそれぞれの自宅に帰ることとする。母の位牌は、四十九日まで暫く実兄の家で皆に供養をして頂く事となる。特典を使って乗ったグリーン車の窓から見える晩夏の夕暮れの景色は、名古屋を過ぎたあたりでどっぷりと暮れ、満月が綺麗に顔を覗かしていた。

「母偲び 窓を見る瞳(め)に 晩夏(なつ)の満月」 煩悩

一生に一回しか来ない今年の夏は、楽しむはずが、悲しい気持ちで暮れて行く。子供として最後に母に恩返しが出来たのだろうか?

「逝きてなを 人惹きつける 母は向日葵(ひまわり)」 煩悩

永遠に解決しない疑問を胸に、この夏も今日で本当の終わりを迎えた。

2012/8/30(木)

朝8時には父の唯一の妹である叔母さんが訪ねてきた。世間話の間に9時になり、約束通り菩提寺の僧侶が一人で現れた。本日は初七日なのである。先週金曜日に母が他界して、もう七日が過ぎたということが信じられなかった。実家は真言宗なので最後におかんきと言う経を皆で唱え公式な行事は終了。叔母には兄が父親の連絡先を教え、供物を分けて持って帰っていただく。昼前に今度は墓石屋が来て、実兄は実家の裏山にある墓地にて石への字入れと位牌の字入れなどの打ち合わせに行く。午後になって役所に行き年金関係の諸手続き、母親名義の貯金の金融機関の口座凍結、相続関係の処理のための戸籍謄本や印鑑証明などの発行申請を行う。相続は全て、一人残された父に託すこととする。昼二番で父親の所に行き、今後の相談。母親が辛い闘病の初期の頃に、これまた離れた所で入院していた父を想っていた気持ちを書いていたことを話すと父は少し涙ぐんだ。一昨日とはうって変わりだんだんと落ち着きを取り戻しつつあるようだ。一昨日の一件は、父なりに母親に先立たれた不安や不満の感情がああ言った形で出たものでないかと思う。

2012/8/29(水)

お香典の集計、弔電の集計などでほぼ終日。母親名義の口座は既に凍結に係っている事を知る。何が必要なのかを金融機関に聞きに行き、父の見舞いに行くと日が暮れた。

2012/8/28(火)

早朝まで寝ていない。夜中じゅう、父は30分おきに「便所に行きたい」と言い、連れていけば「何も出ない」の繰り返し。言ってはいけないと思いながら、余り頻繁に便所に行っても出るものも出ないと説教する自分の姿があった。兄も同じ思いだったろう。だが、そんな事も構わずに便所に行きたいと繰り返す父親の対応は夜明けには専ら実兄が対応してくれていた様だ。朝食後、父をホームに送り届ける。その後は、お香典の集計、弔電の集計などで時間がかかる。その間にもちらほら近所の方々が母を悼むために訪問してくれる。母が生前、多くのご近所の方に本当に親しまれていた事を改めて感じる。弔電の数は半端ではない。夕飯を食べたあと、姉が昨日から読んでいた母の日記を読み始める。最初の日記は1995年くらいから毎日書いていた様だ、今年に入って遂に書けなくなった7月初旬まで、辛抱強く毎日日記を欠かさず書いていた。 その内容の主なものは、元々体が弱かったためか、自分の体調、父親の体調の心配、そして子供たちの様子である。読んでいると毎日毎日、三人の子供達よ幸せになってくれと書いている。いつもいつも母親は自分たちのことを思ってくれていたのだと思い胸が詰まる。また日記以外にも入院中のメモがかなりある。そしてその中に、今年の5月3日に書いた、父宛のラブレターを発見する。遠く58年前に父と出会った時のことから、克明に思い出が書かれており涙なしでは読めなかった。いつも父親に理由もなしに文句や愚痴を言われ、耐え続けていた姿を見慣れていた私たち兄弟にとっては、これは意外な事実であった。父親を心の底から愛していた母。そしていつも子供たちには優しかった母。もっと親孝行が出来たならと、今になってそう思う。

2012/8/27(月) 母の葬儀

朝、起きて空を見上げ、母に呼びかけている自分がいる。未だ実感が沸かない。

出棺時には大泣き。

棺の中に、母親の好きだった花々を沢山入れてあげた。

「晩夏(なつ)の日の、天高き空に、母送る」 煩悩

2012/8/26(日) 母の通夜

五人の弟の長女だった母親の、若くして亡くなった一番上の弟さん以外の伯父さんは全て来てくれた。賑やかな通夜は母も喜んでいることだろう。

2012/8/25(土) 

午前中に、兄方の義姉、姪、甥、兄方の義理のお母さんが来てくれた。母の四番目の弟さんは西宮から、その下の五番目の弟さんは讃岐からそれぞれ来てくれた。夕刻には、海外出張を繰り上げ、実姉が泣きながら帰ってきた。賑やかになった通夜は、母が父と結婚した頃辺りのアルバムを皆で取り囲み、母の思い出話に花が咲いた。明るいのが好きな母はきっと傍らで聞いていて、喜んでくれたものと思う。

2012年8月31日金曜日

母逝去 2012/8/24

2012/8/24 

平成24年(2012年)8月24日 午後0時25分。

実母が逝去。

原因はマイクロバクテリウムカンサシーによる「播種性非結核性抗酸菌症候群」。

享年79歳。

朝から大阪出張。10時半前に実兄から「母重篤」の報を受け、尼崎で引き返して、急遽、岡山を目指す。11時18分発ののぞみにのれそうもないと判断し、その一本あとののぞみを予約。岡山に12時20分過ぎに着き、父親に電話で「覚悟は決めるように」電話をして、12時45分過ぎの各停で倉敷を目指す。13時6分過ぎに倉敷駅着。タクシーで病院に駆けつけるも、病室に着く前に担当医に声を掛けられ間に合わなかったことを聞く。人間何時かこの日が来るのは解っているとは言え、まだまだ80歳に満たない母に、こんな最期が待っていたとは、運命というのは残酷である。正直辛い一日。

2012年8月14日火曜日

Weekly blog 2012/08/11~2012/8/17

2012/8/17(金) 一進一退

昼前、実兄よりメール有り。母親が一般病棟に移動することになったと病院から連絡有りとのこと。快復まで一歩前進と思ったのも束の間、夕刻遅くに本日見舞った実兄から再びメール有り。主治医から説明が有ったとのこと。一般病棟に移ったのは、快方に向かっているからではないが、病状が著しく悪化しているわけでもなく、要は変化がなく安定しているからとの理由。一般病棟に移ると、今までとは逆にきめ細かな看護が行えない。宿直は15病床に2名しかいないため、何かの拍子に重大な事態に陥るリスクも発生しうる。またむしろ期待した薬効が得られているか否かすらも解らない状態。浮腫がひどく胸水も再び増え、右胸は正直言って機能していない状態であるとのこと。一番辛いのは本人で、言葉を発せられないのだが、必死になって「むねがくるしい」「いえにかえりたい」と訴えているという。今はただ暗澹たる気持ちで一杯。幾ら難病で有るとは言え、それほどまでに苦しい思いをさせなくても良いではないか!神よ。

2012/8/13(月) 母持ち直す!母は強し!

心配し駆けつけた。今回限りは兄弟間でも「覚悟を決める」との会話があったのも事実であるが、、母は強いのである。こんな病には負けない!気力が奇跡を生む。この頑張りは流石、戦争を経験した昭和の母親だからなのだ。この人の子供である事を今は誇りに思う。子供の頃から、人一倍我慢強い母親であるとは感じていたが、ここに来て本当に母親の折れない心を見た気がする。頑張れ!お母ちゃん。目標は一般病棟にまず戻ること。そして秋には退院すること。ホームの親父にも戻ってきてもらい、また一家で来年の正月を迎えよう! 岡山児島屋号「荒神堂」は不滅。

2012年8月9日木曜日

Weekly blog 2012/8/5~2012/8/11

2012/8/10(金)

週末の日曜日(8/12)の夕方から帰省する事とした。来週末に金曜日から休む予定であったが、母親の病状が深刻なだけに、集まれる時に集まらないといけないと思い、朝から多方面を調整をして行くことにした。こんな時にも関わらず、物理的に非常に近い距離に色々と文句を垂れる人がいる。調整のために話しているのに喧嘩腰。いつもいつも喧嘩腰でよく疲れないものだ。

2012/8/9(木) 闘う母 

一昨日、本日と母親を見舞っていた実姉から報告アリ。病状悪化の兆しアリ。意識が漸く保てている状態、何とか意識を繋ぎ留める努力をし、それに応えてくれるものの、二日前より悪化進行している可能性否定できないとのコト。今後さらなる悪化も考えられ、今は何も起きない様に普段通りに変わったことはしたくない、来週の海外出張も予定通り行った方が良いか迷っているとのコト。 今が正念場なので、念のため国内にとどまっていた方が良い。結果的に何もなければそれで良しと伝える。 実兄からは父親にはショックが大きいかもしれず、話はするが会わさない方が良いのではとの連絡アリ。 どう転んでも我々は後悔をするだろうが、父親の気持ちを思うと、万が一、意思疎通が困難になってしまってから会わせ、結果として父親に悔いが残る事だけはしたくないと思いを伝える。 今日は六人兄弟の一番の長女である母の、一番下の叔父さんが、下から二番目の西宮の叔父さんからの連絡で、讃岐から駆けつけてくれ母を見舞ってくれたとのコト。皆が母の復活を祈っている。母の容態を悪化させている浮腫みが何とかひいてくれないか。祈っている。

2012年8月5日日曜日

Weekly blog 2012/7/28 ~2012/8/4

2012/8/4(土)

午前中、今日もホームの父親を見舞う。大体、いつも食堂で車椅子に座っている様だ。今日もそうだった。意識はしっかりしていて認知の症状もないのだが、話の内容が食べることだけになってきたのが心配だ。今日も昨日と同じ。「昼は何処かに食べに行こう」「ホームの人がお昼は準備されてるからアカン」「エエんじゃ」の繰り返し。連れて行きたくても事前の外出申請もしていないし、そもそも車椅子の人間を一人で軽自動車で運ぶことが無理なのだが。理解出来ないのは仕方がない。昼前にホームの方に御礼を言って母親の入院先に移動。昨日は喉を切開したばかりで、話せない事実に気づき驚いていた。実は母親のもとに行くのは気が重い。その事実に対して何と説明をしたら良いのか、母親自らがその決定を下したわけでなく。目が覚めてみたら話せない、声が出せないと言う事実を突きつけられた時に、母親がどんなに哀しむか。それが想像出来るだけに早く行ってあげたいのに行くのが憂鬱という異なる思いが胸中を錯綜する。午後一時過ぎICUに入る。母親は寝ていた。二週間前にやせ細っていた腕は三倍ほども腫れ、浮腫んでいる。主治医に話ができ浮腫の件を聞く。血中のアルブミンが不足し、アルブミンの不足を補うため点滴を入れるが、腸管も浮腫んで機能が低下、効果が想定される薬剤も経口のため同じように吸収されていない、よって薬剤の量も増量という悪循環が続いているのだという。二時間ほど待つ間に目が覚めたようで、しきりに何かを言おうとする。口の動きで何が言いたいかを予想して答えを出すと言う事を繰り返す。これだけ水が体内に溜まっているのに血中には水が少ないものだから喉が渇いているのだろう、しきりに「うがいをしたい」と言う。「うでがおもい」とも。物心ついた頃から母親の弱音を吐く姿を見たことがなかったが、夕刻になり別れ際、母親が声を出さずに泣いたのには、正直私も声を出して泣きたい位だった。一時間ほど予定より早いのぞみに乗り、23時すぎ自宅に帰投。

2012年7月27日金曜日

Weekly blog 2012/7/23~7/27

2012/7/27(金)

急遽、昨日残業禁止令が出た。サマータイム期間開始直後から残業禁止は言われていたが、今回はさらに厳しく10時間以内に抑えろとのこと。だが、、、そもそも業務量が多いから残業が多いのでないのか?人が少ないから残業が必然的に多くなるのでないのか?根本解決は図ろうとせず、一方的に禁止令を出して何とか帳尻を合せようなんて言うのは、稚拙で無策な管理策でしかない。朝から、来週火曜日を目指しての資料作成。漸く完成。帰りは東京駅まで歩く。この所、電験の試験勉強を怠っている。この二週間ほどの混乱の所為にはしたくないのだが、モチベーションが上がってこない。これを書いている今も気は焦れどこんなコトしているわけだからなぁ。明日からスイッチを入れ替える予定。今日は飲まずに寝よう。

2012/7/26(木)

朝から某神社の裏で仕事。代行業務なんだが、、今日の都内はムシ暑い。今年最高の暑さだ!大阪から大先輩のSさんが来ているため、前の職場のM課長と、既に他社に転職したH衛門を呼んで新橋で飲む。かつての丹波の山奥の案件で一緒だったメンバーなので同窓会の様なもの。当時のあの職場の一体感は何だったのだろうと懐かしむ。これからも、、四半期毎に集まりたい。

2012/7/25(水)

相棒KZと新橋で飲む。約一ヶ月ぶりの再会。場所は勿論、ホーム。新橋の聖地龍馬。生二杯、芋三杯で危うく乗り過ごす所だった。夜遅くに実兄よりメールあり、暫く実施も交えた兄弟間でのメールのやりとりになる。皆、最近の状況下では、電話が岡山の市外局番で掛かってくると鼓動がドキドキするとのこと。非常によくわかる。今は無事であることをただ祈るのみ。

2012/7/24(火)

夕刻から会社行事。帰宅は深夜。飲んでもないのに、、、何やってるか解りません。

2012/7/23(月)

朝から関東の僻地。11時前に母親の入院先から電話があったが出られず。その直後、実兄からメールあり。医師より母親の呼吸状態がかなり悪いため午後から気管挿管したいとの連絡があったとのこと。覚悟はしていたが、こんなに早くその機会が訪れるとは思いもよらなかったので、心配でならない。苦しいだろう、辛いだろう。どうしてもやれず、ただ無事を祈るしかない我が身が情けない。

2012/7/22(日)

夜になって実父の入院先から電話あり。足の浮腫が激しいので一週間、退院日を伸ばしたいとのこと。了承。実父の入院は母親に比べるとまだ平和なのだが、あまり入院が長くなるのも父の精神的はキツイだろうなと思う。

2012年7月21日土曜日

Weekly blog 2012/7/16~7/21

2012/7/21(土)

早朝、実兄からメールを貰い10時過ぎに母の入院する倉敷の大病院で待ち合わせ、時間に合わせ実姉と病院に行く。昨日退院してきたと言う兄は、手術をした左目がまだあまり開かない。確かに良く見ると目の大きさ自体が若干小さくなった気もするが気のせいか?昨日の緊急兄弟会議の結果をお互い確認しながら暫く待たされ、昼前、漸くICUに母を見舞うことができた。昨日より更に呼吸状態が悪くなったと言うことで再び有圧の人工呼吸器を付けられていた。胸水もやや昨日より増えたとのこと。予断は許さない状況。ただ、昭和の母は強いのだ!我が子が三人(と言っても皆、既に中年の大人なのだが)揃ったことに喜びを隠さず、手を握り、筆談をすると「アイスクリームが食べたい」と人を和ませるようなことを書き(水の摂取が極度に制限されているので、本当に欲しているのだと思う)、看護師の励ましの言葉に感謝の気持ちを表す様に手を合わせ、気を遣う素振りを見せる。元々涙腺の弱い私は、何だかまた涙ぐんでしまいイカンイカン。あまり長居はできないため、主治医に、治療方針(気管挿管)の要否の再確認を行うため別室へ。昨日の兄弟会議で課題であった「気管挿管が治療に際してMustなのか、Maybeなのか」という点は、「極めてそうなる可能性が高いが、、Mustではない」との言質を得て、私も納得。承諾書にサインをすることになった。が、主治医がそのあと発した言葉が衝撃だった「恐らく症例としては過去に三例しかない難病なんです・・・」。一同唖然!日本で三例?(もしかしたらこの病院での三例?と言うのが確認できなかったのだが、、、、)。主治医に御礼を言って、午後からは実父の入院先に移動。実父は相変わらず寝ていて、我々の到着に「なんじゃがぁ」と喜びを露わにするわけでもなく目を覚ます。だが、、偏屈老人なんで、ホントは実の子供達が三人顔を揃えて見舞いに来た事が嬉しくないはずがない。三十分ほど話をして、来週の月曜日には退院して老人ホームに戻ることを伝え、去ろうとすると「あれはどうなっとるんじゃ?」と、何かと引き止めようとするのは、やはり嬉しいからであろう。兄が「来週も来るから、また旨い寿司を食いに行こうな」と約束し病院を後にする。再びお世話になる老人ホームに挨拶に行き、ほんの一瞬だけ実家に寄って、16時半前に岡山駅前でレンタカー返却、三人で駅ナカで昼食兼食を食べ、17時半前に川崎N700RRの人となる。22時過ぎ自宅帰投。

2012/7/20(金)

いつもより若干遅い朝6時過ぎに、自宅を出る。まずは家裁へ。調停が始まるまでに電話が二回、一つは仕事。もう一つが母親の入院している病院から。「気管支鏡生検の同意を取りたい」とのこと。兄姉と電話で相談し了解を出す。昼前に家裁の拘束を解かれ、13時半前から移動、16時半過ぎに岡山駅で実姉と集合。レンタカーをピックアップして母の許へ。先週に比べ、息が苦しそうで明らかに顔色が悪い。そして非常にやせ細っている。主治医から説明あり、今回から呼吸器内科に主治医がバトンタッチとなった。呼吸状態が悪く、結局気管支鏡生検は実施しなかったが、原因がほぼ特定できたとのこと。病名は「播種性非結核性抗酸菌症」。要はマイコカンシー?と言う菌が悪いことをしているとのこと。母は好酸球性肺炎を長く患い、ステロイドを多用していたため、免疫能力が落ちた結果、健常な人なら症状の出ない抗酸菌症になってしまったという見解。だが問題は呼吸が弱い、個体の健康状態もかなり弱くなっているため、人工呼吸でなく気管挿管が最良の方針という説明を受ける。同意の可否を聞かれたが、、、気管挿管で結局そのまま寝たきりになるリスクもあるため回答がその場では出来なかった。その後、一瞬だけ父の入院先に顔を出し22時過ぎにようやく実家着。夜の遅くに兄に電話し、兄弟会議を実施。結局寝たのが2時過ぎ。

2012/7/16(月)

朝、先週の急遽の休みの説明を上司である同志MRTに実施。その説明の後に聞いた話がショッキングだった。先週、恐らく急遽帰省したその同じタイミングで、大阪の飲み友達であるSGやんが飲んで帰る途中、転倒しICUに担ぎ込まれたが意識不明の重体とのこと。我が耳を疑う。先々週はあんなに元気だったのに。。。一刻も早い快復を望む身の回りの人間がまた一人増えてしまった。本当に元気で復活して欲しい。頑張れSGやん!

2012年7月19日木曜日

The battle in YHC!

The battle would be executed tomorrow in Yokohama home court. The truth would get the victory perfectly. I would like to believe the power of Justice.

2012年7月15日日曜日

Weekly Blog 2012/7/8-7/14

2012/7/14(土)

朝から実姉と、昨日腸炎で入院した父親を見舞うため、まずは海沿いの老人ホームに行く。父親の自室の荷物から入院生活に必要な物資を選び、施設長に改めて御礼を言う。エレベータ前にいつも座っている爺さんが、「お父さん何処行かれたんじゃが?」と言うので、「入院してるんですわ」と答えると、「親父さん元気ねぇのう。大丈夫けぇ?」と励まされる。言い得て妙。確かにここの施設に来る前から、そして来てからも元気はない。母親の入院から三ヶ月近く。会えずに寂しい思いが父親の生きる気力の萎えにも繋がっている様に思う。荷物を持って、入院先に向かう。元気のない父親は、ベッドに無気力に座っており、朝食は食べたか否か聞いても定かではない。ちょっと不安。認知ではないと思うが、、、。荷物を置いて、身の回りを整理して、不足物資を実家に取りに行き、またもや老人ホームに寄ってと大忙し。昼過ぎに漸く父親の入院先から移動を開始。倉敷で一番大きな病院に母親を見舞いに行く。ICUに人工呼吸器を付けられている姿はいつ見ても可哀相で、悲しい気持ちになるが、急報を受け最初に見舞った木曜日に比べると血色が良く、肌のツヤも出てきた。本人の意識も明瞭で、実家の庭が荒れ放題だったと実姉が伝えると、シルバーセンターを筆談で紹介してくれるほどの快復ぶり。本人は今、一般病棟に戻ることを第一の目標として頑張っている。逆に私が勇気づけられる。ICUなので一時間も見舞えず、岡山駅前にまでレンタカーで移動し、16時過ぎに岡山駅で遅い昼ごはんを食べて、川崎N700RRに乗った所で姉と別れる。20時前新横浜着、22時半過ぎ自宅へ帰投。

2012/7/13(金)

会社を休む。この日に会社で出るはずであった「しょうもない会議」の音頭取りを「MRT君に任せてごめんなさい!」と起きて早々にMRT君にメール。朝の遅い時間に、実父の居る施設から電話。実父が朝からご飯を食べない、下痢、嘔吐、血圧が異常に高いとのこと。実家から急いで海沿いの老人ホームに行き施設長に話を伺う。実父に様子を聞くと「腹が痛えんぢゃ」と訴える。何度も下痢を繰り返しているので、施設長とも相談し、つい先日まで入院していた病院に様子を見せに行く。レントゲン、心電図、採尿をしてその日の若い担当医の下した診断は「ひどい脱水と、腸炎」。しかしながらこの若い医師は「高齢でもあり、一旦バランスを崩すと、取り返しのつかないことになる可能性もある。入院を勧めるが、その様な覚悟も持たれたほうが良い」とのアドバイス。ハッキリとモノを言うこの若い担当医に、医師としての使命感と好意が持てた。そして実父は再入院。腹が痛いのに「あの旨い寿司が食いてえがぁ」と抵抗する実父を「退院する時にまた食べに行こう」となだめてなんとか事なきを得る。時間は既に17時。レンタカーの返却が18時に倉敷駅前なので、途中で実母を見舞う姉を病院前で下ろして、18時過ぎに倉敷駅でレンタカー返却、岡山駅に移動して他のレンタカー会社で軽四輪を借り直し、またもや倉敷の病院に移動し見舞い後の姉をピックアップ。実家帰投21時半。

2012/7/12(木)

寝台特急で岡山着6時半着。在来線乗り換えで倉敷着7時丁度。タクシーで先行して病院の契約施設に泊まっていた実姉に半年ぶりに再会。母親の昨日の状況を聞く。そうこうする内、12時前に漸くICUでの面会が許され、母に会う。人工呼吸器を付けられ、栄養も経鼻、経動脈。見るからに痛ましい母親の変わり果てた姿に思わず涙が出てしまった。が、母は強し。意識は明瞭で「良く来てくれたなぁ」と涙ながらに、苦しい息で声を振り絞って訴える。不覚にも子供の様に泣いてしまった。ICUでの面会時間は短いので、明日も来ると母親に伝え、待合室で作戦会議。四輪車がないと生活できない土地柄なので、倉敷駅前のレンタカーを携帯から予約して車を取りに行く。14時前から実父のいる老人ホームに移動。実父は漁港側の食堂で一人、何をするともなく車椅子に座っていた。「来たよ」と言うと「何しにきたんじゃ?」とつれない返事。偏屈で寂しがり屋で、我儘な実父なので、 これも子供に対する愛情表現なのだろう。父親の自室の身の回りを整理するも、この暑いさなかに寒がるので、窓を閉め切ると今度は暑い。熱中症の危険があるので父親に伝えるも、話を理解できていない。困ったものだ。 施設のヘルバーの方々もこの偏屈老人には手を焼いている様子。帰り間際に施設長と話をしてその事を実感した。この日は久しぶりに実家に泊まる。

2012/7/11(水)

朝から関東の僻地へ。重鎮Mさんと伝承ドキュメントの最終形の話をしに行く。委託先業者のMさんではあるが、今のところ、基礎技術が重要であるとの私の持論の唯一の理解者である。昼過ぎに都内の事務所へ移動。都内事務所を19時前に退社。電車に乗って帰宅途中、母親の検査に立ち会っていた姉から「母親の容態急変、集中治療室へ運ばれた」との報せを受ける。こちらから電話を折り返し様子を聞くも、意識も薄らいでおりいよいよ危ない様子と判明。この時既に時間は20時半。病院のある倉敷までだと、新幹線での移動は既に無理と判明。だが自宅に一旦寄ってなどの余裕が有る様には思えない。一か八か「みどりの窓口」で寝台列車の予約状況を聞くと一席だけあるとのことなので、幸運にも唯一残ったその席を押さえる。22時20分。着の身着のまま、横浜から寝台列車の人になる。

2012/7/10(火)

この7月から、どれだけ残業しても、残業代は30時間台後半で固定の裁量労働制となった。しかもこの時期は社内サマータイムも実施しているので17時過ぎには定時となる。が、明日の資料が間に合わず19時過ぎまで会社にいた後、MRT*2、HRM達が飲んでいると言う店に行く。結局今日も酔っ払い。23時過ぎ自宅着。

2012/7/9(月)

久しぶりの東京。何だか気分が乗らない。やはり関西の方がモチベーションが保てる気がする。節電効果のほどが定かではない社内サマータイムのため5時半過ぎに起きて、いつもより30分早く出勤。報告と来週水曜日からの第二フェーズスケジュールの作成でほぼ一日費やす。休肝日。

2012年7月9日月曜日

Weekly blog 2012/7/1~7/7

2012/7/7(土)

朝から倉敷に直行。母親を見舞う。先週とはうって変わって非常に平和。咳も出ず、意識も明晰。前の入院先で認知症に間違われた話をして怒っていたが無理もない。大体、二日や三日でいきなり認知症になるワケもなく。そんなのは長年患者を見てきたら解る事だと思うのだが、、。昼前に主治医から別室に呼ばれ、兄と一緒に話を聞く。主治医は母親の肺炎が長引いているのを懸念しており、他に主原因があるのではないかとの見方。それを調べたくてリンパの生体検をしたいので家族の同意が必要とのこと。更には立会いを示唆されたが、これは兄も私も無理なので真ん中の姉に依頼することとする。昼過ぎに父親のホームへの転院のために駅前で借りてきたレンタカー&私の運転で実家近くに移動。足の悪い父親を何とか車に乗せ、移動を開始早々「寿司食いに行こう」と父親が言い出して父、兄、私の男三人で病院の近所に寿司を食べに行く。父親は旨そうに寿司を食い、酒も一合だけ飲んだ。今後、いつ迄この様に三人で寿司を食べに来ることが出来るのか?と考えるとこの機会が最後になるかも知れないと思い、ふと寂しい気分になる。おそらく兄も同じ気持ちでなかったか・・・約束時間より少し遅れて入所したホームは海に程近く、海越しに讃岐の山々が見え気持ち良い眺め。一旦父親をホームに残して兄とテレビや調度品の買出し。ホームに戻ってくると、父親が自室から遠くの廊下の端で見知らぬお婆さんと話しているのが見えた。調度類を整え、テレビをセットアップして契約に入る。所長代理の方に不安はないかと聞かれ、兄も私も「偏屈な人間なので、無事溶け込めるか不安」言うと、この女性の所長代理は笑って「今さっきお婆さん達に囲まれて、上機嫌で歌を歌ってましたよ!!」と言われちょっと一安心。ここに来て父親の意外な一面を知る。まあなんとかやっていけるんでないか?時間はもう17時過ぎ。あわてて兄と二人で母親の病院まで戻り、数分母親に挨拶をしてレンタカーを返しに行き18時過ぎの電車に飛びのる。23時前、新横浜着。長い一週間だった。

2012/7/6(金)

一週間、尼崎の小西で立ち飲み続けたので今日は休肝。MKちゃんから「今週は、結局飲めずじまいでした」と残念メールを貰う始末。次の機会で飲もう。

2012/7/5(木)

18時半過ぎに仕事を一段落させ、丹波の山の中から移動を開始。帰り道の尼崎の小西で今日も立ち飲み。今日のメンバーはITやんと若手IS。文書もほぼ6割まで完了率を上げてきて上機嫌。21時過ぎに店を出る。ISは今日は乗り過ごさず素直に帰れたのか?

2012/7/5(水)

文書完了率がまだ悪い。5割程度。明日から巻き返しを図らねばと一人で気持ちは焦っている。まあ傍から見ればマイペースそのものに見えるのだろうが、、、。前日からSGやんが「サシで飲みに行こう」と誘われていたが、定時後、尼崎の小西に移動して、結局蓋を開ければABちゃんが来て三人で飲む。

2012/7/4(火)

朝から強烈な雨、山の上の丹波の山奥施設に向かうバスの中から見ていても、前が見えないほどの豪雨。 案の定、一日中足がズクズクと湿った感じ。肝心の仕事の方も、期待していた文書作成班のメンバーの一人が全く別件の仕事に振り回されており、文書策定率が非常に悪い、昨日終了段階ではまだ4割しか達成できず。仕方がないのでちょっと残業して、20時半過ぎに尼崎に姿を現すと、、まあ何と知った顔が7人もいる!!この日も小西で乾杯。一日を締める。

2012/7/3(月)

今日から一週間。丹波の山奥で、業務文書の集中策定強化週間。前日から大阪には来ているので朝早々に移動して、策定班メンバー(とは言ってもTNとIS。見慣れた連中なのだが)と目標値と役割分担の確認。定時終了時の進捗は約3割。期待値を若干下回るも、まあ初日はこんなもので良いんでないか?MKちゃんと飲めるのは今日しかないと思っていたが、結局、尼崎小西でITやん、TN、ISの四人。MKちゃんには結局、詫び入れ。

2012/7/2(日) To be continued!

2012年6月26日火曜日

政児主導

消費税は毟り取るのが一番。

放射線は隠しとくのが一番。

再稼働は財界の主張が一番。

この党に入れないのが一番。

2012年6月25日月曜日

Weekly Blog 2012/6/17-2012/6/24

2012/6/25(月)

実兄からの報告。母親の容態変わらず。目が開かない。極めて意識混濁。医者の話によると「せん妄」出ないかとのこと。入院生活が長い高齢者に多いらしい。一時的に認知症みたいな症状も出るとのこと。治る病らしいが、夜に状況が悪化する事例が多いとのこと。今日の晩から実兄が付き添いでいないため極めて不安が大きい。今はただせん妄であって欲しいと祈るのみ。父親の状況は、主治医から腎不全であり機能していない事の説明を受けたとのこと。来週は一週間大阪出張なので、土曜日から両親を見舞いに行こうと思うが、その間何もないことを祈ってやまない。とにかくこの一週間は酒を絶とうと思う。おちおち飲んでおれる状態ではない。

2012/6/24(日)

梅雨の中休み。11時半過ぎに岡山に両親の様子を見に行った実兄から急報。母親、状況極めて悪い、突然認知症になった模様とのこと。金曜日までは、意識はしっかりしていたと医師も、看護師も証言しているが、昨日辺りから意識が混濁。自分の状況さえ分からず、この日に骨髄の病の方で倉敷の病院に転院することも解っていない。呼び掛けにも応じたり応じなかったりとのこと。先週見舞った実姉が「血中ナトリウム値が異常に低い」と指摘していたのを思い出し、実兄からの情報を貰うとナトリウム値110弱。かなり低い。一応、低ナトリウ血症の可能性も捨てきれないのでと伝えたが、母親の容体の急変を目のあたりにして兄も辛い思いしか出来なかったろう。一方、自宅に帰れそうにもない実父の方は腎臓検査をしたらしく、こちらは腎不全の疑いあり。実兄によれば「今更手術もしたくないわい」と達観している様子だとのことだが、寂しがりで怖がりで偏屈な実父が、本心そう思っているかは分からない。ただ齢85で手術なんかはすべきではないと思っている。いずれにせよ、身を取り巻く環境が、一気に変わり行くある今年。早くも夏至を過ぎた。

2012年6月16日土曜日

WeeklyBlog 2012/6/9~6/15

2012/6/15(金)

相棒KZの酒解禁日。朝から関東の僻地に直行。昼食抜きで、午後から重鎮Mさんと業務ノウハウの伝承ドキュメント化の打ち合わせ。夕刻、ちょっと早目に移動を開始、肝心のKZは残業体制で、新橋に着いて歩き疲れた頃、TMちゃんから参加の意思表示あり、先にRyomaで立ち開始。一時間以上経って21時過ぎKZ漸く到着。ポリープが見つかり、「飲酒を控える様に」との医師の教育的指導に従ってほぼ一ヶ月禁酒を続けていたが、昨日ようやく解禁となったと言う。KZを待つ間に実はTMちゃんと色んな話をしたのだが、TMちゃん山に登るんだとは知らなかった。

2012/6/14(木)

朝5時半起床。両親を見舞うため8時過ぎ新横浜発、Kawasaki N700RRで西進。病院着11時前。実母は顔色優れず「横になったらしんどい」と言いながら病床に座していた。4月末から肺炎で入院、5月下旬に一旦退院したものの、良かったのは退院二日目迄で、三日後からは体調が急変。6/12に通院したが、主治医の機転で再入院となった。持病の骨髄の病気が肺炎によって増幅されているらしく、血液中の白血球が通常値の三十倍。赤血球が異常に少なく貧血気味で、胸水ありと言ったかなり危ない状態。輸血で赤血球を増やす治療の方針とのことで、夕刻から輸血を始めたのを見届けて、実父の待つ次の病院に。実父の場合も、四月の実母の入院と同時に介護施設に収容されたのは良いのだが、その後大動脈瘤が見つかり転院、入院、退院したらまた腸炎に罹り再入院と言った事を繰り返している。こちらは体調自体は良く、昨日見舞った実姉からの言付で途中で買って持参した巻き寿司5巻の4巻をぺろりと食べるほど。早くお母ちゃんと元の暮らし始めたいだろうがちょっとの我慢だと逆の立場で諭して、小一時間ほど居て再度移動を開始。19時半に岡山から再び「のぞみ」の人となる、自宅0時過ぎ帰投。

2012/6/13(水)

明後日の打ち合わせ用に、ちっとも進まぬ業務ノウハウの伝承資料を作成で残業。

2012/6/12(火)

朝一から調停に関して、配偶者がやれ「無理だ」だの「9月まで伸ばせ」だのと喧嘩腰で喚いている。一日の始まりとしては最低な日。それでも出勤したら、一定のペースは出るのだが、、、、。午後、会議終了真近、自宅配偶者より実母の入院の連絡の報を受ける。(配偶者からのこの一報にはかなり人間として失礼な表現があった。まあ結婚以来、彼女の発する数々の人としての「不適切発言」に今更驚きもしなくなったが、やはり腹が立つ。ただ今は、調停期間中に当たるので割愛)その後状況確認のため、実兄、実姉、病院、実家と多方面に渡り電話をかけまくる。漸く実母が捕まり、再三の説得の結果、再入院はしないと言い張っていた実母であったが夕方再入院を決める。明日は、今日までたまたま大阪に滞在していたという実姉が見舞いに行ってくれることになり、土曜日は実兄が車で見舞ってくれることになった。木曜日に私も見舞いに行くことにする。

2012/6/11(月)

一日中、資料作成。なかなか進まんなぁ。

2012年6月9日土曜日

Weekly blog 2012/5/26~6/7

2012/6/8(金)

相棒KZは腸ポリープを取った後の休養期間で約一ヶ月禁酒。習慣になった毎週末のKZの誘いもないので、定時後帰ろうかと思っていたら、このチームを仕切っている(すなわち上司にあたる)MRTに「飲みに行こうか」と誘われる。隣のHRMも誘って「白熊」で立呑。W杯予選等を見ながら約二時間。お疲れ様。「白熊」は会社の人が溜まっていそうなので、今まで避けていたのだが、結構いける店。

2012/6/7(木)

昼から関東僻地に移動。恙無く打ち合わせを済ませ、17時過ぎから退社。同僚Oさんと立石。一件目はいつもの「江戸っ子」でモツと酎ハイボール、二人で1500円。二軒目は迷った挙句、駅南側の何となく決めた店に入るも、、、、暗そうな婆さんと、愛想の悪い息子のやっているあまり雰囲気の良くない店。一杯だけ飲んで早々に出る。立石といっても良い店ばかりではない。

**売れない店のやること**

①ゴキブリトラップがカウンターに出ている

②足元に食べこぼし対策なのかベニヤが敷いてある

③つき出しが生ぬるい

④氷が少ない

⑤カレンダーの裏紙になぐり書きしたメニュー(やる気ないよなぁ・・)

⑥店主が暗い

⑦鼠くさい(同僚Oさんの話)

2012/6/6(水)

仕事して、電験の勉強して一日が終わる。最近、やっていることはこれ以外には呑むということだけ。その繰り返し。本もまともに読んでいない。

2012/6/1(金)

MRTとHRMと一緒に週末ちょっと一杯で、「樽の酒場」で立ち。一時間半くらいいた記憶がある。

2012/5/31(木)

帰ろうとしていたら工事チームのOSGと目が合ってしまった。「樽の酒場」で一時間程度立ち。

2012/5/28(月)

週明け早々で、直行で関東僻地。

Divorce!

Although my family had been broken since the end of 2010,I finally submitted the entry sheet of the arbitration of divorce to YHC(Yokohama Home Court )on June 8th morning.

2012年6月5日火曜日

アホ、ボケ、カス、馬鹿?

To be continued in YOKOHAMA home court!

2012年5月26日土曜日

Weeklyblog 2012/5/19~5/25

2012/5/25(金)

今日は相棒KZからの新橋誘惑メールもなく、ほぼ18時半前には事務所を出て東京駅まで歩く。途中、何時もの様に丸善に寄って立ち読みをしていたら直ぐに20時前になってしまい、慌てて東京駅へ向かう。家に着いたのが21時半過ぎ。やはり片道3時間。まあ確信的に道草をしているので仕方がない。帰って今まで勉強。

2012/5/24(木)

19時半過ぎまで事務所にいたが、流石に嫌になって帰宅の途につく。一昨日昨日と遊びすぎたので、帰って勉強。

2012/5/23(水)

朝早くから兵庫県の山奥。若干二日酔い気味ながら、精力的にスケジュールをこなす。なんでこんなに働きやすいねん!ってここに来るといつも「やっぱり関西がええなぁ。」としみじみと思う。案の定、悪友SGやんに誘われ、定時で卓球脱出。尼崎の「小西屋酒店」でSGやん、ITやん、Abちゃんの四人で20時過ぎまで僅か1時間半程度だが立ち。21時ののぞみに乗って帰宅は午前様。昨晩1万円あった財布の中身は一日でたったの英世一枚に・・・とほほ

2012/5/22(火)

17時前に事務所を出て、東京駅1730発。北新地のMKちゃんの隠れ家に行くと、MKちゃんの他にゲストのKTN、YMDがいた。何年ぶりだろうか?彼らと飲むのは。楽しい宴をセットしてくれたMKちゃんに感謝!

2012/5/21(月)

朝、30分早く起きて朝飯も早々に家を出る。最寄駅からは一番早い横須賀線で東京駅へ・・・なぜそんなことをする?って今世紀最初にして最後の金環日食をこの眼で見たいから。ただそれだけ。電車の中から既に薄ら暗くなっている外の様子が見えていたが、、東京駅の八重洲口を出て日本橋の事務所まで歩く間に丁度7時半過ぎとなり、舗道には日食を一目見ようと俄か天文ファンの老若男女が多数(って自分もそうなのだが・・)。起きた時から薄曇りで見 えるか見えないかの瀬戸際であったが、雲の中で何となく真ん中が暗くなっている太陽を発見!しかし残念ながら日食グラスを買い求めるのを忘れていたため、クッキリハッキリ見えず。準備不足の性格がこんなところで災いしているなぁ。

2012年5月19日土曜日

Weeklyblog 2012/5/7-2012/5/18

2012/5/18(金))

朝から関東の僻地。午後から規格化課長改部長代理に資料説明。セレモニー的に終わらせるつもりが、全く違う展開になり、結局大幅手戻り。まあ何をやってもダメな時はダメ。遠路はるばる都内まで戻り、新橋RyomaにてGW前以来久方ぶりに相棒KZと呑む。終盤、昔は店のカウンターの中にいた別嬪さんと偶然にも再会。酔っ払っていたのだろう名刺を渡した記憶が・・・)

2012/5/17(木)

あすの資料の修正もままならず、約1時間ほど残業して取引先L社のKさんと同僚三人の酒宴に合流。今日初めてお会いしたKさんだが、とても生粋の技術者的かつ紳士的な好人物であった。こういう真摯で紳士な技術者肌の人物が我社(と言うか我が業界?)には圧倒的に少ないのが現実。こういった方と今後も技術動向の情報交換や交流は続けていきたいものだ。

2012/5/16(水)

全く本来の規格化文書が進まないままに、他の文書を作り出さねば成らず。。。遅くまで残業。

2012/5/15(火)

会議終了のどさくさ紛れに同僚M2と呑みに行くことに。。。金もないのにィ。結局一時間で麦酒3杯。勉強せなアカン身なんだが。。。

2012/5/14(月)

考えがまとまらない。ちょっと残った後、帰って勉強。

2012/5/12(土)

快晴!ついこの前の冬にバイクを手に入れたばかりの隣のおじさんは、長いアイドリングのあとVツインを転がして行った。今日はバイクに乗ったら気持ちがいいだろうなぁ。等と思いつつ只管朝から勉強。

2012/5/11(金)

1月末に厄介なパワハラ禿の居た現場を解約になり、その2月に結局退職した先輩Oさんが上京。再就職の報告。なんとビルを売る不動産屋さんに招かれていたのであった。しかもかなりの出世。この世の中捨てたものでないんだなぁと実感。旧組織のM課長、KG長、Uさんも呼んで新橋で座って飲む。最後はシメに博多天神まで行ってしまったが、楽しい呑み。またやりましょねOさん。

2012/5/10(木)

関東の僻地。片道3時間、往復で6時間。起きている時間を18時間としても三分の一は痛勤。

2012/5/9(水)

定時で卓球脱出して自宅で勉強!と思っていたのだが、、帰りに隣のシマの旧友Hと目が合ってしまった。雨の中、神田まで足元ズブ濡れになりながら歩いて吉池で立呑。安い酒をガンガン飲んだものだから帰りは苦しかった。

2012/5/8(火)

記憶がない。

2012/5/7(月)

実兄から夜にメール。結局、連休明けで忙しいだろうにほぼ午前中から半休とって実父の状態を聞きに行って呉れたとの事。感謝!やはり兄弟の長である。父親の状況は実質的には肺炎で発熱しているらしいがこれは入院していたら治る。心配された動脈瘤は既に手術が可能な大きさを超えてしまっているらしい。齢87歳で年齢的なこともあるので、今更手術は何れにせよ難しいとは思っていたが、既に運を天に任せるしかないと言う事か。。。母親の状況も快方に向かっているとは言え、まだまだ退院できる状態ではなく、見に行きたくても関東からは遠く。

2012年5月9日水曜日

Weekly Blog 2012/4/28-5/6

2012/5/6(日)

連休9日目。夜になって実兄から緊急連絡あり。介護施設に収容されていた実父(86)が大動脈瘤と診断され緊急入院。その後の調べで手術可能な大きさを遥かに通り越した大きさであることが判明・・・連休最終日になって重くのしかる現実。

2012/5/5(土)

連休8日目。子供の日ですが、親父は放って置かれているのでバイクで走りに行ってきた。

http://max108km.blogspot.jp/2012/05/blog-post.html

2012/5/4(金)

連休7日目。9時前起床。朝は曇っていたが10時過ぎから晴れてきた。子供達が母親と一緒に出かけて行ったので、4/30に駐輪場に置いて来たままの自転車を取りにJRの最寄駅まで出かける。ついでに12年契約していたが先月水没して使えなくなった携帯を解約。長く使って来て愛着のあるものだったら感慨もあるのだろうが、、、携帯なんて解約してもあっけないもので感慨も起きない。まあそんなんだろう。昼飯を駅前で食って、自転車でふらりふらりと帰ってきた。図書館に行って勉強しても良かったのだが、再び雨が降りそうなので家で取り組む。複素数計算が難しい。

2012/5/3(木)

連休6日目。早朝5時頃に凄まじい雷鳴、「ドドォーン!!」ってすぐ近所に落ちたみたいでちょっと怖かった。良く子供たちが泣かなかった事だ。それでも8時半起床。朝から激しい雨で一日中降り続く。家の中で只管勉強。電界の過去問は出来が50%。公式だけ覚えておけば出来る訳でないってのがこの試験のミソ。

2012/5/2(水)

連休5日目。朝から☂。昨晩の鍋にうどん三玉入れて今日も朝からうどんとする。友人Iに父親の収容された施設迄送ってもらい父親の話し相手。昼前に施設を離れ、待っていてくれた友人Iの運転する車で今度は母親の入院する病院へ移動。見舞いが長引きそうなので、友人Iとまた再びの再会を誓い病院前で別れる。送ってくれて感謝、只管感謝!この日の母親は最初は熱も下がってきたようで元気そうであったのだが、3時間ほど居て、夕方に再び熱を測ってみると38℃前まで熱が高まっていたので安静にするため、お暇とすることとなる。18時過ぎには川崎N700RRで岡山を出て23時過ぎに神奈川の自宅着。一日そぼ降る雨。

2012/5/1(火)

連休4日目。昨晩の鍋にうどんを入れて朝からうどん。実兄の運転する車で父親の収容された施設に行き父親の様子を見る。父親はいたって健康、ただ連れ添いと離れ寂しそうではあった。午後に母親の病院に移動。母親は熱がなかなか引かずかなりしんどそうであった。主治医に聞くところ今回の直接の原因は肺炎だが、昨年見つかったそもそもの骨髄の持病が尾を引いている様だ、今しばらくは安静が必要との事で退院めどとしていた5/8の退院はほぼなし。それを伝えに父親のところにもう一度移動して、夕方5時半に帰ってきてみれば、予てから鍋を約束していた友人Iが駐車場に既に来ていた。入れ替わりで実兄が帰る。友人Iとは何年ぶりの再会だろうか?もう約10年ぶりには間違いない。1996年位までは一緒にバイクで旅に出ていた記憶があるが、この前最後に会ったのは多分2002年位だと思う。夜は昨日と同じく鍋で話が弾む。結局何やかや言って寝床についたのは日付も変わった朝4時だった。。。

2012年5月4日金曜日

Weekly Blog2012/4/21-4/27



2012/4/27(金)そうだ、おでん屋行こう!

卓球脱出で、何年かぶりに池袋おでん屋に足を向ける。かつては毎日部活動のように皆で通ったおでん屋での呑み会であったが、異動だなんだで参加者が一人減り、二人減りして2002年位を境に呑み会が解散状態になって以来おでん屋には足がむいたことは無かった。その内に職場は池袋から港区に移って、ますます足は遠のいていた。先週、新橋でKZと飲んでいて、久しぶりにおでん屋に行ってみようと言う事になり参加者を募った結果、KZ、KTさん、TMちゃんと合わせて四人で行くことにした。(けどこれって花見の参加者なんだけどね・・・)。久しぶりのおでん屋は、相変わらずの飾りっけのない店構えで、、あるのは相変わらずの瓶ビールと、飲んだら必ず悪酔いする日本酒と、腹のやたら冷えるハイサワーと、煮しめたおでんと若干の酒のアテで我々を待っていた。若干、訪れる客が少なくなった様に感じるのは気のせいか?ただ飲み始めるとこの面子は止まらず、昔の馬鹿話を続ける内にあっという間に22時過ぎになってしまった。最寄り駅に着いた頃には既に日が変わり、深夜バスもあと一停留所分を走ってくれず、、、今日も午前様。まあ明日から九連休なのだが。。。

2012/4/26(木)

連休後すぐのレビューに向けて資料を試行錯誤しながら作ってきたが、聞き役の当の本人に聞いてみたら「5/11の予定を延期して欲しい」とのことで拍子抜け。他の予定が決まっていたのなら「はよ言わんかい!」。

定時後、残業をしていたらひょんな事から外線で電話がかかってきた。同僚のSK。業者と飲んでるから有楽町に来ないか?との事なので有楽町に寄る。中華料理で二時間、結局最終バスには間に合わず、午前様一歩手前。

2012/4/25(水)

只管仕事、お勉強。

2012/4/24(火)

只管仕事、お勉強。

2012/4/23(月)

連休前の最後の週、連休後すぐのレビューに向けて邁進なのだが、資料があまり上手く作れていない。。 残業モード。

2012年4月24日火曜日

実母入院

朝、実兄からメールあり。母親が肺炎を再発し入院、足の悪い実父は介護がつかずとのこと。昼前にも再びメールが来て、実父は介護施設に引き取られたので、実母これから本格入院とのこと。退院予定は立たず。昼過ぎに病院に直接、電話をしたら母本人が出てきたが、かなり声がか細く、苦しそうであった。両親以外は実家に誰も居らず、連休の帰省を迷っていたが、見舞いに行くしか無くなってしまった。実家に実父が居るのであれば慰めにも話し相手と食事当番位は出来るかと思っていたが、、、、。とんでもない親不孝だった訳ではないが、30年くらい前は苦労をかけていたのは事実。親孝行を今できる特にしっかりやっておかなくてはと思う今日このごろ。親が歳を取ったのを見て、改めて自分の歳を知る。

2012年4月21日土曜日

Weekly Blog 2012/4/14-4/20



2012/4/20(金)

残業覚悟で臨んだものの24時間どころか8時間で音を上げてしまった。
孤立無援のほぼ一人!で現業務を担当しているせいか、考えることから作るところまで何から何まで一人なので、スランプに陥った時は出口のないトンネルを彷徨っている様なもの、復活のきっかけがなかなか掴めない。もっと考えとけばよかった、今更ここは変えられないなんて悩んで、無駄な時間を過ごすことにまた腹が立って、、のスパイラル。
昼前にお決まりの如くKZから誘いのメール。財布には野口英世が一枚と小銭数百円やのに、結局今週も2度目の聖地龍馬に立つ。早めに切り上げようと言いながら店を出たのは22時すぎ。電験の勉強もままならぬのに!とまた後悔の週末。

2012/4/19(木)

今日は飲まないと決めて真面目に出社。まあ毎日、真面目に出社はしているのだがね。
恙無くというか、やりたかった事の半分も終わらないままに定時。気力続かず退社、東京駅まで歩いて帰る途中で道草。丸善で立ち呑みならぬ立ち読みしていたらあっという間に8時前、慌てて帰途につく。

2012/4/18(水)

営業のUさんと久しぶりに情報交換のため打ち合わせをしていたら、ほぼ予定通りに16時過ぎにMKちゃんからメール。突如のドサと聞いて昨日から約束していたのだが、律儀にメールを送ってきてくれた。卓球脱出で退社して、18時過ぎから聖地龍馬で呑む。最終手前の新幹線まで飲めるとの事。前回(3/16)にドタキャンで飲みの約束を反故にしてしまったので、気にはしていたのだが再会できて良かった。今年に入って飲むのは実は初めて、前に飲んだのは新地以来!あっという間に時間はすぎて、8時20分過ぎには品川に移動。次は5月に行きますよって、また新地で立と!

2012/4/17(火)

年二回ある会社行事の今年度の一回目。
思い出したくない昨年、けど今年も復帰したとはいえ、何だか雰囲気は悪いなぁ。皆、前向いて働けていないように思う。何と言うんだろう皆上を見てしか仕事していないと言うか、萎縮しているというか。。全ては職場の雰囲気なのだろうね。西の人間の方が「楽しく」とは言わないが、「面白そう」に働けている気がする。仕事なんて産みの苦しみの連続なんだから、せめて面白く働けんとなぁ。)

2012/4/16(月)

朝から大阪ドサ。一人で黙々と今の業務を約二ヶ月続けてきたが、9月までの線表を引っ張ってみると一人ではとてもではないが出来ないのが一目瞭然!なので人の手が借りたくてこの小プロジェクトの要員支援のお願いに大阪に行く。GW過ぎからの約束はなんとか取り付け、18時前にはTNとNRの三人で、日本一の商店街のうどん屋で座って飲んでいた。

2012年4月15日日曜日

Weekly Blog 2012/3/17-4/13

しばらくご無沙汰。
思い出したら約一ヶ月書いていなかったので漸く再開。
ちなみに新しい版に移行しようと思いながら放置してます。まあ移行したら宜しくお願いします。

4/13(金)

今週末が今年の桜の最後の見せ場だろうと思いながら、まだ満開の小学校の桜の下を自転車通勤。朝からご本社様に行く。昼頃に案の定KZから「今日は暑いっス」とお誘いメールが来る。本社勤務になたTMちゃんを誘って三人で新橋桜田公園に集合。先週は満開だった桜も、今週末は既に葉桜。昼間は暑いくらいだったのに、夕方から急に風が出てきたので公園で乾杯は止めて、ホームグラウンドRMで立って乾杯!!始めは「今日は軽めに飲んで引き上げよう」なんて言っていたのに、蓋を開ければKZの飲みのピッチが飲み始め一時間位から急に上がり始めて深酒。店を出たら既に外は☂。0時過ぎに最寄りのJR駅に着くも☂の中でタクシーでしか帰る手段なし。まあタクシーの中から小雨の中に咲く近所の桜並木を下から見上げられたのが幸いだったが、、、。ちなみにメールしたところ、KZは案の定乗り過ごしたとのこと。もうお互い若くはないのを自覚しなくちゃなぁ。(それが出来たら悔いはないんやけど・・・)

4/12(木)

朝から下総台地にて仕事。帰りに同僚のOから飲みの誘いが来て、京成立石周辺で呑む。人生二回目の立石。二回目なので、数多ある昭和レトロな店の中から自分の価値観に合うものをに入りたかったが、結局、最初に入ったのが普通の安い居酒屋、あまり美味くはない店だった。適当なアテと瓶ビール、チューハイ飲んで河岸を変え有名店「江戸っ子」へ移動。この辺りの店はまだ宵の口の21時には閉まるので閉店までの1時間程度だったか、、、チューハイ2杯に焼トン二皿で〆る。帰りの電車が事故で動いておらず、結局振替線に何度も乗り換え、家に着いたのが23時。疲れた。

4/11(水)

昼から☂。夜半は先週並みの強風にはならないが、強い雨と聞いていたので早く帰るつもりが、同僚MRTとHMに誘われて神田で飲む。結局最終一本手前の電車で戻ってきたが家に着いたのは24時前。何の話をしたのだったか?某氏のパワハラとセクハラの話だったか・・・

4/10(火)

朝は案の定二日酔気味。こんな事をしとっちゃイカン!と目が覚めて反省しきり。
この週、唯一早く帰った日。24時前まで資格のお勉強。過去問をやってみたけど難問ばかり、理解度20%でかなりショック。飲んでる場合でない!っと決心(するも直ぐに覆ってしまうのだが・・・)

4/9(月)

異動してきた同僚HMと神田で立呑。一杯が二杯、それが四杯と乗数計算みたいに増えていく杯。24時前には家についていた記憶はあるが、、、、to be continued!

4/6(金)

桜は好きだが嫌いだ。
いつもこの季節、まだ気温が上がらない中でも健気に咲く姿は、その儚さはやはり美しい。
だが、、散り際が悲しすぎるな。やっぱりあっしは好きな花は向日葵かな。

午前中、細かくって煩い規格化課長改部長にレビュー。案外すんなり話がまとまって、今週の仕事はほぼ午前中で終わってしまった。

昼過ぎからKZとどちらからともなく花見に行こうと言い出して、本社のTMちゃん、プーのKTさんを誘って新橋桜田公園へ。まだまだ寒いが今日が「東京の桜の満開日」だそうだ。桜樹の下でサッポロ黒ラベルを一缶だけ飲んで早々に店へ。KZの見つけてきた魚の店で久しぶりの再会を乾杯、途中でTGが登場してさらに酒が進む。皆と別れたのが23時半前。TGと帰る方向が一緒なのでそこからまたグリーン車に乗って飲もうとするも、既に車内販売ではビールが売り切れ、結局家に着いたのが1時前だった気がする・・飲みすぎ。

4/5(木)

記憶なし。
4/4(水)

記憶なし。
4/3(火)

4/6のレビューに向けてかなり切迫しながら仕事をしているのだが、昨日の天気予報通り午後から台風並みの暴風雨との事で15時過ぎには強制退社となる。会社を出て早々に、一帯を吹くビル風で骨が曲がっていた傘が、その曲がった部分からグニャリと骨が折れてしまい閉口。早く帰っても家で同居人の女性に悪態突かれるのも嫌なので元気に動いているJRに乗って横浜まで帰ってきた。時は17時過ぎ。そのまま帰るのは避けたいので、道草がてら紀伊国屋に寄って立ち読み、18時過ぎに駅まで戻って見ると、なんとまぁJRは唯一、横須賀線を残して全て運休状態。大幅に遅れながらも何とか動いているすし詰めの横須賀線で移動して、最寄駅からはバス、かなり雨も上がってきたかな?と気を許したのも束の間、バス停に降り立つとほぼ同時に、待ってましたとばかり風雨が強まり、バケツどころか風呂桶をひっくり返したような雨に曲がった傘が一瞬にして折れ、全身ズブ濡れ・・・それにしても傘って一箇所骨が曲がると簡単に潰れてしまうものなのだ。50歳手前になって初めて知った。
4/2(月)

記憶なし。
3/31(土)

記憶なし

2012年3月17日土曜日

Weekly Blog 2012/3/4-3/16

2012/3/16(金)

終日丹波の山奥で打ち合わせ。
山奥を夕方五時半過ぎになんとか脱出したが、こちらが目測を誤ってMKとは結局すれ違いで、呑みにいけず・・残念!!終電のぞみまで折角だから飲みに行きたかった。希望破れて「のぞみ」で帰るドサ帰り。

2012/3/15(木)

夕方四時半過ぎから大阪に移動。八時過ぎから京橋でSSやん、SGやん、NRと呑む。泊まりは淀川区。

2012/3/14(水)

巷は、良い歳こいたおっさんが列を作りホワイトデーなんて言う下らないイベントに騙されてお菓子なんぞを買っているが、こちとらそんなご縁は無いので無視!
帰宅途中、息子の誕生日のお祝いを買いにおもちゃ屋へ、迷った挙句手作り天体望遠鏡なんてものを購入。サッカー馬鹿にしないために、色んなものに興味を持って欲しい。親心。

2012年3月3日土曜日

Weekly Blog 2012/2/18-3/3

2012/3/2(金)

昼過ぎから雨。
同じ部署の人間が殆ど居ない事務所で、ただ只管地味に自分達の職掌文書を作り続けている。
が、飽きるときは飽きる。自分達がやらねばならぬ事を、今まで重ねて来た経験と、知識を書き連ねているが、はたと気がつくと記さなければ成らぬことの多さに唖然とし、先が思いやられる。今まで出来ていなかった事のツケと言えばツケ。ただ私の代で何とかしなければ、この先この組織が切るか切られるかの選択を迫られるのは目に見えている。責任は重い。少し残業をして霧の様な小雨の中を八重洲口まで歩いて帰る。午後9時半に帰宅。家では零時前まで約一時間半、電気理論と格闘。

2012/3/1(木)

かねてより友人の英蟯虫がスマートフォンをこき下ろしていたが、私も同感だった。がこの数日間、実は7インチのタブレット型は、今年再挑戦を決めた某試験の学習用動画を通勤時に見る為にはベストなアイテムに思えてきて、そうなるとDVDまで見ることのできるノートPCも何故か色あせて見えていた。で、タブレット型のPCが何とか安価に手に入れられないかを探っていたが、有楽町の某大手電気店で店員にヒアリングをしてやはり苦労をしてまで手に入れるものではない事を再確認した。まああれば便利なツールでしかないが、無いなら無いで別にどうでもいいツールではある。

2012/2/29(水)

未明より雪が降っていたが、朝、家を出た時には積もりかけていた。朝の内、事務所で仕事をして、昼から出かけようとすると外は真っ白!ビルを出て道を横切った所で「こけたら拙いな」と思った途端、足を掬われるようにあっけなくこけて尻餅をつく、、、、情けないけど自然に弱い都会人を体を張って演じる阿呆。
新橋からの「ゆりかもめ」が「越冬かもめ」になったらしく、この大雪で遅れまくり。結局ビックサイトに着いた時には聞きたかった講演は既に始まっていた。結局、途中から講演を聞いて、広いビックサイトの会場を只管興味に任せ見て歩いて、すっかり疲れた。

行ってたのはこちら → http://www.smartgridexpo.jp/

2012/2/28(火)

平凡な一日、帰りは八重洲口まで歩く。

2012/2/27(月)

結局、飲みに行く。御本社様の近所で約二時間、ダブルMRTと三人で。

2012/2/26(日)

誓約書入手。こんなもの貰ったって、失敗した時の支払いは保証人が負うしかないのだ。まあ自分で言った手前貰っておくが、それよりも世の中そんなに甘いものでは無いと言うことをまずは知るべきだ。何もかも自分の考え通りには動かない。家の中で「あほ」「ぼけ」「かす」「バカ」「糞」「虫ケラ」と他人をこき下ろし放題、言いたい放題だった態度は、そうそう簡単には変わらない。

2012/2/25(土)

お役所に上申書を出すのは一時延期とする。相手がどんな結果に陥るか解らないこの時期、裁判所までが動き出すと、上手く行くものも行かなくなるという懸念と、そもそも「別れる」とか喚いているのはあっちだろう。であれば、あっちから出すのが筋と言うもの。暫く静観する。

2012/2/24(金)

立呑酒乱!
親友KZと新橋。反省会。場所はホームR。関東で駅前以外で呑む時は、この面子で呑むのが一番エエ。

2012/2/23(木)

大阪から先輩社員Nさんドサ。Oさん、MRT、急遽誘ったKZと新橋で座って呑むが、Oさん怒りまくり、Nさん下品すぎ、KZに悪いことをした。

2012/2/22(水)

行ってみたら新部署のブチョーさんが居た。一緒に呑んだが。まあ奢ってくれとは言いませんが、財布の中のなけなしの5千円が吹っ飛び、ギリシャ人は二番底、もう本当に一文無し。

2012/2/21(火)

旧部署のブチョーさんと呑む。旨かった。

2012/2/20(月)

記憶なし

2012/2/19(日)

記憶なし

2012/2/18(土)

記憶なし

2012年2月17日金曜日

Weekly Blog 2012/2/3-2/17

2012/2/17(金)

午後から一人で事務所を引越し。閑散とした移った先でPCセットアップして夕方に終了。
雨が降り出した中を八重洲口まで歩く。夜半には雪になるとのこと。
丸善で小一時間、時間を潰し家まで三時間の旅。

2012/2/16(木)

失敗プロジェクトの最終報告。
「最初からやらん方がエエと思ってた」とは、最初から「やろう!」と言った張本人の弁。
一年も時間がたてば、自らの言った言葉を忘れるのが組織の長。

これを煎じて飲ませたい!












2012/2/15(水)

夕方、今日は素直に帰ろう!って思っていたのに、、、営業のUさんが「行きましょかっ!」て誘ってきた。
会社を辞めたMさんと待ち合わせ、渋谷で2時間半。
今週初めて自分のカネで呑んだ。そして無一文のギリシャ人になってしまった・・・・・・・・
肝臓稼働率は今週も100%

2012/2/14(火)

夕刻、一旦諦めた団長との国内最終呑み。団長からメールが来て品川で某社の偉い人と飲む。
トンだ日にいる、冬の虫なのだが、見ず知らず、共通点は元従業員と現従業員の違いだけ、年齢も離れているのに、、、暖かく迎えてくれるって、なんて良い人たちなのだろう。S社のW副本、O課代、そして団長様。
最後は社費でお支払い頂き、ありがとうございました。
そして団長!日曜日はアジトまで行けないので、、、独逸までの道中お気をつけて!その日まで再見!

2012/2/13(月)

関西企業に勤める実兄が東までドサって来たため、こらまた品川界隈で働き都内某所に住んでいる実姉も呼んで品川で兄弟会。それぞれ私から見たら、4歳ずつ年上なのだが、、、ウチの事で多大な心配をかけていることを実感。それにしても正月はあまり気づかなかったが、実兄は段々風貌が実家の実父の貌にそっくりになってきた。まあ親子だからな。
仲間内であれば、絶対普段は足が向かないようなホテル一階の高級居酒屋!当然座り!しかもお代は実兄の交際費で呑ませて頂きました。しかも実兄は持病があるので飲めない身の上なのに・・・ただ感謝!!

2012/2/11(土)

長女の学芸会。良く笑い、いい笑顔。子供は素直に可愛い。


2012/2/8(木)

十年ほど前、上司だったAさんのご尊父様、お通夜。
卓球脱出で定時に御本社様を出て、式場に着いたのが丁度19時。Aさんが丁度53歳だったから、ご尊父様は80歳代の筈。戦争を知っていた最後の世代。あの廃墟の戦後から右肩上がりの昭和の成長期にサラリーマンだったのだろう、Aさんが作ったと思しきデジタルフォトフレームで流れる、Aさん幼少期からのお父さんとの思い出写真を見ていると、不意に我が家もそうだったなぁとほんの一瞬だが、意識が昭和にタイムスリップした。死は誰にも平等にやって来る。合掌!
帰りに横浜駅前で有志四人で小一時間、立呑。

2012/2/7(水)

タイガースのホームが聖地甲子園なら、我がホームは聖地新橋西口なんである。
今日も、立呑み。

2012/2/5(月)

大阪からSやんとAちゃんがドサッて来た。
望みの無い国の最終二本前位の「のぞみ」で帰るって事なので、八重洲の立呑みで一時間半程度呑む。
彼らと八時に東京駅で別れ、東海道線へ!
気がつけば茅ヶ崎。
時間が早かったので助かったとは言え、月曜から乗り過ごしは精神的にドッと疲れる。

2012年2月4日土曜日

Weekly Blog 2012/1/29-2/1

2012/2/3(金)

インフルエンザが猛威を奮っているが、午後から体調不良。夕方から医者に言って直帰。医者はインフルエンザ初期だと検査してもわからないからといって、インフルエンザの進行を止める薬?を処方。それを飲んで、夜の8時から12時間ほど眠る。熱は無く、恐らく単なる風邪。

2012/2/2(木)

例の書類を午前中に取得。いよいよxデー間近。
会社では只管、Ecoモード。
定時後に卓球脱出で、会社の近所で三人で呑む。

今週の定時後は全て、肝臓稼働率100%。

2012/2/1(水)

朝から御本社様に帰還。まだ異動も正式に決定していない身。
オレンジ色LEDを点灯させたいわゆるEcoモードみたいな感じ。
部屋の隅っこでベトナム帰還兵みたいに、何故か目立たぬ様に息を潜めて最終報告書を作成している。
当然、定時後は卓球脱出で、ひょんな事から同僚Mと新橋で呑む。

それにしてもニュー新橋ビルはアブナイ!
中国系の綺麗なオネエサンに、「ビール安いアルヨ!生290円アルヨ!」って誘われて入ったら、料理のお品書きがどれも500円~700円だった!要は安いビールと別嬪のお姉さんにしてやられた!

日本人ビジネスマンの街、新橋に押し寄せる漢流商法、恐るべし・・

2012/1/31(火)

晴れて娑婆に出る。国際的資金洗浄会社よ!いつか君達の手が後に回る日が来るだろう!

無法地帯の酒場で関係者一同、打ち上げ。
もう二度とこの地を踏むことも無い。

2012/1/30(月)

朝から最後の報告会。もう残り2日になって、国際的資金洗浄会社のマネージャがまた吼え始める。何が「引継はどこまで出きました?」だと、こちとらお前達からこの仕事を預かった時点で引継ぎなんて全く受けなかったんだよ。しかも「何故、何も言ってこないのですか?」だと。ふざけるななのだ!おれたちゃこのフォーメーションをお前達に言われてやって来たんじゃない。俺達で考えてこのフォーメーションをやって来たのだ。それを継承したく、引き継いでほしいなら次の会社が聞いてくるべきでしょう。所詮、資金洗浄会社のマネージャなんか意識はこんなもん。「他人のモノは自分のモノ、自分のモノは自分のモノ」って意識。あいつ等の後出しじゃんけんにはもう従う必要は無い!

で、卓球脱出で今日は神田で若い奴の送別会。
同業他社に転職するのが何とも複雑だが、まあ頑張って!

2012/1/29(日)

この日に何をやったかと言うのは、実はこちら・・・

http://max108km.blogspot.com/2012/01/zeroemission.html

2012年1月28日土曜日

Weekly blog 2012/1/21-1/28

2012/1/28(土)

朝、7時半過ぎに突然、地鳴りと共に立て揺れ、そして暫くして強い横揺れ。ほっとした数分後に再び強い揺れで、すっかり目が覚めてしまった。震源は富士山のすぐ近く、あの富士吉田の近くだ。富士山の火山性ではないと発表されていたが、本当か?

午後は自転車に乗って駅前まで行って、もう一台の自転車に乗り換えてくると言う行動に出たのだが、ひょんなことから、ひょんなことに。。。



2012/1/27(金)

早朝目が覚めると4時、酒臭い。芋焼酎の臭いが鼻について酷い二日酔い状態。そこから約2時間、朝の6時に目覚めてもあまり体調は変わらず。軽い二日酔い状態。リタイアまであと2日なのだが、、、この現場での顧客向けの最後報告書つくりに、渋々職場に向かう。と、何だかんだと朝から色々あって、結局、報告書は完成せず残業。帰りは薄ら雪の降る中を帰る羽目になった。

2012/1/26(木)

最近は、ただ契約終了までのアリバイ作りのために来て座っている様なもの。殆ど顧客向けの仕事はせず、来月以降の組織体制だのを考えたり、自社向けの最終報告書を書いたり自由にやっている。定時になったら卓球脱出で無法地帯の駅前の立呑屋に直行。二杯が三杯になり、ホッピーが芋水になり、終わってみればヘベレケ。

2012/1/25(水)

朝から主治医に1ヶ月程前の検診の結果を見せに行く。朝のうちはずっと医者にかかり付け。午後には家に帰りたくなくてある事を実行。詳しくはwebで!



2012/1/24(火)

何も無い一日。

2012/1/23(月)

昨夜から雪が降る、朝も降ったり止んだり、寒い一日。

2012/1/22(日)

昨日とは変わり日中は雨のち雲、一時晴れ間も見えたが、夜半からまた雪。

2012/1/21(土)

朝から同居人が長男を連れ試合に出かけた。雪交じりの小雨の降る中ご苦労なこった。
一日、小雨の中、娘を連れて外出もできず、只管家の中で遊びの相手。空いた時間で英語の自習。英語は今週も精力的にこなす

2012年1月21日土曜日

Weekly blog 2012/1/14-1/20

2012/1/20(金)

朝目覚めると雪!今シーズンの初雪だと思う。
夜明け方にトイレに立った時はまだ雨だったので、丁度家を出た時間帯から降り出した様だ。幸い積もりはしないが、凍てつく寒さ。最高気温5℃。一日中冷蔵庫の中状態。
まあ冬はこれくらいで無くっちゃネ!本当は。

2012/1/19(木)

昼過ぎから営業も一緒に大挙して顧客あいさつ回り。まさか「解約ありがとうございました」とも言えず「非常に残念ですが」だって。演技が上手いネ!みんな。夕方の報告会も恙無く終え、無法地帯の駅前の座って呑める安酒場で反省会と称して呑む。この安酒場は打ち合わせに随分と使わせてもらったが、あと一回くらいしか来れないね多分。

http://www.sankofoods.com/shop/kinjr/kinjr_shop109.html


2012/1/18(水)

呑まない日は単調だ。早く帰っても子供達は既に夢の中、配偶者の不機嫌さを見るのも嫌で避けて生活するしかない。別に悪いことをしているワケでもないのに。だから自ずとなるべくゆっくり長時間掛けて帰る癖がついてしまった。所謂、帰宅拒否症候群だ。この日も19時過ぎには事務所を出ていたが、家に帰ると22時前。新横浜から新大阪までは帰る事が出来る計算。人生の何割をこんな嫌な思いをして過ごしているのだろうと思ったら虚しくなった。まあ相手もそう思っているのかもしれないが、、、早く決着をつけた方が良い。早く。


2012/1/17(火)

大学時代の相棒Iから久しぶりにメールを貰う。二年ほど前から彼が岡山に在住しているのは知っていたが、携帯の電話番号をどこかの時点でロストしてしまってメールもこの数年は送ったことも無いと言う不義理を働いていたので、もっぱら最近は年賀状の付き合いだったので驚いた。

この前飲んだのは梅田だったっけ?あれは2004年くらいだったか?メールのやり取りは確か2007年くらいが最後だった気がする。

お互い歳を取ったのだろうなあ、そういえば年賀状には「老眼で車の運転が怖い」って書いてあった気がする。それでも四輪でのレースは止められないみたいやなぁ。まあこっちも同じ様なもん。老眼は進行し、食べているものが何か判別がつかなかったりする。それでもオッサンは「エンジンもの」に乗り続けるのだが、、、。まあ近いうちに呑みましょう。落ち着いたら是非。


2012/1/16(月)

二年前に一緒に働いていた元同僚Mから「呑みたいのだけど・・」と朝からメールが来る。2月から彼のところに部署異動になる可能性は高い。

よって、卓球脱出で新橋に向かい、元同僚Mと再会。
まあ、今あそこの組織は部長の下では彼が仕切っているので、出戻ってきて何をやりたいか?の部門長の意思確認みたいなもんなんだが、、、、お互い四十代も残り僅かになってきて、あと十数年どう働いていくか、何をなすべきかと意見を交わしていくと、「自分達がこの組織を引っ張らねば誰がやるんだ!」って結論になって面白かった。

最後は「俺に任せて」と言質を引き出して終了。あとは元同僚Mの判断にゆだねることとなった。


2012/1/15(日)

下の娘の子守番。一輪車にも飽きたので、漁師町の本屋まで娘とハイキングウォーキングなのである。

途中、山を越えるのだが、その山越えの途中にあるのが「朝ズ〇!」で有名な、あの「品性の無い司会者」の豪邸なのである。「庶民の意見の代弁者」、「井戸端オジサン」みたいな役作りに徹しているが、実はあのオトコは「成金趣味の大豪邸」に住む「単なる世間を舐めた芸能人」なんである。

で、まあそんな事はどうだっていいのだが。
あの大豪邸の横の山道を歩いている時に、金網フェンスの向こう(つまり豪邸側)は藪で何も見えなくなっているのだが、その藪の中を何かが追いかけてくる気配があって不気味だった。恐らく番犬なのだろうが、泣かない様にでも躾けられているのかも知れない。

あーそうか、まあそんな事はどうだっていいのだ。


2012/1/14(土)

朝からヨメが居たが、子供達を連れてどこかに行方をくらます。別にどうだって良い事である。興味が無い。
朝から一週間の報告書をまとめていたら昼飯時になり、彼らが帰ってきたので昼食。

午後からは溜まっている英語のEラーニングを積極的にこなす。今月末で英語を使う環境を離れるのに、今更何故やるのかと言う疑問は無いことはないが、PRJが佳境に入っているときに支援を訴え続けても何の施しも無く、合併だの何だのと新しい組織体系になった途端にドサクサ紛れに教育の社費を分捕ったのだがその頃には既に英語圏からオサラバって顛末が待っていたという話。

ただ、今からの世の中、英語の一つや二つ話せなくても読めて話せる位にはなっておかなければと言う思いもある。まあ五十前の手習いやけど、、、。やっているのは中学レベルの英語だし、、、。
ただ、このEラーニングだけは最後まで全うしようとは思っている。

で、そんなこんなで日が暮れて、寒空に外に出る気もしないまま、結局この日は一歩も外出せず。

2012年1月14日土曜日

Weekly Blog 2012/1/8-1/13

2012/1/13 (金)

朝からウチから入れた現場リーダーに呼び出され「お前の下ではもう仕事したくない辞めさせてもらう」といきなり修羅場。一昨日、無法地帯の立ち飲み屋に一緒に行った仲じゃない。予想だにしない展開に頭が真っ白。彼(と言ってもこの人は二歳上の先輩なのだが)曰く、私もハゲと変わらん、メンバーの前でああせぇ、
こおせぇって指示ばかり、自分にもプライドがあり自分のやり方がある。面子が丸つぶれだとのこと。相手に言い分があるように、当然、私にも言い分はあるのだがプロジェクト終焉残り2週間になって、今、辞めても結局彼の不利になるだけ。とにかく、謝罪して説得して、漸く落ち着きを取り戻す。俺もおかしいが、皆、気が立っている。ホンマ、このプロジェクトとこの顧客の案件は皆が不幸に、不機嫌になるだけやな。

2012/1/12(木)

朝から市役所と年金事務所周り。家でゆっくりなんて出来る筈ないので7時半から古都駅前のカフェで時間つぶし。既に9時前から開いている市役所で戸籍謄本を発行してもらって、その後は年金事務所に移動。随分と待ったが、係員は手馴れたもので、「調停の為の証明書作成ですね」と何度も念を押しながら、約10分程度で口頭のやり取りがあり書類申請が完了。昼から行きたくもない職場へ。


2012/1/11(水)

調停申請を近日中に出す予定であったが、法律上は夫婦が別れる時は、共同生活で得た利益・資産・負債は平等に半分というのが決まっているため、年金を半分にした場合の計算書が必要になる。なので、その内容証明書類を年金事務所で作成する必要があるのだが、電話をかけて聞いてみると何と申請から3~4週間掛かるという。よって悩んだ挙句、仕事ももう畳むだけなんでヒマだし、急遽、明日朝を休みにして年金事務所に行くことになった。定時後、無法地帯の駅前の行きつけの立呑屋に直行。

2012/1/10(火)

三連休明けだが、最近は休みで家に居ても全く面白くないので、会社に出ているほうが良かったりする。朝から顧客への報告の予定が今日は無し。昼前まで平和だったのだが、昼前になって顧客から「聞かれたことにテメエの所から入れた現場リーダが即座に答えられないのが気に食わない」と言って隣席の顧客マネージャの若ハゲが吠え出す。三十畳ほどの狭苦しい事務所内のメンバーも居て、他の請負会社の連中も居る中でこの勘違いした若ハゲは平気な顔でパワハラをする。こいつホンマにそこいらのガキと変わらん。本来ならどついても良い位だが、今はただ立場的にひたすら頭を下げて、謝る演技に集中。何とか宥めたが、世界有数の資金洗浄金融グループの社員のこんなハゲたガキに偉そうに言われる筋合いはない。
お前、そんな会社に勤めていて恥ずかしくないのか?と心の中で捨て台詞。

2012/1/9(月)

三連休最終日。午後に娘の一輪車の練習に付き添うこと一時間。昨年のクリスマスにサンタさん(所謂この私)からもらったばかりなのに、あれから二週間と言う短時間の間に随分と上手くなったものだ。子供の成長は早く、あっという間に色んな物事を覚える能力には目を見張るばかり。そうこうする内に、あっという間に夕方になり、寒いので家に退散。夕方以降は、家庭内別居の人。

2012年1月7日土曜日

Weekly Blog 2012/1/4-1/7

2012/1/7(土)

外は寒い、久々に冬らしい天気。

昼。
散髪に行く為に自転車に乗って家出。
JR駅の千円床屋まで約二十分掛けて走っていく。冬だというのに太陽が眩しくサングラスが欲しい位。
散髪後は家に帰っても面白くないので、本屋によって適当に道草。

夜。
単身赴任の件や、家事調停に掛ける事への合意を嫁から得ようと思ったのだが、あっけなくヨメから「キモイねん!」っと吐き捨てるように言われ断念。話し合いも出来ないのなら「協議」すら出来ないと言う事。
所詮、夫婦は赤の他人だが、こう言う場合は「人」としての最低の対処の仕方と言うものが有るだろう。

「人」として付き合えなえなくなったら、終わりだ。

ヨメにはもう、昨年の今頃感じていたような妻として見た「哀れみ」は感じないが、またそれとは違った、何というのだろうか、人としての「哀しさ」を感じる。何時ごろだったか、彼女が義父に悪態を突いていた姿を見て醜いと思った事が有ったが、、、、家庭環境が人格形成には大いに影響するのは間違いないと思う。

2012/1/6(金)

現場のクロージングが近い。もう1ヶ月を切った。今はモラトリアム期間なのに・・・

昼前に顧客から「事実関係が知りたいので、(もう辞めた)あの人に連絡取れないか・・」と連絡が入る。
職場環境と、この人物の所為でウチの前職者は「精神的に耐え切れなくなって」鬱になり、辞めたのだ。否、医者に辞めるように諭されたのだ。あんたなんかと今更話したい筈などサラサラ無いのを理解して欲しい!と思ってもこの人物には解らないのだろうが。。

で、それから御本社様への連絡、上司裁定、会社回答検討、中間報告などなどがあり、、その間にも、辞めた前職者に打診を掛けるなどして、結局この日に出来る対応が終わったのが19時。疲れた。

そんな間にも、ヨメから「あんたなんか大っキライ、早く別れなさいよ!」的なメールが来て、精神的にかなり凹む。家に帰りたくない。

結局、寄り道して帰宅は22時過ぎ。

2012/1/5(木)

単身赴任リスクについては女房にメールで説明をしたら、罵詈雑言の嵐。一日中憂鬱。

定時後、憂さ晴らしに浜松町で呑む。
貿易センタービルの地下。薩摩焼酎の居酒屋。おでんが上手い。

http://www.rea-lize.co.jp/cr/chadama/

名水仕込?だったかな。予め6対4で焼酎と水を甕で寝かせて馴染ませた芋焼酎が旨かった。
佐藤の黒ともう一つ。。名前は忘れた。この燗が旨い。所謂、理論的にはお湯割りなんだがね。

2012/1/4(水)

仕事始め。
解約が決まっているので、何だかいつもの年始の様に前向きに昂ぶる気持ちが起こらない。緊張感は全くなし。客に評価されることも無いのだし、本当に「テキトー」な感じが漂っている。
ただし、クロージングと言う後ろ向きな仕事に向けてちょっと積極的かな。
まあ解除通告時に全く感じなかった「解放感」が、漸く体感出来てきたのかもしれない。

昼過ぎに上司から電話アリ。2月以降の身の振り方について相談したいとのこと。

定時で上がって、新橋で呑みながら話をする。
元の部署。元の仕事。まあ「現場処理」なのだが。。。
今は会社が投資基調にあるために仕事は尽きないとの事。また関西圏が活況で単身赴任リスクはあれど、やる気なら異動で話を進めるとのこと。一年間苦労を掛けたから、ここは配慮するとの事。
この上司(MS課長)とは、過去にも兵庫の山奥で一緒に仕事をしている(その時も部下だった)が、本当に現場思いのいい人だ。今回解散するPRJは顧客は最低であったが、上司にはM部長もMS課長も、KG長もいい人ばかりだった。

だが、単身赴任リスクに関しては既に関係が破綻しかかっているとは言え、女房の意向も聞かないといけないので、一旦来週はじめまで返事は保留。

2012年1月3日火曜日

新年三日目

新年も三日目。

昨日は初夢らしきものは全く見なかったのに、今朝はもう明日から仕事始めだからだろうか、明け方見た夢では客の前で報告している自分がいた。何だか憂鬱。

相変わらず、8時半過ぎに起床。箱根駅伝をTVで眺めたりしている内に、昼飯。
親子三人で昼飯を食って、ちょっと眠いので横になっていたら、下の子(娘)に叩き起こされ、上の子(息子)と一緒に高校サッカーを見る。3時過ぎになって、娘をテニス教室に送っていき、テニス教室の横の広場で息子のサッカー練習に付き合う。
女房からはサッカーに興味のない奴は練習に付き合うなだの、何だのボロカス言われているが、知ったことか。

それよりも何よりも、良く晴れて無風の真冬の3時過ぎ、だだっ広い広場で居るのは気持ちが良いモンだ。
凧揚げに興じる親子、ランニングをするオジサン、ベンチで寛ぐ老人。平和な正月が広い広場で演じられていて、人間の日常極ありふれた光景が、何だかとても素晴らしい事であると実感する。
そして、暮れて行く、青い空を眺めながら、何だか冬の寒さを愛おしく思う。
これで、自分の家庭が幸福であれば何も言う事はないのだが。

覆水盆に還らず。

2012年1月2日月曜日

2011年末~2012年始

2012/1/2(月)

休日恒例、朝8時半に女房が出払ったのを確認して起床。
子供達に「あけましておめでとうございます」の挨拶をして、御節を食べる。
子供達は年末年始に、江の島に遊びに行ったとのこと。
それ以外は多くの事を話さない。女房と収拾のつかない大喧嘩をして一年余り、子供達はそんな処世術なんて身に着けなくてもいいのに、子供達なりに処世術をわきまえ、女房との行動に関しては余り多くを話さなくなった。

昼食を作り三人で食べ、近所の公園で上はサッカー練習、下は一輪車をして遊ぶ。
公園から帰り、年末に書かなかった年賀状の作成に入る。

女房が五時前に帰ってきて、子供達は再び女房モードにはなったが、大きな諍いもなくまあ平和な一日。
夜、皆が寝静まって「冬物語」を飲みながら、NHKのエベレスト登頂記録を見る。

2012/1/1(日)

朝8時半起床。父親、母親、実姉に年始挨拶。
御節を食べ、今日再び自宅に帰るための荷造りをし、年始恒例の下らない番組を見ていたら昼になり、うとうとしていたら、実兄と義姉、甥、そして義姉の実母(実兄の義母)がやってきた。姪は遅れて新幹線で来るという。

実兄の義母とは、甥が生まれた頃に、義姉の実家を訪ねたとき以来の再会なので、23年ぶり。
お互い歳を取りましたが、こうやって実兄の実家まで訪ねて来てくれる事に感謝!

実兄、義姉とも二年ぶり、甥に至っては恐らく4年ぶり位なのでなので、もっと話していたいのだが、自宅帰らねば成らぬ為、18時過ぎに実兄にJRの駅まで送ってもらい、19時過ぎに「のぞみ60号」川崎N700RRの人となる。日が変わる頃、自宅着。

2011/12/31(土)

朝から何もしていないのに、あっと言う間に日が暮れた。と言うか、年が暮れた。
2011年も終焉に近い。
齢86、足は動かぬが口は良く動く実父と、まあ良く動き回る実母、二年ぶりくらいに実家で会う実姉と、何も見るものがないと言いながらチャンネルをあっちゃやったり、こっちゃやったり。

けど、今年のテレビは面白く無いなぁ!時代劇が一つも無い。
来年の大晦日はコレだ!テレビ東京辺りでやらんか?

**********2012年大晦日 年末大時代劇 12時間スペシャル**********
「大忠臣蔵」

Cast

大石蔵之助 役所広司
浅野内匠頭 東山紀之
吉良上野介 江守徹
脇坂淡路頭 堺雅人
高田文兵衛 佐々木蔵之助
堀部弥兵衛 笹野高史
堀部安兵衛 高橋克典
柳沢吉保 中村獅童
徳川綱吉 温水洋一
大石主悦 桜井翔
大石おリク 黒木瞳
陽成院 仲間由紀恵
萱野三平 原田泰三
清水一学 二宮和也
千坂兵庫   香川照之
高尾太夫(架空)小雪
お篠(架空) 大島優子
お美代(架空) 前田敦子
お軽      前田愛
勘平      亀梨一也
土谷主悦    平泉成
東山天皇    阿部サダヲ

ナレーション  石坂浩二、黒木瞳

主題歌 「蕾」コブクロ

*******

Castで多少ミーハーな部分があるのは、実姉の推薦である念のため。

でも架空の話をしても仕方がないので、NHK紅白にチャンネルを合わせてしまうのは、昭和の育ちだからか。

石川さゆりがトリを取るのは良い事だが、「津軽海峡冬景色」なのはちょっと残念・・・
やっぱり「天城越え」でしょ?

と言いながら、2012年が終わった。

2011/12/28-29

卓球脱出で職場を出て、甲子園口に直行。
アジトに場所を移して、日付変更線辺りから駅前鍋。

呑んで食って、寝て。
起きたらまた食って、呑んで。

29日の19時過ぎまでアジトにいたが、そのまま居ついてしまいそうなので、重い腰を上げて移動を開始。

21時過ぎの新幹線に乗れ、日の変わる前に実家着。
公的な駅前行事もこの日で終了。