2012年7月27日金曜日

Weekly blog 2012/7/23~7/27

2012/7/27(金)

急遽、昨日残業禁止令が出た。サマータイム期間開始直後から残業禁止は言われていたが、今回はさらに厳しく10時間以内に抑えろとのこと。だが、、、そもそも業務量が多いから残業が多いのでないのか?人が少ないから残業が必然的に多くなるのでないのか?根本解決は図ろうとせず、一方的に禁止令を出して何とか帳尻を合せようなんて言うのは、稚拙で無策な管理策でしかない。朝から、来週火曜日を目指しての資料作成。漸く完成。帰りは東京駅まで歩く。この所、電験の試験勉強を怠っている。この二週間ほどの混乱の所為にはしたくないのだが、モチベーションが上がってこない。これを書いている今も気は焦れどこんなコトしているわけだからなぁ。明日からスイッチを入れ替える予定。今日は飲まずに寝よう。

2012/7/26(木)

朝から某神社の裏で仕事。代行業務なんだが、、今日の都内はムシ暑い。今年最高の暑さだ!大阪から大先輩のSさんが来ているため、前の職場のM課長と、既に他社に転職したH衛門を呼んで新橋で飲む。かつての丹波の山奥の案件で一緒だったメンバーなので同窓会の様なもの。当時のあの職場の一体感は何だったのだろうと懐かしむ。これからも、、四半期毎に集まりたい。

2012/7/25(水)

相棒KZと新橋で飲む。約一ヶ月ぶりの再会。場所は勿論、ホーム。新橋の聖地龍馬。生二杯、芋三杯で危うく乗り過ごす所だった。夜遅くに実兄よりメールあり、暫く実施も交えた兄弟間でのメールのやりとりになる。皆、最近の状況下では、電話が岡山の市外局番で掛かってくると鼓動がドキドキするとのこと。非常によくわかる。今は無事であることをただ祈るのみ。

2012/7/24(火)

夕刻から会社行事。帰宅は深夜。飲んでもないのに、、、何やってるか解りません。

2012/7/23(月)

朝から関東の僻地。11時前に母親の入院先から電話があったが出られず。その直後、実兄からメールあり。医師より母親の呼吸状態がかなり悪いため午後から気管挿管したいとの連絡があったとのこと。覚悟はしていたが、こんなに早くその機会が訪れるとは思いもよらなかったので、心配でならない。苦しいだろう、辛いだろう。どうしてもやれず、ただ無事を祈るしかない我が身が情けない。

2012/7/22(日)

夜になって実父の入院先から電話あり。足の浮腫が激しいので一週間、退院日を伸ばしたいとのこと。了承。実父の入院は母親に比べるとまだ平和なのだが、あまり入院が長くなるのも父の精神的はキツイだろうなと思う。

2012年7月21日土曜日

Weekly blog 2012/7/16~7/21

2012/7/21(土)

早朝、実兄からメールを貰い10時過ぎに母の入院する倉敷の大病院で待ち合わせ、時間に合わせ実姉と病院に行く。昨日退院してきたと言う兄は、手術をした左目がまだあまり開かない。確かに良く見ると目の大きさ自体が若干小さくなった気もするが気のせいか?昨日の緊急兄弟会議の結果をお互い確認しながら暫く待たされ、昼前、漸くICUに母を見舞うことができた。昨日より更に呼吸状態が悪くなったと言うことで再び有圧の人工呼吸器を付けられていた。胸水もやや昨日より増えたとのこと。予断は許さない状況。ただ、昭和の母は強いのだ!我が子が三人(と言っても皆、既に中年の大人なのだが)揃ったことに喜びを隠さず、手を握り、筆談をすると「アイスクリームが食べたい」と人を和ませるようなことを書き(水の摂取が極度に制限されているので、本当に欲しているのだと思う)、看護師の励ましの言葉に感謝の気持ちを表す様に手を合わせ、気を遣う素振りを見せる。元々涙腺の弱い私は、何だかまた涙ぐんでしまいイカンイカン。あまり長居はできないため、主治医に、治療方針(気管挿管)の要否の再確認を行うため別室へ。昨日の兄弟会議で課題であった「気管挿管が治療に際してMustなのか、Maybeなのか」という点は、「極めてそうなる可能性が高いが、、Mustではない」との言質を得て、私も納得。承諾書にサインをすることになった。が、主治医がそのあと発した言葉が衝撃だった「恐らく症例としては過去に三例しかない難病なんです・・・」。一同唖然!日本で三例?(もしかしたらこの病院での三例?と言うのが確認できなかったのだが、、、、)。主治医に御礼を言って、午後からは実父の入院先に移動。実父は相変わらず寝ていて、我々の到着に「なんじゃがぁ」と喜びを露わにするわけでもなく目を覚ます。だが、、偏屈老人なんで、ホントは実の子供達が三人顔を揃えて見舞いに来た事が嬉しくないはずがない。三十分ほど話をして、来週の月曜日には退院して老人ホームに戻ることを伝え、去ろうとすると「あれはどうなっとるんじゃ?」と、何かと引き止めようとするのは、やはり嬉しいからであろう。兄が「来週も来るから、また旨い寿司を食いに行こうな」と約束し病院を後にする。再びお世話になる老人ホームに挨拶に行き、ほんの一瞬だけ実家に寄って、16時半前に岡山駅前でレンタカー返却、三人で駅ナカで昼食兼食を食べ、17時半前に川崎N700RRの人となる。22時過ぎ自宅帰投。

2012/7/20(金)

いつもより若干遅い朝6時過ぎに、自宅を出る。まずは家裁へ。調停が始まるまでに電話が二回、一つは仕事。もう一つが母親の入院している病院から。「気管支鏡生検の同意を取りたい」とのこと。兄姉と電話で相談し了解を出す。昼前に家裁の拘束を解かれ、13時半前から移動、16時半過ぎに岡山駅で実姉と集合。レンタカーをピックアップして母の許へ。先週に比べ、息が苦しそうで明らかに顔色が悪い。そして非常にやせ細っている。主治医から説明あり、今回から呼吸器内科に主治医がバトンタッチとなった。呼吸状態が悪く、結局気管支鏡生検は実施しなかったが、原因がほぼ特定できたとのこと。病名は「播種性非結核性抗酸菌症」。要はマイコカンシー?と言う菌が悪いことをしているとのこと。母は好酸球性肺炎を長く患い、ステロイドを多用していたため、免疫能力が落ちた結果、健常な人なら症状の出ない抗酸菌症になってしまったという見解。だが問題は呼吸が弱い、個体の健康状態もかなり弱くなっているため、人工呼吸でなく気管挿管が最良の方針という説明を受ける。同意の可否を聞かれたが、、、気管挿管で結局そのまま寝たきりになるリスクもあるため回答がその場では出来なかった。その後、一瞬だけ父の入院先に顔を出し22時過ぎにようやく実家着。夜の遅くに兄に電話し、兄弟会議を実施。結局寝たのが2時過ぎ。

2012/7/16(月)

朝、先週の急遽の休みの説明を上司である同志MRTに実施。その説明の後に聞いた話がショッキングだった。先週、恐らく急遽帰省したその同じタイミングで、大阪の飲み友達であるSGやんが飲んで帰る途中、転倒しICUに担ぎ込まれたが意識不明の重体とのこと。我が耳を疑う。先々週はあんなに元気だったのに。。。一刻も早い快復を望む身の回りの人間がまた一人増えてしまった。本当に元気で復活して欲しい。頑張れSGやん!

2012年7月19日木曜日

The battle in YHC!

The battle would be executed tomorrow in Yokohama home court. The truth would get the victory perfectly. I would like to believe the power of Justice.

2012年7月15日日曜日

Weekly Blog 2012/7/8-7/14

2012/7/14(土)

朝から実姉と、昨日腸炎で入院した父親を見舞うため、まずは海沿いの老人ホームに行く。父親の自室の荷物から入院生活に必要な物資を選び、施設長に改めて御礼を言う。エレベータ前にいつも座っている爺さんが、「お父さん何処行かれたんじゃが?」と言うので、「入院してるんですわ」と答えると、「親父さん元気ねぇのう。大丈夫けぇ?」と励まされる。言い得て妙。確かにここの施設に来る前から、そして来てからも元気はない。母親の入院から三ヶ月近く。会えずに寂しい思いが父親の生きる気力の萎えにも繋がっている様に思う。荷物を持って、入院先に向かう。元気のない父親は、ベッドに無気力に座っており、朝食は食べたか否か聞いても定かではない。ちょっと不安。認知ではないと思うが、、、。荷物を置いて、身の回りを整理して、不足物資を実家に取りに行き、またもや老人ホームに寄ってと大忙し。昼過ぎに漸く父親の入院先から移動を開始。倉敷で一番大きな病院に母親を見舞いに行く。ICUに人工呼吸器を付けられている姿はいつ見ても可哀相で、悲しい気持ちになるが、急報を受け最初に見舞った木曜日に比べると血色が良く、肌のツヤも出てきた。本人の意識も明瞭で、実家の庭が荒れ放題だったと実姉が伝えると、シルバーセンターを筆談で紹介してくれるほどの快復ぶり。本人は今、一般病棟に戻ることを第一の目標として頑張っている。逆に私が勇気づけられる。ICUなので一時間も見舞えず、岡山駅前にまでレンタカーで移動し、16時過ぎに岡山駅で遅い昼ごはんを食べて、川崎N700RRに乗った所で姉と別れる。20時前新横浜着、22時半過ぎ自宅へ帰投。

2012/7/13(金)

会社を休む。この日に会社で出るはずであった「しょうもない会議」の音頭取りを「MRT君に任せてごめんなさい!」と起きて早々にMRT君にメール。朝の遅い時間に、実父の居る施設から電話。実父が朝からご飯を食べない、下痢、嘔吐、血圧が異常に高いとのこと。実家から急いで海沿いの老人ホームに行き施設長に話を伺う。実父に様子を聞くと「腹が痛えんぢゃ」と訴える。何度も下痢を繰り返しているので、施設長とも相談し、つい先日まで入院していた病院に様子を見せに行く。レントゲン、心電図、採尿をしてその日の若い担当医の下した診断は「ひどい脱水と、腸炎」。しかしながらこの若い医師は「高齢でもあり、一旦バランスを崩すと、取り返しのつかないことになる可能性もある。入院を勧めるが、その様な覚悟も持たれたほうが良い」とのアドバイス。ハッキリとモノを言うこの若い担当医に、医師としての使命感と好意が持てた。そして実父は再入院。腹が痛いのに「あの旨い寿司が食いてえがぁ」と抵抗する実父を「退院する時にまた食べに行こう」となだめてなんとか事なきを得る。時間は既に17時。レンタカーの返却が18時に倉敷駅前なので、途中で実母を見舞う姉を病院前で下ろして、18時過ぎに倉敷駅でレンタカー返却、岡山駅に移動して他のレンタカー会社で軽四輪を借り直し、またもや倉敷の病院に移動し見舞い後の姉をピックアップ。実家帰投21時半。

2012/7/12(木)

寝台特急で岡山着6時半着。在来線乗り換えで倉敷着7時丁度。タクシーで先行して病院の契約施設に泊まっていた実姉に半年ぶりに再会。母親の昨日の状況を聞く。そうこうする内、12時前に漸くICUでの面会が許され、母に会う。人工呼吸器を付けられ、栄養も経鼻、経動脈。見るからに痛ましい母親の変わり果てた姿に思わず涙が出てしまった。が、母は強し。意識は明瞭で「良く来てくれたなぁ」と涙ながらに、苦しい息で声を振り絞って訴える。不覚にも子供の様に泣いてしまった。ICUでの面会時間は短いので、明日も来ると母親に伝え、待合室で作戦会議。四輪車がないと生活できない土地柄なので、倉敷駅前のレンタカーを携帯から予約して車を取りに行く。14時前から実父のいる老人ホームに移動。実父は漁港側の食堂で一人、何をするともなく車椅子に座っていた。「来たよ」と言うと「何しにきたんじゃ?」とつれない返事。偏屈で寂しがり屋で、我儘な実父なので、 これも子供に対する愛情表現なのだろう。父親の自室の身の回りを整理するも、この暑いさなかに寒がるので、窓を閉め切ると今度は暑い。熱中症の危険があるので父親に伝えるも、話を理解できていない。困ったものだ。 施設のヘルバーの方々もこの偏屈老人には手を焼いている様子。帰り間際に施設長と話をしてその事を実感した。この日は久しぶりに実家に泊まる。

2012/7/11(水)

朝から関東の僻地へ。重鎮Mさんと伝承ドキュメントの最終形の話をしに行く。委託先業者のMさんではあるが、今のところ、基礎技術が重要であるとの私の持論の唯一の理解者である。昼過ぎに都内の事務所へ移動。都内事務所を19時前に退社。電車に乗って帰宅途中、母親の検査に立ち会っていた姉から「母親の容態急変、集中治療室へ運ばれた」との報せを受ける。こちらから電話を折り返し様子を聞くも、意識も薄らいでおりいよいよ危ない様子と判明。この時既に時間は20時半。病院のある倉敷までだと、新幹線での移動は既に無理と判明。だが自宅に一旦寄ってなどの余裕が有る様には思えない。一か八か「みどりの窓口」で寝台列車の予約状況を聞くと一席だけあるとのことなので、幸運にも唯一残ったその席を押さえる。22時20分。着の身着のまま、横浜から寝台列車の人になる。

2012/7/10(火)

この7月から、どれだけ残業しても、残業代は30時間台後半で固定の裁量労働制となった。しかもこの時期は社内サマータイムも実施しているので17時過ぎには定時となる。が、明日の資料が間に合わず19時過ぎまで会社にいた後、MRT*2、HRM達が飲んでいると言う店に行く。結局今日も酔っ払い。23時過ぎ自宅着。

2012/7/9(月)

久しぶりの東京。何だか気分が乗らない。やはり関西の方がモチベーションが保てる気がする。節電効果のほどが定かではない社内サマータイムのため5時半過ぎに起きて、いつもより30分早く出勤。報告と来週水曜日からの第二フェーズスケジュールの作成でほぼ一日費やす。休肝日。

2012年7月9日月曜日

Weekly blog 2012/7/1~7/7

2012/7/7(土)

朝から倉敷に直行。母親を見舞う。先週とはうって変わって非常に平和。咳も出ず、意識も明晰。前の入院先で認知症に間違われた話をして怒っていたが無理もない。大体、二日や三日でいきなり認知症になるワケもなく。そんなのは長年患者を見てきたら解る事だと思うのだが、、。昼前に主治医から別室に呼ばれ、兄と一緒に話を聞く。主治医は母親の肺炎が長引いているのを懸念しており、他に主原因があるのではないかとの見方。それを調べたくてリンパの生体検をしたいので家族の同意が必要とのこと。更には立会いを示唆されたが、これは兄も私も無理なので真ん中の姉に依頼することとする。昼過ぎに父親のホームへの転院のために駅前で借りてきたレンタカー&私の運転で実家近くに移動。足の悪い父親を何とか車に乗せ、移動を開始早々「寿司食いに行こう」と父親が言い出して父、兄、私の男三人で病院の近所に寿司を食べに行く。父親は旨そうに寿司を食い、酒も一合だけ飲んだ。今後、いつ迄この様に三人で寿司を食べに来ることが出来るのか?と考えるとこの機会が最後になるかも知れないと思い、ふと寂しい気分になる。おそらく兄も同じ気持ちでなかったか・・・約束時間より少し遅れて入所したホームは海に程近く、海越しに讃岐の山々が見え気持ち良い眺め。一旦父親をホームに残して兄とテレビや調度品の買出し。ホームに戻ってくると、父親が自室から遠くの廊下の端で見知らぬお婆さんと話しているのが見えた。調度類を整え、テレビをセットアップして契約に入る。所長代理の方に不安はないかと聞かれ、兄も私も「偏屈な人間なので、無事溶け込めるか不安」言うと、この女性の所長代理は笑って「今さっきお婆さん達に囲まれて、上機嫌で歌を歌ってましたよ!!」と言われちょっと一安心。ここに来て父親の意外な一面を知る。まあなんとかやっていけるんでないか?時間はもう17時過ぎ。あわてて兄と二人で母親の病院まで戻り、数分母親に挨拶をしてレンタカーを返しに行き18時過ぎの電車に飛びのる。23時前、新横浜着。長い一週間だった。

2012/7/6(金)

一週間、尼崎の小西で立ち飲み続けたので今日は休肝。MKちゃんから「今週は、結局飲めずじまいでした」と残念メールを貰う始末。次の機会で飲もう。

2012/7/5(木)

18時半過ぎに仕事を一段落させ、丹波の山の中から移動を開始。帰り道の尼崎の小西で今日も立ち飲み。今日のメンバーはITやんと若手IS。文書もほぼ6割まで完了率を上げてきて上機嫌。21時過ぎに店を出る。ISは今日は乗り過ごさず素直に帰れたのか?

2012/7/5(水)

文書完了率がまだ悪い。5割程度。明日から巻き返しを図らねばと一人で気持ちは焦っている。まあ傍から見ればマイペースそのものに見えるのだろうが、、、。前日からSGやんが「サシで飲みに行こう」と誘われていたが、定時後、尼崎の小西に移動して、結局蓋を開ければABちゃんが来て三人で飲む。

2012/7/4(火)

朝から強烈な雨、山の上の丹波の山奥施設に向かうバスの中から見ていても、前が見えないほどの豪雨。 案の定、一日中足がズクズクと湿った感じ。肝心の仕事の方も、期待していた文書作成班のメンバーの一人が全く別件の仕事に振り回されており、文書策定率が非常に悪い、昨日終了段階ではまだ4割しか達成できず。仕方がないのでちょっと残業して、20時半過ぎに尼崎に姿を現すと、、まあ何と知った顔が7人もいる!!この日も小西で乾杯。一日を締める。

2012/7/3(月)

今日から一週間。丹波の山奥で、業務文書の集中策定強化週間。前日から大阪には来ているので朝早々に移動して、策定班メンバー(とは言ってもTNとIS。見慣れた連中なのだが)と目標値と役割分担の確認。定時終了時の進捗は約3割。期待値を若干下回るも、まあ初日はこんなもので良いんでないか?MKちゃんと飲めるのは今日しかないと思っていたが、結局、尼崎小西でITやん、TN、ISの四人。MKちゃんには結局、詫び入れ。

2012/7/2(日) To be continued!