2013年1月28日月曜日

Weekly blog 2013/1/15~1/25

2013/1/23(水)

大阪からMKがやってくると楽しみにしていたのに、やって来たは良いが、今日は呑めないと言われガックシ。相棒KZとは「それでも呑もう!」と新橋に集合。新年初めて相棒KZと呑む。勿論、竜馬。年始から飛ばすのはしんどいので、21時過ぎには新橋から帰途につく。

2013/1/22(火)

大阪から実姉がドサで出張。浜松町で呑む。

2013/1/18(金)

この日、朝10時からYokohama Home Courtに行く。
折角、前夜言いたいことを文書化したのだが、調停員の進行ペースに乗せられて調停は進み、結局文書は出せずじまい。
然しながら、前進は前進。離別は恐らく春5月。家は渡し、子供も渡すのだから文句はないだろう。
結局、三時間近く調停は続き、来月に第四回をやることが決まった。
第四回で決裂すれば、後は裁判しか残っていない。
午後から住宅ローンを組んでいる銀行に行き、その後、湘南の辻堂まで登記簿を取りに法務局まで行く。
全て終わったのは16時前。そのまま家に帰りたくないので、東京行きの電車に乗っていたらいつの間にか新橋。
今日は相棒KZも居ないのだが、一杯ひっかけて帰ろうといつもの竜馬に入る。たまたま隣で飲んでいた人に「常連ですか?」と声を掛けられ、話をするうちに、外注さんだがうちの組織で働いていると言う事が分かり、、、結局ビール二杯に焼酎を二杯、それで帰ろうと思ったら、「もう一件行きませんか?」と誘われて、結局、新橋から電車に乗ったのが23時すぎ。長い一日。

2013/1/17(木)

十数年前の上司Uさん。既に今の組織を辞め、他に移った方だが。そのUさんのご母堂様が逝去されたとKZより連絡有り。仲間内で人を集め弔電。ご冥福をお祈りします。

2013/1/16(水)

当分、相棒KZが飲みに行けない宣言をしているので、飲みにもいかず黙々と仕事をして黙々と帰ろうと思っていたが、大阪からOさんが上京、新年の挨拶。
18時過ぎに事務所を出て東京駅に向かう。流石に懐かしい横浜の無法地帯で飲むには寒すぎるので、東京駅の真ん前の八重洲「呑うてんき」で再会の乾杯。元気そうで何より。
昨年の今頃はこのOさんにPRJ終了直前に激怒され、辞める辞めないの大騒動だったが、結局辞めて特殊建物専門の不動産屋になったOさんはいつも明るい。
うーん、転んだ結果吉と出てるねOさん。20時前には宴も終了。帰途につく。

2013/1/15(火)

前日昼から降り続いた雪は、前日日中で約20㎝は積もっていた。夕方まで降り続き、夜半から霙混じりの湿雪。
朝、早めに起きてみれば外は一面の雪景色。朝刊を配りに来たカブの轍跡だけが微かに溶けている状態。
5時半には家を出て恐る恐るユルユルと歩きながら、山越えのK急バスは走っていないと判断して、山を越えないE電バスのバス停に向かう。
何分待っても時刻表通りにはバスは来なかったが、とは言えJRの駅には6時半過ぎには到着。
電車はいつもと違う路線で遅れはするも、定刻には会社に着く。何だか期待した通り?には混乱は無く出勤できてしまう。
日中は恙無く仕事を済ませ、夕刻外に出てみれば既に都内は雪が大方融け出していた。
寄り道もせず、JRの各駅停車で最寄駅に戻る。帰りもバス。かなり融けてはきたが家の周辺はまだまだ雪が道に積もっている。
当分、チャリンコ通勤は無理だな。

2013年1月14日月曜日

Weekly blog 2013/1/7~1/14

2013/1/14(月)

朝9時前に目覚める。朝食を食べている間に雪。今年の初雪。昼前には見る間に20㎝ほど積もり、豪雪地帯の様相になってきた。

2013/1/13(日)

目覚めが良くない。やはり日本酒の深酒は後で来る。

九時前に起床。
暖かい一日。
そろそろ現実的な事を考えないといけない。
家庭内完全別居状態を改善しないことには、生きている意味がない。
働けど感謝もされず、蟄居みたいな生活を強いられているのはもう嫌だ。
午後に不動産屋の営業さんを呼んで家の査定。手放すにせよしないにせよ、実質的な資産の市場価値は知っておかないと身の振り方を決められない。
3.11以降、家を手放す人が多いのだが、成約率は何と20%しかない完全な供給過剰な状態だという。
売却しても売却損が出る可能性も無きにしも非ずだが、かと言ってこの状態で家のローンを払い続ける気は毛頭ない。
この所の不況で給料が減りローンを払えない人が多いのだろうなぁ。
うちもそうだ。不況だとは言え、10年位前まではITバブルで何とか羽振りが良かった。
2009年のリーマンショックで、実質的な不動産転がしをしていた当時の経営者Aは引責辞職などと言いながら、結局、自らの腹を切るわけでもなく、今ものうのうと過去の蓄えを持って何処かで生き延びている。
残された社員は路頭に迷い、給料を減らされ、更にそれも遠因とし、結局我が家は崩壊した。
あれから既に2年。
もう決着をつける時期だ。
晩、仕事から帰ってきた相手方が「家を手放そうなんて安易に考えてるんだろ」「子供達はここを離れられない、そんなこと考えたことがあるのか」と詰問してきたが、無視。
甘やかせるだけが教育ではない。現実を見せるのも教育のうちだと思うのだが。
言いたいことは、今週金曜日にYHCで言ってくれ。
持ち家にこだわって、高い無駄金を払い続けるために生きているのではない。

2013/1/12(土)

暖かい一日。
最近はAmazonの上顧客だ。ほとんどのものをAmazonで買っている。
書物も一緒。資格の受験勉強のハウツーものを二冊同時に購入したので(当然、中古本)一気に読む。まあ一冊は木曜日から読み始めているのだが。
ただ、どれをとっても書いてあることは「綺麗なノートは作るな」「キーワードで覚えろ:」「電車の中で勉強しろ」など。
至極ごもっともなのだが、今更言われなくても解るような事ばかりと言えば言えなくもない。
参考になったのは耳で勉強しろとの下り位のものかな。

晩、越後の酒「純米菊水」を飲みながら「男はつらいよ 寅次郎恋やつれ」を見る。
菊水は多少甘めの酒だが、冷で行くとグイグイ呑めて旨い・・・(これが翌朝の後悔につながるのだが)

2013/1/11(金)

今週は、相棒KZが早々に「断酒」宣言をして来たので、定時後に違うグループのOSGに久々に声をかけたのだが「今から現場なんで」とあっさり断られる。
まあ金も無いことだし、真面目に帰ることとする。

晩、似非麦酒(発泡酒)を飲みながらとりためておいた「山本五十六」を見る。
戦後七十年近く経っても、旧帝国海軍の軍人ばかりを持ち上げる風潮が無きにしもあらずだが、、、それは陸軍と比べてまだ海軍が「若干まともな組織」だったという事に過ぎないのだとは思う。
ただ、当時の極めて好戦的だった状況の下で、山本五十六だけはまともな感性の持ち主だった様には思う。
それが旧長岡藩の気質だからか、維新以来日本を牛耳っていた薩長への対抗心がそうさせたのかは判らないが。。
軍人だから戦をしろと言われれば、勝つための戦はする。だが、本来、軍人は平和を守るためにいるものであって、極めてバランス感覚に長けていなければならない、すなわち好戦的な人種であってはならないということが良くわかる。
この映画を見て危惧するのは、当時と今の状況があまりにも似ていることだ、政治が機能せず、やたらと好戦的な政治家や世論が形成されている。
ただ当時と異なるのは、圧倒的に兵器が進化していること。今の仮想敵国も、当時の米と同じ。今やボタン一つで日本の機能を完全に麻痺させることができる武器だって持っている。
当時は「好戦的な軍部(特に陸軍)」が国を牛耳ったのがこの国の「失敗の本質」だったが、シビリアンコントロールの名の下で「好戦的な文民(や世論)」が外交下手を棚に上げて、直接的に目に見える形で兵を動かすことに動き出すのが一番怖い。
かの国の異常さは、嘲笑にしか値しないレベルでありまともには相手にできるレベルではないと思う、、、だからと言って幼稚な挑発に乗って、幼稚な発想でドンパチやり始めないかそれが一番心配だなぁ。この世で「戦わない軍隊」ほど「名誉ある軍隊」は他にないと思うのだが。

2013/1/10(木)

今季残り2ヶ月だが、また新年そうそう残業規制が出ている。
朝から関東の僻地に直行。工事の進捗を見て、定例会をやったら日が暮れた。
早々に都内に移動。今年最初の新年会&壮行会に出席。
新年早々から異動も大変だよなぁ。

2013/1/9(水)

早朝から関東の僻地に移動。工事の山場なので立会い。
午後から都内事務所に移動。

2013/1/8(火)

仕事はまだスローペース。定時18時に退社。
今日は八重洲ブックセンターで道草。
家に帰り着くのは22時前。訳あって4時間かけて家に帰る。この生活をほぼ一年続けている。

2013/1/7(月)

あけましておめでとうございます!!
この挨拶もろくに出来ない上司って何なんだろうね。
憂鬱な仕事始め。

2013年1月6日日曜日

Weekly blog 2013/1/4~1/5

2013/1/5(土)

新年早々。自宅に帰ってきてからは何もしていない。昨年の12/29以来、一冊の本すら読んでいない。
新年の計は元旦に有りとか言うが、既に今年も五日目。
何もする気が起きないのである。
これでは今年の計もヘッタクレも有ったものではない。

起きたら既に別居相手は居らず、残された子供達の昼食、夕食を作って、風呂に入れて寝かせるだけ。 こちとらの可処分所得が殆どなく、何処に行く宛も無ければその気にもならない。 家の中で子供相手にトランプやカルタで遊ぶのみ。
子供達が外で他所様の子供と遊んでいる間に、たまに思い出した様に資格の勉強もするのだが、何だか目標値の 設定に疑問が生じ(本当にこの資格でいいのか?って言う疑問)、捗らない。

この夜も子供達とバス乗り継ぎ旅のテレビ番組を見ている間に、子供達の寝る時間が来てしまい、そうこうする内に相手方が仕事から帰ってきて、別居部屋に引きこもり。
独り身と同じでありながら、外に遊びに行けるわけでも無く、早く出勤した方がメリハリが効いた生活が出来て良い気がする。
こうやって新年休みが過ぎていく。なんだか憂鬱。

2013/1/4(金)

正月は稼ぎ時なのだろう、朝から晩まで別居相手が居ない。居ない間は全て子供の世話係り。
今日はせっかくの休みなので、晩の二、三時間ほどバイクで出かけようと思っていたが、案の定、別居相手が晩も何処かに出かけたためにどこに出て行けるわけでもなく、無駄な一日を過ごしてしまった。
恩を売る気はないが、こんな事が結果的に裏支えになっている事をちょっとは理解しろってぇの。
してないだろうけど。
こんな事をもう一年も引っ張っている、早く結果出すしかないのだが。
別れるってのは、くっつくよりも馬鹿に時間がかかる。しかも無駄な時間が。

2013年1月4日金曜日

Weekly blog 2012/12/29~2013/1/3

2013/1/3(木)

早いものでもう新年も三日目。
何をするともなく、自堕落に新年生活を送っている。
朝は十時過ぎに起床。昨晩、実家から持って帰って呑んだ日本酒「幻の瀧」純米酒が効いた。
さらりとした飲み口に、五合瓶に半分ほど残っていた酒を全て頂いたのだが、翌朝になって体に来た様だ。 二日酔いと言うよりは、肝臓がヘタっている感じ。
なのでこの日は休肝日とする。
朝(と言うか昼だが)から何もせず。
相手方が趣味の店を正月から営業しているので、放っておかれた感じになった子供達だが、、、
放っておいても子供は育つものだ。勝手に外で遊んでいる。
年始早々に借りてきて、昨晩は半分しか見れなかった「男はつらいよ 16作 葛飾立志篇」を残り半分見て、年始から本腰を入れるぞと誓った電験の電力の勉強なんぞをしている内に夕方。
相手方が帰ってくると自動的に、座敷牢と化した自室に引きこもるヒッキーになるのでPCも自由に使えず、不自由で仕方がない。
晩に相手方が出かけたので、晩は「キリン 前後編」「男はつらいよ 17作 寅次郎夕焼け小焼け」を見て過ごす。 

2013/1/2(水)

朝7時半過ぎに起床。朝食の後、実家の片付け、清掃をした後、父親をホームまで送っていく。
ホームはこの所のノロ対策で面会お断りになっているため、玄関前で実父と別れる。
呆けてもいないはずなのに、正月中ずっと、まだ母親が鬼籍に入ったのが解らないのか、解っていて解らないと否定するのか判らないが、「オカアサンどこに行った?」と繰り返す姿を見ていただけに、また再び一人ぼっちは寂しいだろうなと思う。
最寄駅まで実兄夫婦に車で送ってもらい、岡山からは川崎N700RRの人となる。新大阪で実姉と別れ、今年の帰省も終わった。
12月の中旬には、相手方に1/2の夕方17時には帰って来ると伝えていたが、ロクに読んでもない模様。
自宅には16時半頃着くも、子供含め誰も不在で18時になっても戻らず。
まあ予想はしていたが、夕飯にありつかないといけないので、外に飯を食べに行く。
20時前に相手方と子供達が戻り再び完全別居モード。

2013/1/1(火)

正月が明けた。
朝から実父を囲んで、実兄夫婦、実姉と合計5名で正月を祝う。
昨年の今ころはまだ実母がいただけに、何だか歯の抜けたような正月。
でも、実兄の奥さん(義理の姉)が居てくれて本当に助かる。
小まめに実父の変化を見てくれて、母親の代わりを全てやってくれて、本当にありがとう。感謝します。
結局、朝から呑んで食べて、ちょっと休憩してまた呑んで食べての繰り返し。
晩はうどんすき鍋とか寿司とか、御節の残りとか、そんなもので腹一杯。
何もしない正月。
案の定、夜遅くまで呑む。
夜中に実父のトイレの付き添いをするだけに、呑み過ぎるとかなりキツい。

2012/12/31(月)

忌まわしかった2012年も今日で最後。朝7時半に起床。前夜、深酒しすぎ。
リビングで寝袋と毛布で寝たのだが、点けっぱなして寝たはずの、リビングのエアコンが朝になって全くウンともスンとも言わなくなった。これも壊れたか、、、ショック。
ひとが集まる場所だけに、肝心の空調がやられてしまうと、寒さに耐えられない。
急遽、実母がまだ元気だった頃に購入したという灯油ファンヒーターを引きずり出して給油するなど、朝からテンヤワンヤ。
10時すぎに既に交換対象だった手の部屋の空調取り付けの人がやってきて、立会い。
やっている事は公務とあまり変わりません。
その内、実兄夫婦が昼過ぎになって車で到着。二日分の食材は彼らが全て持参してきた。 その後、実父を迎えに行く班、昼食や不足物の買出しに行く班と別れ、夕刻には実父も揃って大晦日臨戦態勢は整う。
日が落ちる前に、墓参りを済ませ、夕方18時前から鍋の準備、18時半から鍋投入。
その後は、紅白だの何だのとテレビチャンネルを見るともなく回しながら、鍋をつつく。
鍋が終わったら、今度は蕎麦。
蕎麦を食べ始める前に、石川さゆりの「天城越え」が始まってしまい、私の中の2012年は暮れた。

職場の異動、母の死、家庭内紛争の激化などなど色々とあった2012年も終幕。

2012/12/30(日)

目が覚めたのは7時頃だったっけ?
徳ちゃんが既に目覚めていた。あっしが二番目、その後、続々と起き始め、気がつけば朝から鍋の準備が始まっていたが、朝10時に約束をしているため移動をかけねばならず、ビールを三杯ほど飲んでアジトを退散。
団長様、課町長様、徳ちゃん、一宿一鍋ありがとうございました。

新大阪で実姉と再会、切符を渡して共に実家まで帰省。
地元駅前でレンタカーを借り、ホームまで実父に会いにいく。
この日は冷たい雨、午後16時過ぎには実父に明日昼過ぎには迎えに来る旨を伝え、実家に戻る。
晩はこれまた鍋。二日連続。
酒は、ビール、チューハイ、焼酎(麦)なんでもござれで、、深酒。

2012/12/29(土)

案の定、相手方と子供達は帰って来なかったので、朝はゆっくり過ごす。
このまま夕方まで帰ってこなければ、こちらの出発予定の15時頃までゆっくり過ごせるはずだったのだが、 13時半過ぎにクルマに乗って帰って来る。
玄関先で何だか喚いているので気分が悪くなって、14時過ぎには家を飛び出す。
飛行機が18時発なので、早すぎるのも困りものなのだが、16時過ぎには羽田に着いてみると人がごった返している。多少の余裕を持っていないと焦るばかりだろうから結果的には不幸中の幸い。
18時定刻にANA便は飛び、伊丹には19時半前には到着。
アジトまで意外に時間がかかったが、21時前には到着、鍋第二弾。
懐かしい話が聞けて楽しかったが、、、、鍋の開始は17時ころだったと言うから、もっと早くから到着しておけば良かったな。
来年からの課題。