2013年12月16日月曜日

Weekly blog 2013/12/9~12/16

2013/12/15(日)

朝から子供に会いに行く。
これが年内最後の面会なので、クリスマスの土産だのを兄妹分持って移動。
子供達は相変わらず屈託なく迎えてくれる。
上の息子には本を二冊。一冊は歴史上の人物を集めた図鑑というか人物評の本。
もう一冊はサッカーの戦術本だが、そっちには目もくれず人物評の本にかじりつく息子。
あれほどサッカーが好きだったはずだが、まあサッカー馬鹿にならん様に色んなことに興味を持つのはいいことだ。
娘にはクマのキャラクター商品を三点。この子の土産は本当に悩んだが、開けてみると、一番よかったのは名前の入ったハンコだけだったみたい。
女の子の土産は本当に難しいな。

昼を挟んで、午後の一時間、晴れているが寒い公園で三人で久しぶりに遊ぶ。
帰り際の十五分位だが、息子から野球をしようと言い出して、親父vs兄妹チームで野球をする。
同居していた時には一緒に遊ぶといっても、野球なんかほとんどやったことは無かった。
公園で野球して遊んでいたなんて母親に言おうものなら、火になって怒られたからなぁ。
ただ、今は息子から野球をしようと言い出した。
サッカーの本の件といい、公園の遊びといい、ちょっとずつ変わり始めているな。

思えば「サッカーで一番を取れ、大人になっても大学なんて意味がないから行かなくていい、それよりサッカーで世界一になれ」など馬鹿の一つ覚えみたいに、ヒステリックに言われ続けた息子も、漸くその呪縛から抜け出せて来ているのかもしれない。
まあその前に親父は君たちを置いて、その呪縛に耐えかねて家出をしてしまったのだが。

16時には帰れとの話をされていたので、16時ちょうどに元の自宅を出る。
この日はその後が悲惨だった。

晩、鍋を食べていてひっくり返してしまい、足の太ももに大やけどを負ってしまった。
幸い、夜間でも救急で受け入れてくれる大学病院があって助かったが、、、
全治二週間。

2013/12/13(金)

朝から。
「予算データを別ファイルに移行する作業」 時給800円。
バイトか?

夕方、KZと24時間ぶりに再会。
ホーム竜馬で軽めに二時間半。
連日だね。

2013/12/12(木)

午後一で河馬野郎に次期予算レビュー。
一応、了諾だが、年末年始にかけての社内展開資料作りの指示。
本当は、他部署の予算策定をほとんど受け持つミッションはこれにて完了、、、の筈だが。
同席したその部署のマネージャが、その後は自分で何とかしようと言う気が全くない!
何だかズルズルと引きずられているなぁ。

もうそろそろ本当に、組織的な対処を考えた方がいいのでないか?
と思ってみたところで、当のそこのマネージャーが何とも思っていないのだからタチが悪い。
何だかスッキリしないなぁ。

1830から、久しぶりにKZとホーム竜馬に立つ。
モヤモヤとした予算案決定だが、、まあ良しとして乾杯。
嫌なことは呑んで忘れる。







2013年12月6日金曜日

Weekly blog 2013/12/2~12/7

2013/12/5(木)  新橋会忘年会

隣の課の来期予算をこの日のレビューで決める筈が、河馬殿様のお気に召さず決まらず。
それにしても、隣の課の当事者である連中が誰も出てこないのはどういうこっちゃ?

17時に残業調整のためプリズンを卓球脱出。
今日は久しぶりに大阪からMKちゃんが出張で来ているため、新橋のホーム竜馬で呑む。
相棒のKZも誘ったのだが、今回は抜けられない仕事との事で欠席。

誰からともなく言い出した新橋会という、KZ、MKちゃん、私の三人の飲み会。
今年もここで、MKちゃんと飲むのは今日が最後だね、多分。
一生に飲める酒の量の話をしていたが、あとはなにをはなしたのやら?

MKちゃんの品川からの新幹線の時間ぎりぎりまで、都合芋焼酎四杯。
ヘロヘロになったが、品川までMKちゃんを送っていって、年末の27日に呑めたら飲もうと約束して別れる。

芝浦庵に辿り着き、21時過ぎには就寝。

2013/12/3(火)  お陰様で創業50年

未明に友人英蟯虫から「誕生日おめでとう」のメールをいただく。
ありがたいことだ、半世紀目のオッサンになっても、誰かにおめでとうと言われたら嬉しいものだ。
目はかすみ、記憶力は低下し、膝は痛く、とても体は嬉しい状態では無いが、半世紀と言う人生の節目を無事迎えることが出来た。

これもひとえに皆様の支えと、ほんの少しの自分の努力の結果かな。
そういえば、課町長様も同じ誕生でしたよね?

「誕生日おめでとうございます!」




2013年11月17日日曜日

面会日(2013/11/16)

面会日なので、朝から大船に向かう。
10時過ぎに前の自宅に着いてみると、長男も長女も近所の子供達と遊んでいた。
午前中は子供達が措置で遊んでいるので、正直ヒマ。
近所の子も含め、子供達と遊んでもいいが、離婚した筈の父親が遊んでいるのを、近所の子供たちの親御さんはどう見るだろうか?結局、子供ともども好奇の目に晒される気がして、仕方が無いので、新聞を読んで過ごした。
それにしても、元我が家は、着々と雰囲気が変わりつつある。
ギターが何本も壁際に並べてあったり、長男の部屋で拵えたスペースがどうやら書斎の様な空間になっていたり。
新しい彼らの父親(になる人物)の趣味なんだろうか?
まあ全く私と異なる趣味の人物みたい。

昼食買いに近所のスーパーに行き、パンの昼食を買ってきて食べた後、昼過ぎに長男がサッカーの練習に行き、長女と学校で何を習っているかを聞いて、お決まりの算数と国語の十問テストをする。

その後は、長女が、今お気に入りの、お菓子のレシピ本を書き写して絵を描く遊びを手伝っている間に、日が暮れて、長男が帰宅。

夕食を外に食べに行こうとしても、外に行きたくないとの事なので、はたまた今度もスーパーに行って寿司とうどんを買ってきて食べさせる。

長男は、このところ非常に歴史と地理に興味があるようで、浅草は勿論、東京都心の神社仏閣のことをよく聞く。うちの近所の増上寺や泉岳寺にも行ったことがあるそうで、、、誰に連れて行ってもらったのかわからないが、結構詳しいので驚いた。
新しい父親(になる人物)にが都内の地理に詳しいのだろうか?

長男には芝浦庵の住所は教えていないし、どこに住んでいるとも明かしていないが、もうそろそろ、彼らだけには住所を明かす必要があるかもしれない。

長女は至って変っていない。相変わらず甘えた。
二人とも、自分の親が離婚したのは知っているようで(そりゃそうだ)、けど何の屈託もなく育っている。

夜の20時過ぎになって、帰り間際に二人とも「今度いつ来る?」と待ち遠しそうに聞いてきたときにはちょっとほろりと来た。

親は無くても子は育つというが、子供は想像以上に強くて、そして血がつながっているためか、前と変わらず、実の父親と認めてくれている。

世間的に私は、そんな子供達を見捨てた事になるのだろうが、子供達がそんな事を微塵も感じさせないのが、せめてもの救いだ。

次回12月の面会日が年内最後だろう。
待ち遠しい。

2013年9月26日木曜日

ファンはエエなぁ・・・

パリーグで楽天が優勝した試合をTVで見た。
まあ三木谷は嫌いだし、この会社も好きではない。
だからか、?チーム自体も、好きでも嫌いでも無い球団。
タイガースファンの私にとっては、セリーグでいえばヤクルトや横浜的な位置づけ。

だが、初優勝って言うのは、ファンにとっては堪らない感動&喜びだろうなと思う。
特に東北に本拠を置いているので、被災されたファンの方も多いことだろう。
その喜びは言葉にならないものに違いない。

で、ここまで来たならば、ぜひCSでも勝ち進んでほしい。
セリーグはタイガースが勝てば、島国シリーズで、十年前にタイガースを率いて優勝した、星野監督に対する違った形の恩返しが出来るのだが、、、、恐らく点の取れない今のタイガースでは短期決戦は難しいだろうなぁ、、、となれば、憎き塵売と対戦し、叩きのめして欲しいと思ってしまった。

いずれにせよ、シーズン後半になって失速した我らがタイガースファンには羨ましいの一言である。

因みに、、、今日も我がタイガースは横浜に負けた。
楽天ファンはええなぁ。。。

2013年9月11日水曜日

Weekly blog 2013/9/2~9/11

2013/9/10(火)

仕事は大詰め。赤字覚悟でやってくれんかな?大手ゼネコン。
ちょっと残業して、同僚のosgと白熊屋に行くも、もうすぐ閉店間際のここは満員。
仕方がなので樽屋に避難。生三杯。
昔のプロ野球の話で盛り上がった。
木樽、有藤、村田、長池、当銀、山田、鈴木啓、梨田、新井、土井、門田、藤原、高橋、大杉、白、永易などなど。
懐かしいなパ・リーグの選手たち。

2013/9/7(土)

子供面会日。
娘の誕生日が間近なので、弛緩熊グッズを多数持っていく。
上の長男がそれを見てヒネても嫌なので、長男には滑子グッズを持っていく。
昼は親子で海岸近くの蕎麦屋で飯を食う。
長男10歳、娘は7歳。
色んなことがあったが、子供達が屈託なく育ってくれているのが本当に幸い。

2013/9/3(火)

大阪から営業のMKちゃんが来るという。
関東の僻地に行っていたが、早めに仕事を切り上げて新橋。
久しぶりに会ったMKちゃんは相変わらずよく飲む。
何だかちょっと化粧が薄くなった気がするのは気のせい?
そして彗星のごとく、20時半には大阪に帰っていった。

今までの旅には飽きたと言うので「空白の5マイル」角幡唯介を送ることを約束したが、、、、
よく考えると、普通の女の子が未踏地の探検物は読まんと思うよ。普通。




2013年9月3日火曜日

試験採点

9/1に行われた電験三種の自己採点

電力・・・40点
法規・・・50点

電力は勉強しないで受けた昨年と同じ点数。
法規は科目合格した2006年の時よりも内心自信があったのだが。

合格ラインは60点。
このまま継続するか否か、只今考え中。


2013年8月20日火曜日

男はつらいよ 噂の寅次郎

さくら役の倍賞千恵子は元々、綺麗な人だと思っていたが。
大原麗子も綺麗やなあ。
昭和の女優さんは皆、綺麗やなぁ。

綺麗というのは、美醜の事を言うのだけでは無い。
控えめ、恥じらい、けどしっかりとした思いも持っている美しさ。

昭和の女優さんは、そんな女性を演じられるから綺麗なんだろうな。

2013年7月10日水曜日

誰か故郷を思わざる

7/8(月) 誰か故郷を思わざる

昼からお世話になった老人ホームに挨拶に行く。
昨日、葬儀にも来て下さったケアマネージャ、施設長、父の様子がおかしい事に気づいて病院に送っていただいたヘルパーさん、良くお話を聞いてくれていたヘルパーさん、皆様に御礼を言い、父の遺した品々を回収する。

入所時から色々とお世話頂いたケアマネジャーさんのお話では、入所時、中々ホームの雰囲気に馴染めなかった偏屈な父が、最近はホームの方々に徐々に心を開いていたとのお話をお聞きする。

今年に入ったある日、勧められて父が歌った「誰か故郷を思わざる」

作詞  西条八十
作曲  古賀政男

1.花摘む野辺に  日は落ちて
      みんなで肩を  組みながら
      唄を歌った      帰り道
      幼馴染の        あの友この友
      あぁ 誰か故郷を思わざる


 

 


7/7(日) 葬儀

来て頂いた方には、本当に心から感謝します。
父は骨となって15時過ぎ、家に戻る。
17時前に兄の義母、義姉、姪甥帰途に着き、寂しくなる。
急に家の中が寂しくなる。
両親を失うと言うことは、拠り所を失うと言うこと。
今日、一つの夫婦の物語が終わり、一つの世代が終わった。

7/6(土) 通夜

金曜日の晩、滋賀県から兄の嫁さん(お姉さん)、兄の義母が到着。
この日の朝、姪っ子、甥っ子が一緒に到着。
皆が揃い、父の思い出話になり気が紛れる。
昼過ぎ、納棺。
午後三時出棺。
いよいよ父がこの家を離れる。
18時から通夜。
母方のオジ達が揃い、昨年の母の葬儀から一年経たない間に、再会するとは思わなかったとお互いに挨拶。
この日は兄と神戸のおじさん、西宮のおじさんの三人が父の傍に泊まる。

2013年7月5日金曜日

父逝去 2013/7/5

平成25年(2013年)7月5日 午前11時58分。

実父逝去。

肺炎による多臓器不全。
享年87歳。

学徒動員で徴兵され一兵卒として戦火をくぐり抜け、敗戦は高知の山中で迎える。
戦後は鉄鋼会社で昭和の猛烈サラリーマン。
家庭では関白亭主であり、頑固親父だったが、何故かいつも熱狂には冷めた偏屈な親父。

麻雀と酒と煙草が大好きで、野球は南海ファン。
しかも野村ではなく鶴岡監督のファン。

今日は朝から会社に居たが、兄からの訃報を受け、午後から休んで、今は新幹線の中。

どう言い表せば良いかもわからない、ひどく虚しい気持ちで、気を紛らすために麦酒を飲んでいる。

今頃は旅の空だろうな。
約一年前に急逝した母に逢えたら良いな。オヤジ。
今まで本当にありがとう。

幾ら感謝しても感謝し切れない。

2013年7月3日水曜日

父の最後の闘い 1

2013//7/3(水)

朝、6時半過ぎに横の病床で寝ている父の呼吸が変わる。
ゴロゴロと痰が絡んでいる様子。
ナースコールで看護師に来てもらい痰を吸引するがうまくいかない。
何度かチャレンジしたが、余りうまく取れなかった。
7時半過ぎになり、一旦、実家に帰る。
大雨が降るとの予報だったが、外は腫れている。「晴れの国岡山」やなぁ。
朝食を食べて、仏壇のご先祖様たちに今日一日の父の無事をお願いし、実姉と共に実家を出る。
10時半過ぎに病院に着いたら、既に実兄が来ていた。
父の容態は相変わらずだが、血圧、心拍数、酸素共に安定している。
実兄が大きな声で父を呼ぶと、若干つぶっていた目を開き、分かったような表情をする。
頑張れオヤジ。
朝から気になっていた、父の喉のゴロゴロだが、吸引の上手な若い看護師にやってもらったら、あっという間に終了。流石、プロは違うね。
いつの間にか、外は雨。
取り敢えず、東京に持って帰るものを取りに実家まで兄の運転するレンタカーで帰り、15時半過ぎにJRに乗る。
九州地方の大雨がの影響で、新幹線は遅れていたが、品川に着いた時には、遅れを取り戻していた。20時過ぎに芝浦庵に帰投。

つづく

2013年6月30日日曜日

今はただ感謝有るのみ

昨日、実父が肺炎で再入院。

出向いた実兄から今の内に来れる人は来た方が良いとの報せを受け、朝から元の家に子供達に会いに行っていたのだが、昨晩遅くに大船から岡山に移動、見舞いに出掛けた。

晩遅くに病院に着く。
実兄が医師に聞いた話では、肺炎から来る多臓器不全。
延命に繋がる処置は却って身体に負担のため、全ては時の流れに委ねるのみ。

業務都合で明日は、重要なイベントが有るため、一旦、芝浦庵へ帰ってきたが、八十八年の実父の人生の、その半分以上に子供として関わって来た事を今更ながらにありがたいことと思う。
若いころは理不尽な思いを感じたこともあったが、今はただ言葉では言い尽くせぬ感謝の思いで一杯である。それ以外には本当に言う言葉がない。

実父の人生の最期に、何もなすすべもなく傍らに居るのは本当に辛い。

2013年6月16日日曜日

芝浦界隈

バイクに乗ることを早々に諦め、ヒルの三時過ぎ迄、明日から三日間食べ続ける予定のカレーを久しぶりに作って過ごす。
青唐辛子を潰して入れたので、今回の辛さには期待が持てるだろう。

三時過ぎからぽっかり時間が空いたので、カメラを持って近所の海っぺりまで歩いていく。
前、住んでいた湘南の家も海には近かったが、芝浦庵はもっともっと近い。
歩くこと約一キロでレインボーブリッジの下に出た。

給料日前なので、プレモルとは行かず、偽麦酒を呑みながら東京湾を一望。










2013年6月12日水曜日

統一球騒動

ただでさえサッカーに押されファン層が薄くなりつつ日本プロ野球。
そんな中、これでプロ野球の体質が露になった訳だ。

まだまだ日本という国は民度が低いって事だろう。
随分とファンは舐められたものだ。
これではたかが引き分けでW杯出場が決まったからと言って馬鹿騒ぎするサッカーにまた確実にファン層を食われるんだろうな。
大体、全く他人事の様に釈明するコミッショナーがいること自体がプロ野球界の恥だろう。

この42年の間、永らくタイガースを応援してきたオールドファンとして、今回の騒動は所詮、読売と天下りの巣窟で占められた日本プロ野球のスポーツとしての底の浅さを見せつけられた思いがする。

今年のタイガースの強さもこんな特殊事情があったからと思われたら溜まったものではない。

興行スポーツの世界は夢や喜びを与える事だろう?
そんな影響すら分からない、責任を執れないコミッショナーは即刻辞めるべき。

2013年6月2日日曜日

芝浦庵 初鍋

朝、待望の冷蔵庫が来た。
5月の初旬に世界最大の熱帯雨林で購入したのだが、運んでくる猫の引越屋が留守中に訪ねて来ては持って帰るの繰り返しを続けていて、購入から三週間経って漸く到着。
これで食材の保存がきくため、自炊が出来る。

夕方から食材を買出し。
早速の鍋。この芝浦庵での記念すべき初鍋!


2013年5月25日土曜日

Weekly blog 2013/5/24

2013/5/24(金)  実父手術

昨晩から急遽、実家に帰省。先週金曜日に老人ホームから熱中症で入院。土曜日に見舞った実姉から「鼠径ヘルニアの肥大化による腸閉塞、来週金曜日に手術」と速報をもらって、兄弟協議の結果、行ける人間が行こうとの結論に達したため、先発隊で私が初日に乗り込むこととなった。
昨晩は、実家の仏壇の前に並べた遠い先祖からの位牌に、実父の現状を伝え「見守ってやってほしい」と祈る。信心深いわけでも、特別に家だのにこだわりのある人間ではないのだが、何かにすがって祈りたいと言うのは、もしかしたら人間という弱い存在のなすサガなのかも知れない。
齢八十七、今年の11月には八十八の喜寿を迎える実父。もう少し、もうちょっと生きていて欲しいのだ、高齢と言うリスクがあり、生活に不便そうでもあえて切ることもないと割り切って考えていた鼠径ヘルニアだが、実父が生き伸びるために邪魔になるのであれば切るしかない。
朝の八時から病室に行く、何のために手術をするのか理解が出来ていない実父は、「手術なんか何でやるんや」と不安を隠せない様子。九時半になって手術室に入る前にはさすがに不安に思ったのだろう、ストレッチャーの上で「わしの息子が見えん、どこにおるんじゃ」などと言う。
こんな私でも来て良かった。あの実父が私を頼っている。
案外、手術は長く予定の三十分が、終わったと医師に告げられたのは11時前だった。
医師によれば、一部は嵌頓状態になっていたとの事。しかしながら、腸を切ることは無く、腹膜との癒着部分を切り離しただけだったのは幸いだったとのことで胸をなぜおろす。
麻酔が切れ一般病棟に戻ったのが午後3時前、オムツの中に小便をすることに抵抗があるのか、「便所に連れて行け」と頻りに訴える実父にはちょっと閉口したが、何とか抑えて医師と看護師に挨拶をして、午後6時前に最寄りの電車に乗って移動。今回は兄弟達の粋な計らいで航空券が手に入ったので、岡山空港から最終のANA羽田行に乗って帰る。22時過ぎ、芝浦庵帰投。









2013年5月18日土曜日

芝浦庵に転居完了

朝から大門庵を畳み、車で約五分ほど南下した芝浦庵に転居完了。
「起きて半畳寝て一畳とは」よく言ったものだが、やはり六畳一間は狭いなぁ。
余り荷物を持っている方ではないとは思っているのだが、部屋には荷物が溢れかえっている。
これでは「庵」ならぬ「独房」やな。
「芝浦牢」。。。。余り締まらんなァ。
こちらが大門庵

こちらが芝浦庵

2013年5月12日日曜日

Weeklyblog 2013/5/5~5/11

2013/5/11(土)

朝から雨。昨日の酒が残っているのか、腹の調子がおかしく、頭も若干痛い。それでも朝飯を作り、掃除を済ませる。よくよく考えたら数日前に通販で頼んだ洗濯機も冷蔵庫も、この週末までに新しい庵に届かないのなら明日引っ越しても生活の仕様がない事に気づいた。まだ大門庵の立ち退き迄には余裕があるので転居は来週にしよう。雨の中、昼前から芝浦庵の契約に行き鍵を受け取ること。昼を挟んで田町に移動、駅から歩いて約八分ほどで芝浦庵に到着。
芝浦庵は十階建ての建物の四階に有る。1Kで狭い。住むところなんて六畳しかない。駅前で鍋をする機会がある時は辛いだろうな。そんな芝浦庵だが、バイクが建物の中に置けるので海の近くだが雨ざらしにならないのが救い。実はその一点で決めた様なものだが。午後の三時くらいまで通販で買った生活用品を受け取り駐輪場を下見して、管理人室に挨拶に行ってガス、電気、水道の利用開始を連絡して、部屋の中の収納などの寸法を測ってと結構忙しい。四時前に街を知るために雨の中、近所をうろつきながら田町の駅まで歩く。芝浦っていう町は山手線の内側の芝地区の海っぺりだから「芝の浦」。本来なら港町でうら寂しい町の筈。否、今も山手線内に比べると寂しい雰囲気は一杯なのだが、最近は高層マンションの林立地帯の様だ。芝浦庵は十階建てだが、海に近い地区まで歩くと二十階は有ろうかと言う超高層マンションばかり。そんな中に古い倉庫とか、鄙びた民家が建っていて何だか変な雰囲気。生まれてはや半世紀近く生きているが、こんな雰囲気の町には住んだことがないな。雨脚が強くなってきたので、早々に浜松町まで一駅戻り買出しをして大門庵に帰投。明日はガスの開栓立会等があり、また芝浦庵に行く。明日はバイクを置きに行こう。
 
2013/5/10(金)
 
組織の今期の計画を、今頃になって立てている。午後二番のに裸の部長様にレビュー。何とか事なきを得たが、グズグズしていたら定時後直ぐの卓球脱出にまにあわず、18時半前になって漸く事務所を出て新橋に向かう。久しぶりの竜馬で久しぶりにKZと乾杯。都合、生二杯、ハイボール一杯、焼酎芋水とお湯で一杯ずつ呑んで歩いて帰る。酔っ払った。
 
2013/5/5(日)
 
子供の日。快晴。朝早くから大船に向かう。9時過ぎに元の家に行き子供達に再会。父親が久しぶりに家に来るのを楽しみにしていたのか「ママが御飯は外で食べてと言っていたから、晩は何を食べに行こう?などと話をしてくる。長男は暫くしてサッカーの練習に行き、娘に「今日はお兄ちゃんに内緒で映画を見に行こう」と言うと、暫く悩んでいた様子だったが「絶対に秘密にするから行こう」と意気投合。10時過ぎから、子供達の大好きなクレヨンしんちゃんを港南台まで見に行く。昼は娘の希望で何故か?駅前で蕎麦。オッサンみたいやな。昼過ぎから映画を見て、二人で爆笑して夕方前に元自宅に帰る。 娘は映画に影響されたらしく「晩御飯はヤキソバ食べに行く」のだと。16時半過ぎに長男帰宅。疲れ切った表情だが、晩御飯食べに行こうと言うと「ラーメンがいい」だと。この子は寝ても覚めても外食はラーメンだなぁ。どんな食育をして来たのかとちょっと反省。再び大船に今度はモノレールに乗っていき、私は言ったサンマ―メン、長男は塩ラーメン、娘は結局、ヤキソバで決心がつかず、お兄ちゃんと私からちょっとずる貰う羽目に。後は、焼き餃子二枚を三人でつつく。再び元自宅に帰り、二人を風呂に入れて寝かしつけて20時半に大門庵に向けて帰る。子供の日だからと言うわけではないが、良い子供へのサービスが出来た。両親には悲しいことがあったが、やはり親子の縁は変わりはしない。屈託なく育ってほしいと切に願う。また、一か月後に行くからな。それまで待っていてくれ。次は何を食べに行こうか。
 
 
 
 
 
 

2013年4月21日日曜日

今度の庵

決まりました。芝浦です。狭いです。再び1k庵すな。

2013年4月20日土曜日

Weekly blog 2013/4/13~4/20

2013/4/20(土)

朝から、不動産屋に行く。webで予約したら六本木の店だった。何も六本木周辺で家を探す訳では無いのだが。芝浦のもう一軒のバイクのおける物件を紹介してほしいから来たのだが、この店から管理会社に聞いてみたらバイクは小型しか置けないのだとの事。早く言えっての。ガックシ。ところで、今朝、起き際に閃いたのが、京浜東北線を品川から南に下ると家賃が低くなる。考えてみれば当たり前なのだが、将来、事務所が江東に移った時のことを考えて、尚且つ遠距離通勤はもうこりごりと思うがあまり、ちょっと浜松町や田町辺りにこだわり過ぎた。で、その方向性で品川、大井町、大森辺りまで範囲を広げて探してもらうも、バイクを置ける物件は余りにも少ない。朝の10時半から居て、一人の担当者がほぼ6時間半。探し回って見つかったのは大森の新築分譲賃貸。バイクは置けるが、結果は芝浦の物件と変わらず、月9万円台前半。正直言って養育費払って、残り生活費でそれだけの家賃は払えない訳ではないが、残りは心許ないレベルになる。あと1万安かったらなぁ。

2013/4/19(金)

久しぶりに友人kzと新橋。最後は博多天神で豚骨まで食べる始末。久しぶりに良い飲み方をした。帰りはプラプラ歩いて大門庵に帰る。

2013/4/18(木)

同僚 Mから近い将来、事務所が江東に移転するらしいと聞いて、家探し候補から西馬込が消えた。芝の物件はバイクが敷地内に置けないか、先日の浜松町の不動産屋の兄ちゃんに電話をした所、調べますと言って電話を切って数分後「大変申し訳ありません、あの物件他の方が押えられました」と電話がある。ヤラレタ!仕方がないので振り出しに戻し、定時後に相談に行く。バイク置き場付を改めて探している事を伝え、範囲も芝浦辺りまで広げる事を伝え探してもらう。一軒だけ見つかったのは、まさに芝浦、最寄駅は田町の 物件だった。まだ住人が住んでいるらしく週末以降でしか内見出来ないとのことだが、外見とバイク置き場だけは見に行けると言うことになり、一緒に見に行く。バイク置き場はマンションの一階、屋根の下。家賃に2千円プラスで置けるとのこと。取り敢えず、今後どうなるのかわからないので、押えることとする。分譲賃貸の新しいマンションなので、月9万円台前半。予算より一万は高い。仕方がないのか、、、。

2013/4/14(日)

朝から、前宅に行き子供達の相手。まあ所謂、留、守番と言うことである。朝9時過ぎに家に着いた途端、家の前でを蹴っていた息子が私の姿を見つけ、「ママはまだいるよ」と言う。5年生になったとはいえこんな小さな子供に、変な気を遣わせて申、しわけなく思う。家に上がり、暫く待って漸く元嫁が仕事に行った後、子供達に声をかける。娘は喜び、小学校の事を話してくれる。待ちに待った小学生になったので嬉しくて仕方が無いのだろう。そんな記念すべき年に、別れなくても良かったのだろうが、、、お父さんは耐えきれなかったのだよ。ひらがなを書いて遊んでいるうちに昼前になり、準備されていた昼飯を温める。昼飯後に息子はサッカーの練習に行き、娘は絵を描きながら遊ぶ。普通に見れば幸せな親子に見える。こんな情景は延々と今まで数年繰り返されていて、全く私はそれが苦になったことは無かったのだが、今はこの情景が意味する事は以前と違っている様に思える。夕飯になり、これまた用意されていた夕食を温める。以前と全く違わない。違うのは元嫁の思惑と私の思惑が子供を間に釣り合っているだけのこと。まあ結婚していた時と別れてしまった後も、両方の思惑は同じかもしれない。20時前に子供達を風呂に入れ、娘、息子の順番で寝かしつけて、20時過ぎに前宅を出て大門庵に帰る。

2013/4/13(土) 家探し

この前、3月の下旬にこの大門庵に引っ越してきたばかりなのだが、早くも次の住処を探す羽目になってしまった。何という因果なことか。 朝から卵焼きを作って、朝飯。洗濯をして、部屋の掃除をして、10時前に家を出る。目指すは西馬込。前日、友人Bullと飲んだ時、西馬込は住みやすいと聞いており、通勤を考えると都営浅草線の終点が何かと便利そうなので選んだのだ。 駅を降りて適当に入った不動産屋で土地勘が全くないことを話したうえで家賃7万程度、バイク置き場有りの物件で探してもらう。 バイク置き場有の物件と言うのは、都内ではなかなか無いらしいが、それでも何件かは見つけて連れて行ってもらう。 不動産屋のおっちゃんと言うかたぶん同じくらいの年齢の不動産屋社員は、街を案内しながら連れて行ってくれるので、町の雰囲気が解って良い。この人に言わせれば都心よりちょっと離れているだけで、のんびりしている古い門前町との事で、確かに思っていたより田舎っぽくて、 かつそこそこ便利そうな街だった。その中で、銭湯の上にあるマンションが一押しとの事で、確かに広くて、おまけに真ん前がスーパーマーケット。バイク置き場はマンションの真裏。たまたまその場にいた家主の風呂屋さんは、バイク一台で月3000円でいいやとの太っ腹。そうなると家賃込77000円で借りれることになり、状況的にはここで決まり!となるのだろうが、そうは問屋が卸さない。午後からは一旦、大門庵近所まで戻り、今度は大門、浜松町、三田、田町辺りで探してみる。端からバイク置き場付で探すと物件が見つからない可能性もあり、家賃80000円を限度に探す。今度の不動産屋は若い兄ちゃん。探せる訳はないとたかを括っていたが、不動産屋恐るべし。そこそこ広い(とはいえ西馬込よりは狭いのだが)綺麗なマンションを見つけてきたので見に行く。住所は芝で大門庵から歩いても10分。バイクは今の御成門近辺に置いていても十分に通える場所。最寄駅は田町、通勤を考えると圧倒的にこちらがいい。即決できずにこの日は保留なのだが、非常に悩むのである。

2013年4月14日日曜日

Weekly blog 2013/4/8~4/12

2013/4/12(金)

目覚めると、関東僻地の片田舎のビジネスホテルだった。眠そうな赤い目を擦りながら風呂に入る。7時前には都心に向けて再び動き出す。
まああと一日で週末やからね。朝から何だか飲み疲れているはずなのに、定時であがりたいので精力的にやることをこなしていると、夕方、大門庵の実質の借主(真ん中の兄弟)からメールが・・・なんとあと一か月で大門庵を引き払わなければ成らなくなったとの事。
若くはないのに、思わず「マジで?」ってうなってしまった。
折角、引っ越したばかりで、さあこれからと言う大門庵であったのだが、借主も組織では東京所属と言うことであり本人が住まなくても、借りざるを得なかったのだが、東京所属から外れてしまうことになり、そうせざるを得ないのだとの事。
いつかはその現実が来ると最悪の事態は想定していたので、まあ想定が早まったと言えばそうなのだが、実は都心のど真ん中と言うロケーションの良さが判りかけていた最中だったので、やはり残念でならない。

それはそうと、定時で卓球脱出して、駅前の友人Bullと待ち合わせた19時に浜松町駅前で落ち合う。
誠に久しぶり、いつから会っていなかったのか?その劣化しかけた頭で思い出した結果、2010年の初冬にドサッてきた英蟯虫と新橋で呑んで以来で無いかという結論に達する。
大門と浜松町の間くらいにある焼トン屋で再開(会)の祝杯。お互い、転職や離婚など色々と変化がありましたが、再会の記しに、昔みたいに野宿旅に行こうと言うことに約束をして別れる。良い酒でした。

2013/4/11(木)

ある工事の竣工検査が終わり、関東のへき地で接待呑み。18時過ぎから飲み始め、気が付いたら、延々、翌日1時過ぎまで呑み続ける。

2013/4/10(水)

定時後、旧御本社様まで移動。昇格試験。

前半の「問題判定の問題」は難しかった。後半の問題は論文なので楽勝と思って、書きたいことを書いて早く試験会場を出てきた。

のだが、、、、、後日、最後まで文章が書けずに苦しんだと言う同僚Mと話していて気がついた。
問題文の問うのは「所属する課の問題点」だった。私の書いたのは、「部」の問題点。そりゃそうだわな、受けたのは部長昇格の試験では無いもんな。

2013年4月7日日曜日

大門庵日記 2013/4/7

朝、7時過ぎに起床。外は風は強そうなものの快晴。 昨晩は、嵐の中、鎌倉の元嫁に明け渡した家から、22時過ぎに帰宅。疲れてそのまま寝てしまった。救いだったのは娘も息子も、私に対して全く悪い感情を抱いていないこと。息子は「今住んでいるのは神奈川?東京?最寄りの駅はどこなんだ?」などと聞いてくるし、娘も「明日もパパおうちに来る?」と聞いてくるし、まあ、まだ彼らにとっては、家族の一員と思われているんだな。 さて、あくる今日の日は朝から、先週の残りのカレーを食す。朝ぶろに入って9時過ぎから試験勉強。あっという間に一時間半がたったので、一週間分の食材を買い出しに海側のスーパーに向かう。今日、明日、それと今週のどこかで晩はおでんと決めた。あとは焼きそばとかまあ、自分でできる範囲で合計3000円程度の出費。酒がないと食費も安いな。昼は残っていた水菜を卵でとじたものを、温めた冷凍うどんのかけうどんに載せ、後は朝の残りの飯を食ってとにかく残り物を無くす。昼飯を食ってしばらくしてから、今日の夕飯のおでんを仕込む。そろそろ仕込みが終わった13時半頃、外が喧しいので何事かとベランダから覗くと、何だか行進が。。。 カメラを持って家を飛び出して見に行くと、増上寺の日中法要とのことで、まあ賑やかなこと。けど、大門庵に住んでいないと、こんな行事は一生、見られなかっただろうなと思う。たとえ鎌倉に住んでいようが、寺なんか近所になければわざわざ訪れないのと変わりがない。 まあ増上寺の真ん前に住んでいるから、煩悩だらけの身ではあっても、こんな行事にも縁ができるんやな。 14時過ぎから、1時間程度、都内をブラブラして(これはもう一つの版に任せる)、また芝に戻ってきたのが16時前。港区の図書館に行って、仕事の本を立ち読みしていたら(図書館なので立ち読みってのは不適切な表現だが)直ぐに17時になってしまい追い出される。家に帰って、おでんに最後の一煮立で火を点けて、夕方から麦酒を飲む。幸せな日曜日。

大門庵日記 2013/4/5

今日は朝から休んで、鎌倉の娘の小学校の入学式に向かう。 10時30日分の開始だったが、バスの便が悪く、ちょっと遅刻してしまった。 昨日から「あんたなんかといっしょに座らない」と元嫁から言われていたので、一人で壁際に陣取る。 娘は一年二組。もう二か月も前から、ランドセルを買ってもらって学校に行くことを楽しみにしていたので、ようやく念願が叶った訳だ。 本当に希望一杯だなぁ。学校に行くのが楽しいなんて、羨ましいなぁ。少なくとも、親父は、小学校の入学時に楽しいなんて、思ったことがないのは自信をもって言える。あのころから、天邪鬼であっただったんだなぁこの親父は。 先生達の話があって、PTA会長の話があって、来賓の話がひとしきり有って、娘が担任の先生に連れて行かれたのを見とどけて、学校を出る。次は、大船駅の近所の三年来通っている病院に行く。14時半から造影剤CT検査。数年前から左肩から首筋にかけての痛みがあり、気になって仕方がなく、2010年の結核?の入院以来、定期的に状況をみせにきている、この病院で検査をして貰う。 検査が終わったのが15時。支払いを待っている間に、久しぶりにKZから「今日はいかがか」とメールが届く。一旦、大門庵に帰り、洗濯を済ましてから、歩いて新橋に向かう。19時まえから立呑み「竜馬」で飲み始め、22時前に解散。明日は、ひさしぶりに子供達に会いに再び鎌倉に行く。

2013年3月31日日曜日

大門庵日記 2013/3/31

朝、8時に起床。小雨模様。朝飯をセットしていなかったのでコメを炊いている間に、洗濯、朝風呂。10時半過ぎから試験勉強をして、昼過ぎ終了。昼飯を食べに外に出る。曇り。お茶の水のスポーツ用品店に行きたくて、外に出たものの定期を庵に忘れたことに気づき、逡巡したが、そのまま行けるところまで歩いて行ってみよう。新橋を越え、有楽町を越え、日比谷公園あたりで何だか機動隊が出て不穏な動き。国会議事堂の方で何かやっているのが目に入ったが、街宣車とかが出ていて嫌な雰囲気。角にあった日比谷の交番で御茶ノ水までの距離を聞く。何と2㎞ちょっととの返事なので、そのまま歩いていくこととする。1997年に嫌々ながら社命で関東に出てきて、埼玉を皮切りに、国分寺、鎌倉と移り住み、今や何を思ったのか、こんな首都のど真ん中を休日に、家から散歩できる距離に住むことになるとは思っていなかった。御茶ノ水までは約一時間歩いて13時30分に到着。今年こそは富士山に登りたい、そして山を再開したくて、久しぶりに山用品屋をハシゴする。とは言っても高いな山用品は。素材もペラペラやゴワゴワのナイロンや、皮だけだった昔とは違い、色んな素材で作られる様になったんだなと、時代の流れを感じる。ついでにランニングも始めたいのでランニング用品も見に行く。こっちも綿だけだった昔とは隔世の感あり。まだ新生活が始まったばかりなので、今日は見るだけで帰る。帰りも歩いて丁度45分だった。不思議と疲れはなかったが明日以降に筋肉痛が出たら嫌だなぁ。来週は子供に会いに行こう。写真は途中で撮った花々。東京は緑が多いわ。

2013年3月30日土曜日

大門庵日記 2013/3/30

昨日の晩、「明日は子供達に会いに来るのも来ないのも勝手にしろ」との前嫁からのメールに逡巡した挙句、「明日は行きません」と」返していた。会いたいのは山々なのだが、十日前に引っ越してきて、荷物も解いていない、今日は一日、身の回りの整理と決めて、折角の面会の機会であったが断ってしまった。朝、7時半に目覚める。前の家なら、嫁が店に出勤する朝9時前までは、親父は自室に閉じこもってまだ眠っていた時間だ。晴れて、朝早く起きても咎められない身分になった。朝から自分でゆでた釜玉うどんと、昨日の晩の残りの炊き込み御飯、味噌汁で腹一杯の食事とする。外は曇り、天気予報では終日曇りで三月だというのに12℃程度とのこと。一週間で春が来て、またしても遠のく天候を繰り返している。風呂に入り、三日分の洗濯をしてから部屋の整理を始める、段ボール箱6箱に入っているのは本、捨てられない雑誌類、過去の写真、CD、DVDの類。後はかなり捨てたはずだが、捨てられず残った小物が段ボール箱に3箱。とりあえず本雑誌の類は、中身を出して壁際に並べる、DVDやCDの類は一つの段ボール箱に整理しなおして入れ、残りの小物も箱に詰めなおす。これで小物類は3箱から2箱になった。野宿道具が1K庵時代にIKEAで購入した木箱に1箱+αだったので、いつも自分の身の回り品は、本、雑誌も含めこの木箱に8箱程度を目安に標準化していると今後の宿借り生活での移動も楽だろうな。昼前に漸く部屋の整理が終了。一週間分の食材をまとめ買いするために駅から海側にあるスーパーに行く。今日、明日は寒いので鍋にしよう。帰って来て、昼は再び、うどんと炊き込み御飯。常にうどんがベースやな。昼から一段落して、近所に桜を見に行く、御成門近辺の公園を、ぷらぷらと桜を探して歩く。増上寺あたりの桜は、転居してきた頃にちょうど満開だったので、既に葉桜になりかけているが、このあたりはまだ満開に近い。家からビールを持ってきたので、暫しベンチに座って観桜会。それにしても寒く、ビールでさらに寒くなったので、公園内にあり偶然見つけた区の図書館で温まる。こんな近所に図書館があるのはこの先楽しみだ。しばらくそのあたりを散歩して、家に帰ったのは5時前。その間に、実兄から実家の隣のおばさんが亡くなったとメールがある。今はなき実母が入院していたとき、母のことを気遣い、父のことを気遣い、色々と顔を出してくれ、お世話になった方なのだが、先週、実父の見舞いに行った際、息子さんから危篤と聞いて心配していたのだが、遂に亡くなられてしまった。こうやって父や母の世代の方が一人また一人と旅立たれていくのは本当に残念でならない。夕飯は鍋、久しぶりの鍋だ。それにしてももう4月だというのに寒い。明日は雨とのことで、明日は隠れ家に引きこもりか。。。。

2013年3月29日金曜日

離婚決定

朝から関内のYMCに行く。最後の調停日。 10時に調停開始。 裁判所がやることなので、法的効力のある正式な調停文書を作る。 まあ作るとはいっても調停員が頭をひねって文案を練る訳で、申立人としては、その間待っているだけなのだが。 家も自家用車も全て譲渡するので、その所有権の譲渡関係と、親権の関係、養育費の支払い、面会権。その他住宅ローンの不払い時の明け渡しの明記、相手の開業資金の借入時の連帯保証人の私には、相手が誠意ある対応をし、一切迷惑をかけません旨の宣言文。 以上が調停文書の内容。 最後に裁判官と書記官が出てきて、申立人の私と、相手方である嫁が同席した上で、裁判官が内容を読む。 文面に同意なら、印鑑を押捺して、印紙750円を買ってきて提出してそれで終了。 離婚届を各々で署名捺印するのだと思っていたら、そんなことは一切なく、これにて調停離婚が正式に決定し、完了。 あっけないと言えば余りにもあっけないエンディングだが、2013年3月29日。晴れて離婚と相成りました。 長かった戦いに幕。

2013年3月22日金曜日

断捨離

友人の英蟯虫がブログで書いている。 断捨離。 人それぞれ、色んな意味での断捨離がある。 私の場合は、その対象が「夫婦の縁」であった。 葛藤はある、子供たちの将来を考えると本当にその選択が正しかったのか、自分の心の中に永遠に後悔は残る。 だが、自分の選択が正しかったと信じたい。 少なくとも、私が信じていた夫婦の姿は、苦しくても助け合い、思いあい、愛する家族の一員、パートナーとしての相方の尊厳を大切にすることが基本であった。 奪い合い、食い合い、人を押しのけても生きていくことが「あるべき姿」となりつつある、この狭い惑星の中の人間の世界。 その中で、家族と言う最小単位の集合体の中心となる夫婦が、欲望のまま、金銭的な価値感という矮小化された世界で語られるものではなかった。 私の今回の「断捨離」の選択を、いつの日にか子供達が理解してくれるならば、意味がある断捨離になるのだと思う。 今はただ、十年後、二十年後の子供達の評価に任せたい。

2013年3月21日木曜日

家出完了

昨晩(3/19)22時に帰宅、最後の荷造りと長男への誕生日の贈り物、長女への小学校入学祝いを彼らの机に置いて餞別とする。
健康に気をつけて、よく考えて行動する人間になってくれ。

そして家出実行日、早朝から都内に移動、ワンボックスバンを借りて再び自宅に向かう。
10時過ぎに自宅着、事前に相手方と示し合わせていた通り、相手方は子供達を連れて出かけているのを確認し自分の荷物を運び出す。
結婚し、そて別れるまでの間、12年、初めて息の合った連係プレーだとは皮肉なものだ。

近所のホームセンターで、これからの生活に使う、生活日用品などを購入してから、都内某所にむけ東進。
途中で遅めの昼飯などをたべながらの移動なので、転居先に着いたのは16時過ぎ。
荷物をは運びこんだらもう17時であった。

これにて家出完了。

子供達を残して来たことが心苦しい。
これから後の彼らの生活を考えると、経済的に苦労をするのは目に見えていて、自分だけ逃げて来た様に思え、本当にすまない気持ちでいっぱいではある。
だが、お父さんは、君たちのお母さんの言動に耐えられなかったのだ、いずれ君達にもわかる時がきっと来ると信じている。

今度の隠れ家の目と鼻の先が、あの有名な増上寺である。
最近の急な温かさで、今日あたり例年より早く桜がどこも一気に咲き始めたが、増上寺に桜もほぼ七分以上は咲いたようだ。
人生四十九回目の桜の季節を、家出先で迎えることになるとは思ってもいなかった。

色々な思いとの別れ、そして新たな人生の始まりの春。

2013年3月17日日曜日

最後の日曜日

この家で子供達と過ごす最後の日曜日。

女房とは離婚しても「子供とは月に何度会っても構わない」と言われてはいるし、今後もこの家でこの子達とは遊ぶこともあるだろうが、同居状態で、一緒に過ごす日曜日は今日が最後である。

長男が、午後からサッカーの試合だそうで、三人で最後に遊んだのはウーノ。
午後は娘と一緒に公園に行き、約一時間、娘の逆上がりチェレンジに付き合う。
目標は、小学校に入るまでに通算千回だったが、その391回迄を見届けた所で、御仕舞になった。

あと三回寝た、長男の10歳の誕生日でもある春分の日、この家を静かに去る予定。
越してきて、九回目の春だが、これで終章だな。

2013年3月16日土曜日

卒園式 2013/3/16

今日は娘の幼稚園卒園式。開始9時半前にギリギリ間に合う。
式が始まると、父親連中は皆、ハンディカムを出し、今まで座っていたのにワザワザ立って、自分達の可愛い我が子の撮影会を始める。
けど、ああやって撮った画像を果たして後で見るものなのだろうか?
それぞれの家の文化の違いは有るだろうが、、、私自身の感覚では後で見返すことはあまりない。
見返したって年に何回見返すか、どうかだろう。
それより瞼に、記憶に焼き付けるのが一番の思い出だと思うのだが。

そう考えると、ハンディカムってのはあまり好きでない。
皆、電機メーカーに騙されている様な気がしてならない。
自家用車と同じで、余り日頃は使わないのに、、、「皆と同じ様に持っておかないと気がすまない。豊かさを物でしか感じられない。」
という日本人独特の弱みに付け込んだ商品だよな。

話は変わるが、娘が生まれた時は本当に嬉しかったなぁ。
あれから6年、たったの6年で大きく、可愛く、健康に育ってくれた。
今日も、三年皆勤賞の最後のトリで表彰されていたね。

三年間の幼稚園生活のうち、お父さんとして貢献できたのは僅かだったけど、、、。
毎年、父親参観日には最後に「怜子ちゃんのお父さん」として、クラスの皆んなの前で紙芝居を読むのが楽しみだったなぁ。

卒園、オメデトウ!

2013年3月9日土曜日

Weekly blog 2013/3/2~3/9

2013/3/9(土)いつかバチがあたるよ!

上の長男は朝からサッカーの試合だろう。自分の部屋の荷を大方段ボール箱にまとめ、出たゴミを朝のうちに市のクリーンセンターに捨てに行く。帰りすがらちょっと遠回りしてZマリーナへ。ロープに懸垂した遊具を娘が気に入り延々とそれで遊ぶ。帰ってきたら丁度、正午で昼を食べ午後は近所の公園へ。今週から急に春めいてきたが、今日は暑いくらい!

夕方、長男が帰ってきて夕飯を食べずに相手方(母親)の残した指示メモ通りに出て行く。相手方が自分の店から19時過ぎに帰ってきて娘を連れて近所のどうやら居酒屋に言った様子。然るに長男のサッカーチームの飲み会か否かと思っていたら、相手方のブログにきっちり「春はお別れの季節」だのと題して書いていました。どうやら相手方が長男のライバル視をしていた中の一人の子供が父親の転勤?か何かで名古屋に転居するらしくその送別会に行っていたとの事だが、その文中では「その仲間のパパっていうのが4年間すんごいチームに貢献してくれました。 練習の時はコーチの片腕となって雑務をしてくださり、又、試合のときも必ず応援に行ってくださったチームにはなくてはならないパパ。・・・」などと書かれていて呆れる。この息子と同じチームメートのお父さんのことを「鬱陶しい」だの「でしゃばり」だのとこき下ろしてたんでないの?「あんなやつの息子に負けるな」と長男にハッパかけてたのも覚えている。幾ら自分の店の宣伝用のブログとはいえ表裏が激しすぎるんだよね。
いつかバチがあたるよ!

2013/3/8(金)

来週火曜日のパワハラ部長レビュー資料を作成し、マネージャMや重鎮Sさんにレビューするも反応悪い。
夕方ちょっと残って作成していたが、自棄になってKZと連絡を取り二週間ぶり?に新橋竜馬で立つ。
「生まれ変わってもこの業界で仕事をするのはもう嫌だな」などと言っているうちピッチが進み、最後に喜多方ラーメンまで食して京浜東北線の人となる。自宅着は日付が変わる直前。けど赤兎馬(紫)も呑めたし、良い酒だった。また次回!

2013/3/6(水)

定時退社の日と言っても、裁量労働制の下でのピンハネ労働者なので関係ネェのだが、余り残っていると退勤システム打刻時間と退室時間をチェックするなどという、馬鹿な(ヒマな)人達も居るので同僚兼マネージャMと19時すぎから会社の近所で立ち呑み。同じ店に旧組織のEさんとそのお仲間(挨拶はするが名前を知らない)が居て、Mが帰った後もEさん達と飲み続け、気がついたら23時すぎ。横浜の先まで帰る意欲を失い、今月下旬から新しく住むことにしている共同住宅に移動。熟睡。

2013年3月5日火曜日

Weekly blog 2013/2/23~3/1

2013/2/25(月)

課町長様が阿波からドサってきたので、横浜の無法地帯で立呑む。
いやあ色々ありましたが、そういう事にしましたわ町長様。

その後、町長様がお姐さんの店に行きたいとのことで、熟した方々の店か、若い方々の店か悩んだが、、呼び込みに釣られて、あっけなく若い方に・・一時間で焼酎お湯割り二杯で一人五千円ボッタくられましたわ。

はぁ。さすが無法地帯。

2013年2月23日土曜日

Weekly blog 2013/2/20~2/23

2013/2/23(土)

次回の調停で夫婦関係の解消がほぼ決まったことは喜ばしいことであるが、とは言えどうもスッキリと気分が晴れない。モヤモヤとしたこの気分は一体何処から来るものなのだろうかと思う。
要求が全て通った訳ではない。確かに相手の主張する慰謝料は断固拒否した結果、これは払わなくて良くなった。
だが、妥協の産物として、住む家も、家財も全て相手に移譲するワケだが、そんな事がモヤモヤの原因では到底ない。実は、ずっと心に引っかかていることは、子供と別れてしまうこと。それだけが残念の極みであるのだ。

3月の下旬を目処に家を出るつもりで、今日部屋を整理していた。
相手と付き合っていた頃の手紙、写真、そして一緒に作った様々なものは全て破り捨てても悔いは残らなかった。
男女の仲なんて変質したら元に戻らないものだなと思いながら、淡々と処理をする。
だが、先日、別に興味があるわけではないが、ふと覗いた相手のブログに「大人の身勝手でこの子達には私しか残らなくなりました」と書かれていたことが何故か引っかかっている。
確かに言い得て妙ではある「身勝手」という言葉。
最初に離婚を言いだしたのは相手でも、結局、二年の時間が無駄に経過した後、遂に調停に持ち込んで幕引きを図ったのは私なのだから。

母親しか残らなくなって、まだまだ年端の行かない子供達は母親から色々な事を聞かされるだろう。その時は、全て幕を引いた父親が原因でこうなったのだ、大人の身勝手を実行した悪の張本人があの元父親だと言われて彼らは育つのだろう。それが容易に想像出来るだけに、子供達と別れる事がより一層辛いことに感じる。
だがこれから先、彼らが残された家族と一緒に過ごす時にも、また成人し彼らが新しく家族を築いた時にも 忘れないでいて欲しいのは、何かの縁で家族になった訳だから、軽々しく人を馬鹿にしないこと、口は禍の素であり心を傷つける最大の武器になること、そして自分以外の人への尊厳を忘れてはいけないこと。 それを忘れた時に家族はあっけなく崩壊する。
少なくとも、君たちの母親がやって来た人間性の軽視、尊厳の欠片もない言葉、そんな事だけは絶対に真似しないで欲しい。(同じことを自分がやっている気がして以下は削除しました 2013/2/24)

2013/2/22(金)

最近は余裕を持って仕事が出来ている、その代わり怠惰な自分も少し頭を擡げているのもまた真実なので残念。
朝から計数関係を処理して、午後からやってくる委託先との前回の議事録など確認している間にお昼。
午後二番から委託先と年度末の報告イベントの段とりを話して、次期以降の我々の進め方などをエラソーに話していたらもう夕方。夕方からもう一つの報告イベントの打ち合わせをしたらもう定時。1時間ほど残業をして一週間ぶりに上司であり同僚であるMRTと事務所の近所で呑む。来季本当にこの組織どうなるんだろうね?MRTが「西を統括するのはアンタしかない」と言ってくれたのが(お世辞だろうが・・)嬉しかった。本当にそうなればイイな。

2013/2/21(木)

スッキリ、サッパリと今季一年手がけてきたお仕事集が完成したので、メンバーに披露する。ブチョーKのレビューは受けていない。どうせMはお仕事内容なんて興味もないので。Mに興味があるのは金と女とエラソーに出来るだけの地位、そして上から注目される事だけ。
2013/2/20(水)

横浜の無法地帯でOさんと呑む。昨朝から風邪をこじらせているので面白かったが、キツかった。けどOさん本当に蘇ったね。

2013年2月19日火曜日

久しぶり

久しぶりにMKちゃんと呑んだ!
明日は上京するOさんと呑む。

2013年2月15日金曜日

徒労感だけが残る結末

2013/2/15(金)

いつもの出勤時間に合わせYHC(Yokohama Home Court)へ!
10時に調停開始。この調停が不発に終われば、もう成す術は無いと調停員には言われていたが、それでも言いたいことは言う、曲げたくないことは曲げない。

結論は(全て主語は当方)

・自宅は譲るがローンは払わない
・親権は譲る、養育費は払う、月一回位は子供に会わせること
・車も家電も全て要らない(譲る)
・手切れ金なんて払う意思はない(暴力も浮気もギャンブルでの家計破綻も無いのだから当然)
・離婚成立前のなるべく近い将来、然るべき時期に家を出る

以上の様な結論でほぼ合意。
結婚して12年と2ヶ月、同居して11年と9ヶ月一緒だったが、恐らく3月下旬には正式に夫婦でなくなる。
開放感も伴わない、後味の悪い結末。

やはり結婚は「墓穴」。

子供達の今後を考えると、本当にこれで良かったのか?自問自答しながら過ごす。
家に帰りたくなく、街を彷徨い、こういう時に限って飲みに誘っても誰も空いておらず、、
夜には八重洲の立呑み屋で二杯引っ掛けて長い道のりを各駅停車で帰る。

家に帰って来て見ると、相手は脳天気にも自分のブログに「やり直すんだ、清々した」みたいな事を書いてあり、馬鹿らしくなる。
もしやり直しができるのであったなら、とっくの昔にやり直せていただろう。
徒労感だけが残る結末。

今は、相手を13年前に紹介してくれた、友人英蟯虫に対して誠に申し訳ない気がしてならない。

2013年1月28日月曜日

Weekly blog 2013/1/15~1/25

2013/1/23(水)

大阪からMKがやってくると楽しみにしていたのに、やって来たは良いが、今日は呑めないと言われガックシ。相棒KZとは「それでも呑もう!」と新橋に集合。新年初めて相棒KZと呑む。勿論、竜馬。年始から飛ばすのはしんどいので、21時過ぎには新橋から帰途につく。

2013/1/22(火)

大阪から実姉がドサで出張。浜松町で呑む。

2013/1/18(金)

この日、朝10時からYokohama Home Courtに行く。
折角、前夜言いたいことを文書化したのだが、調停員の進行ペースに乗せられて調停は進み、結局文書は出せずじまい。
然しながら、前進は前進。離別は恐らく春5月。家は渡し、子供も渡すのだから文句はないだろう。
結局、三時間近く調停は続き、来月に第四回をやることが決まった。
第四回で決裂すれば、後は裁判しか残っていない。
午後から住宅ローンを組んでいる銀行に行き、その後、湘南の辻堂まで登記簿を取りに法務局まで行く。
全て終わったのは16時前。そのまま家に帰りたくないので、東京行きの電車に乗っていたらいつの間にか新橋。
今日は相棒KZも居ないのだが、一杯ひっかけて帰ろうといつもの竜馬に入る。たまたま隣で飲んでいた人に「常連ですか?」と声を掛けられ、話をするうちに、外注さんだがうちの組織で働いていると言う事が分かり、、、結局ビール二杯に焼酎を二杯、それで帰ろうと思ったら、「もう一件行きませんか?」と誘われて、結局、新橋から電車に乗ったのが23時すぎ。長い一日。

2013/1/17(木)

十数年前の上司Uさん。既に今の組織を辞め、他に移った方だが。そのUさんのご母堂様が逝去されたとKZより連絡有り。仲間内で人を集め弔電。ご冥福をお祈りします。

2013/1/16(水)

当分、相棒KZが飲みに行けない宣言をしているので、飲みにもいかず黙々と仕事をして黙々と帰ろうと思っていたが、大阪からOさんが上京、新年の挨拶。
18時過ぎに事務所を出て東京駅に向かう。流石に懐かしい横浜の無法地帯で飲むには寒すぎるので、東京駅の真ん前の八重洲「呑うてんき」で再会の乾杯。元気そうで何より。
昨年の今頃はこのOさんにPRJ終了直前に激怒され、辞める辞めないの大騒動だったが、結局辞めて特殊建物専門の不動産屋になったOさんはいつも明るい。
うーん、転んだ結果吉と出てるねOさん。20時前には宴も終了。帰途につく。

2013/1/15(火)

前日昼から降り続いた雪は、前日日中で約20㎝は積もっていた。夕方まで降り続き、夜半から霙混じりの湿雪。
朝、早めに起きてみれば外は一面の雪景色。朝刊を配りに来たカブの轍跡だけが微かに溶けている状態。
5時半には家を出て恐る恐るユルユルと歩きながら、山越えのK急バスは走っていないと判断して、山を越えないE電バスのバス停に向かう。
何分待っても時刻表通りにはバスは来なかったが、とは言えJRの駅には6時半過ぎには到着。
電車はいつもと違う路線で遅れはするも、定刻には会社に着く。何だか期待した通り?には混乱は無く出勤できてしまう。
日中は恙無く仕事を済ませ、夕刻外に出てみれば既に都内は雪が大方融け出していた。
寄り道もせず、JRの各駅停車で最寄駅に戻る。帰りもバス。かなり融けてはきたが家の周辺はまだまだ雪が道に積もっている。
当分、チャリンコ通勤は無理だな。

2013年1月14日月曜日

Weekly blog 2013/1/7~1/14

2013/1/14(月)

朝9時前に目覚める。朝食を食べている間に雪。今年の初雪。昼前には見る間に20㎝ほど積もり、豪雪地帯の様相になってきた。

2013/1/13(日)

目覚めが良くない。やはり日本酒の深酒は後で来る。

九時前に起床。
暖かい一日。
そろそろ現実的な事を考えないといけない。
家庭内完全別居状態を改善しないことには、生きている意味がない。
働けど感謝もされず、蟄居みたいな生活を強いられているのはもう嫌だ。
午後に不動産屋の営業さんを呼んで家の査定。手放すにせよしないにせよ、実質的な資産の市場価値は知っておかないと身の振り方を決められない。
3.11以降、家を手放す人が多いのだが、成約率は何と20%しかない完全な供給過剰な状態だという。
売却しても売却損が出る可能性も無きにしも非ずだが、かと言ってこの状態で家のローンを払い続ける気は毛頭ない。
この所の不況で給料が減りローンを払えない人が多いのだろうなぁ。
うちもそうだ。不況だとは言え、10年位前まではITバブルで何とか羽振りが良かった。
2009年のリーマンショックで、実質的な不動産転がしをしていた当時の経営者Aは引責辞職などと言いながら、結局、自らの腹を切るわけでもなく、今ものうのうと過去の蓄えを持って何処かで生き延びている。
残された社員は路頭に迷い、給料を減らされ、更にそれも遠因とし、結局我が家は崩壊した。
あれから既に2年。
もう決着をつける時期だ。
晩、仕事から帰ってきた相手方が「家を手放そうなんて安易に考えてるんだろ」「子供達はここを離れられない、そんなこと考えたことがあるのか」と詰問してきたが、無視。
甘やかせるだけが教育ではない。現実を見せるのも教育のうちだと思うのだが。
言いたいことは、今週金曜日にYHCで言ってくれ。
持ち家にこだわって、高い無駄金を払い続けるために生きているのではない。

2013/1/12(土)

暖かい一日。
最近はAmazonの上顧客だ。ほとんどのものをAmazonで買っている。
書物も一緒。資格の受験勉強のハウツーものを二冊同時に購入したので(当然、中古本)一気に読む。まあ一冊は木曜日から読み始めているのだが。
ただ、どれをとっても書いてあることは「綺麗なノートは作るな」「キーワードで覚えろ:」「電車の中で勉強しろ」など。
至極ごもっともなのだが、今更言われなくても解るような事ばかりと言えば言えなくもない。
参考になったのは耳で勉強しろとの下り位のものかな。

晩、越後の酒「純米菊水」を飲みながら「男はつらいよ 寅次郎恋やつれ」を見る。
菊水は多少甘めの酒だが、冷で行くとグイグイ呑めて旨い・・・(これが翌朝の後悔につながるのだが)

2013/1/11(金)

今週は、相棒KZが早々に「断酒」宣言をして来たので、定時後に違うグループのOSGに久々に声をかけたのだが「今から現場なんで」とあっさり断られる。
まあ金も無いことだし、真面目に帰ることとする。

晩、似非麦酒(発泡酒)を飲みながらとりためておいた「山本五十六」を見る。
戦後七十年近く経っても、旧帝国海軍の軍人ばかりを持ち上げる風潮が無きにしもあらずだが、、、それは陸軍と比べてまだ海軍が「若干まともな組織」だったという事に過ぎないのだとは思う。
ただ、当時の極めて好戦的だった状況の下で、山本五十六だけはまともな感性の持ち主だった様には思う。
それが旧長岡藩の気質だからか、維新以来日本を牛耳っていた薩長への対抗心がそうさせたのかは判らないが。。
軍人だから戦をしろと言われれば、勝つための戦はする。だが、本来、軍人は平和を守るためにいるものであって、極めてバランス感覚に長けていなければならない、すなわち好戦的な人種であってはならないということが良くわかる。
この映画を見て危惧するのは、当時と今の状況があまりにも似ていることだ、政治が機能せず、やたらと好戦的な政治家や世論が形成されている。
ただ当時と異なるのは、圧倒的に兵器が進化していること。今の仮想敵国も、当時の米と同じ。今やボタン一つで日本の機能を完全に麻痺させることができる武器だって持っている。
当時は「好戦的な軍部(特に陸軍)」が国を牛耳ったのがこの国の「失敗の本質」だったが、シビリアンコントロールの名の下で「好戦的な文民(や世論)」が外交下手を棚に上げて、直接的に目に見える形で兵を動かすことに動き出すのが一番怖い。
かの国の異常さは、嘲笑にしか値しないレベルでありまともには相手にできるレベルではないと思う、、、だからと言って幼稚な挑発に乗って、幼稚な発想でドンパチやり始めないかそれが一番心配だなぁ。この世で「戦わない軍隊」ほど「名誉ある軍隊」は他にないと思うのだが。

2013/1/10(木)

今季残り2ヶ月だが、また新年そうそう残業規制が出ている。
朝から関東の僻地に直行。工事の進捗を見て、定例会をやったら日が暮れた。
早々に都内に移動。今年最初の新年会&壮行会に出席。
新年早々から異動も大変だよなぁ。

2013/1/9(水)

早朝から関東の僻地に移動。工事の山場なので立会い。
午後から都内事務所に移動。

2013/1/8(火)

仕事はまだスローペース。定時18時に退社。
今日は八重洲ブックセンターで道草。
家に帰り着くのは22時前。訳あって4時間かけて家に帰る。この生活をほぼ一年続けている。

2013/1/7(月)

あけましておめでとうございます!!
この挨拶もろくに出来ない上司って何なんだろうね。
憂鬱な仕事始め。

2013年1月6日日曜日

Weekly blog 2013/1/4~1/5

2013/1/5(土)

新年早々。自宅に帰ってきてからは何もしていない。昨年の12/29以来、一冊の本すら読んでいない。
新年の計は元旦に有りとか言うが、既に今年も五日目。
何もする気が起きないのである。
これでは今年の計もヘッタクレも有ったものではない。

起きたら既に別居相手は居らず、残された子供達の昼食、夕食を作って、風呂に入れて寝かせるだけ。 こちとらの可処分所得が殆どなく、何処に行く宛も無ければその気にもならない。 家の中で子供相手にトランプやカルタで遊ぶのみ。
子供達が外で他所様の子供と遊んでいる間に、たまに思い出した様に資格の勉強もするのだが、何だか目標値の 設定に疑問が生じ(本当にこの資格でいいのか?って言う疑問)、捗らない。

この夜も子供達とバス乗り継ぎ旅のテレビ番組を見ている間に、子供達の寝る時間が来てしまい、そうこうする内に相手方が仕事から帰ってきて、別居部屋に引きこもり。
独り身と同じでありながら、外に遊びに行けるわけでも無く、早く出勤した方がメリハリが効いた生活が出来て良い気がする。
こうやって新年休みが過ぎていく。なんだか憂鬱。

2013/1/4(金)

正月は稼ぎ時なのだろう、朝から晩まで別居相手が居ない。居ない間は全て子供の世話係り。
今日はせっかくの休みなので、晩の二、三時間ほどバイクで出かけようと思っていたが、案の定、別居相手が晩も何処かに出かけたためにどこに出て行けるわけでもなく、無駄な一日を過ごしてしまった。
恩を売る気はないが、こんな事が結果的に裏支えになっている事をちょっとは理解しろってぇの。
してないだろうけど。
こんな事をもう一年も引っ張っている、早く結果出すしかないのだが。
別れるってのは、くっつくよりも馬鹿に時間がかかる。しかも無駄な時間が。

2013年1月4日金曜日

Weekly blog 2012/12/29~2013/1/3

2013/1/3(木)

早いものでもう新年も三日目。
何をするともなく、自堕落に新年生活を送っている。
朝は十時過ぎに起床。昨晩、実家から持って帰って呑んだ日本酒「幻の瀧」純米酒が効いた。
さらりとした飲み口に、五合瓶に半分ほど残っていた酒を全て頂いたのだが、翌朝になって体に来た様だ。 二日酔いと言うよりは、肝臓がヘタっている感じ。
なのでこの日は休肝日とする。
朝(と言うか昼だが)から何もせず。
相手方が趣味の店を正月から営業しているので、放っておかれた感じになった子供達だが、、、
放っておいても子供は育つものだ。勝手に外で遊んでいる。
年始早々に借りてきて、昨晩は半分しか見れなかった「男はつらいよ 16作 葛飾立志篇」を残り半分見て、年始から本腰を入れるぞと誓った電験の電力の勉強なんぞをしている内に夕方。
相手方が帰ってくると自動的に、座敷牢と化した自室に引きこもるヒッキーになるのでPCも自由に使えず、不自由で仕方がない。
晩に相手方が出かけたので、晩は「キリン 前後編」「男はつらいよ 17作 寅次郎夕焼け小焼け」を見て過ごす。 

2013/1/2(水)

朝7時半過ぎに起床。朝食の後、実家の片付け、清掃をした後、父親をホームまで送っていく。
ホームはこの所のノロ対策で面会お断りになっているため、玄関前で実父と別れる。
呆けてもいないはずなのに、正月中ずっと、まだ母親が鬼籍に入ったのが解らないのか、解っていて解らないと否定するのか判らないが、「オカアサンどこに行った?」と繰り返す姿を見ていただけに、また再び一人ぼっちは寂しいだろうなと思う。
最寄駅まで実兄夫婦に車で送ってもらい、岡山からは川崎N700RRの人となる。新大阪で実姉と別れ、今年の帰省も終わった。
12月の中旬には、相手方に1/2の夕方17時には帰って来ると伝えていたが、ロクに読んでもない模様。
自宅には16時半頃着くも、子供含め誰も不在で18時になっても戻らず。
まあ予想はしていたが、夕飯にありつかないといけないので、外に飯を食べに行く。
20時前に相手方と子供達が戻り再び完全別居モード。

2013/1/1(火)

正月が明けた。
朝から実父を囲んで、実兄夫婦、実姉と合計5名で正月を祝う。
昨年の今ころはまだ実母がいただけに、何だか歯の抜けたような正月。
でも、実兄の奥さん(義理の姉)が居てくれて本当に助かる。
小まめに実父の変化を見てくれて、母親の代わりを全てやってくれて、本当にありがとう。感謝します。
結局、朝から呑んで食べて、ちょっと休憩してまた呑んで食べての繰り返し。
晩はうどんすき鍋とか寿司とか、御節の残りとか、そんなもので腹一杯。
何もしない正月。
案の定、夜遅くまで呑む。
夜中に実父のトイレの付き添いをするだけに、呑み過ぎるとかなりキツい。

2012/12/31(月)

忌まわしかった2012年も今日で最後。朝7時半に起床。前夜、深酒しすぎ。
リビングで寝袋と毛布で寝たのだが、点けっぱなして寝たはずの、リビングのエアコンが朝になって全くウンともスンとも言わなくなった。これも壊れたか、、、ショック。
ひとが集まる場所だけに、肝心の空調がやられてしまうと、寒さに耐えられない。
急遽、実母がまだ元気だった頃に購入したという灯油ファンヒーターを引きずり出して給油するなど、朝からテンヤワンヤ。
10時すぎに既に交換対象だった手の部屋の空調取り付けの人がやってきて、立会い。
やっている事は公務とあまり変わりません。
その内、実兄夫婦が昼過ぎになって車で到着。二日分の食材は彼らが全て持参してきた。 その後、実父を迎えに行く班、昼食や不足物の買出しに行く班と別れ、夕刻には実父も揃って大晦日臨戦態勢は整う。
日が落ちる前に、墓参りを済ませ、夕方18時前から鍋の準備、18時半から鍋投入。
その後は、紅白だの何だのとテレビチャンネルを見るともなく回しながら、鍋をつつく。
鍋が終わったら、今度は蕎麦。
蕎麦を食べ始める前に、石川さゆりの「天城越え」が始まってしまい、私の中の2012年は暮れた。

職場の異動、母の死、家庭内紛争の激化などなど色々とあった2012年も終幕。

2012/12/30(日)

目が覚めたのは7時頃だったっけ?
徳ちゃんが既に目覚めていた。あっしが二番目、その後、続々と起き始め、気がつけば朝から鍋の準備が始まっていたが、朝10時に約束をしているため移動をかけねばならず、ビールを三杯ほど飲んでアジトを退散。
団長様、課町長様、徳ちゃん、一宿一鍋ありがとうございました。

新大阪で実姉と再会、切符を渡して共に実家まで帰省。
地元駅前でレンタカーを借り、ホームまで実父に会いにいく。
この日は冷たい雨、午後16時過ぎには実父に明日昼過ぎには迎えに来る旨を伝え、実家に戻る。
晩はこれまた鍋。二日連続。
酒は、ビール、チューハイ、焼酎(麦)なんでもござれで、、深酒。

2012/12/29(土)

案の定、相手方と子供達は帰って来なかったので、朝はゆっくり過ごす。
このまま夕方まで帰ってこなければ、こちらの出発予定の15時頃までゆっくり過ごせるはずだったのだが、 13時半過ぎにクルマに乗って帰って来る。
玄関先で何だか喚いているので気分が悪くなって、14時過ぎには家を飛び出す。
飛行機が18時発なので、早すぎるのも困りものなのだが、16時過ぎには羽田に着いてみると人がごった返している。多少の余裕を持っていないと焦るばかりだろうから結果的には不幸中の幸い。
18時定刻にANA便は飛び、伊丹には19時半前には到着。
アジトまで意外に時間がかかったが、21時前には到着、鍋第二弾。
懐かしい話が聞けて楽しかったが、、、、鍋の開始は17時ころだったと言うから、もっと早くから到着しておけば良かったな。
来年からの課題。