2012年7月21日土曜日

Weekly blog 2012/7/16~7/21

2012/7/21(土)

早朝、実兄からメールを貰い10時過ぎに母の入院する倉敷の大病院で待ち合わせ、時間に合わせ実姉と病院に行く。昨日退院してきたと言う兄は、手術をした左目がまだあまり開かない。確かに良く見ると目の大きさ自体が若干小さくなった気もするが気のせいか?昨日の緊急兄弟会議の結果をお互い確認しながら暫く待たされ、昼前、漸くICUに母を見舞うことができた。昨日より更に呼吸状態が悪くなったと言うことで再び有圧の人工呼吸器を付けられていた。胸水もやや昨日より増えたとのこと。予断は許さない状況。ただ、昭和の母は強いのだ!我が子が三人(と言っても皆、既に中年の大人なのだが)揃ったことに喜びを隠さず、手を握り、筆談をすると「アイスクリームが食べたい」と人を和ませるようなことを書き(水の摂取が極度に制限されているので、本当に欲しているのだと思う)、看護師の励ましの言葉に感謝の気持ちを表す様に手を合わせ、気を遣う素振りを見せる。元々涙腺の弱い私は、何だかまた涙ぐんでしまいイカンイカン。あまり長居はできないため、主治医に、治療方針(気管挿管)の要否の再確認を行うため別室へ。昨日の兄弟会議で課題であった「気管挿管が治療に際してMustなのか、Maybeなのか」という点は、「極めてそうなる可能性が高いが、、Mustではない」との言質を得て、私も納得。承諾書にサインをすることになった。が、主治医がそのあと発した言葉が衝撃だった「恐らく症例としては過去に三例しかない難病なんです・・・」。一同唖然!日本で三例?(もしかしたらこの病院での三例?と言うのが確認できなかったのだが、、、、)。主治医に御礼を言って、午後からは実父の入院先に移動。実父は相変わらず寝ていて、我々の到着に「なんじゃがぁ」と喜びを露わにするわけでもなく目を覚ます。だが、、偏屈老人なんで、ホントは実の子供達が三人顔を揃えて見舞いに来た事が嬉しくないはずがない。三十分ほど話をして、来週の月曜日には退院して老人ホームに戻ることを伝え、去ろうとすると「あれはどうなっとるんじゃ?」と、何かと引き止めようとするのは、やはり嬉しいからであろう。兄が「来週も来るから、また旨い寿司を食いに行こうな」と約束し病院を後にする。再びお世話になる老人ホームに挨拶に行き、ほんの一瞬だけ実家に寄って、16時半前に岡山駅前でレンタカー返却、三人で駅ナカで昼食兼食を食べ、17時半前に川崎N700RRの人となる。22時過ぎ自宅帰投。

2012/7/20(金)

いつもより若干遅い朝6時過ぎに、自宅を出る。まずは家裁へ。調停が始まるまでに電話が二回、一つは仕事。もう一つが母親の入院している病院から。「気管支鏡生検の同意を取りたい」とのこと。兄姉と電話で相談し了解を出す。昼前に家裁の拘束を解かれ、13時半前から移動、16時半過ぎに岡山駅で実姉と集合。レンタカーをピックアップして母の許へ。先週に比べ、息が苦しそうで明らかに顔色が悪い。そして非常にやせ細っている。主治医から説明あり、今回から呼吸器内科に主治医がバトンタッチとなった。呼吸状態が悪く、結局気管支鏡生検は実施しなかったが、原因がほぼ特定できたとのこと。病名は「播種性非結核性抗酸菌症」。要はマイコカンシー?と言う菌が悪いことをしているとのこと。母は好酸球性肺炎を長く患い、ステロイドを多用していたため、免疫能力が落ちた結果、健常な人なら症状の出ない抗酸菌症になってしまったという見解。だが問題は呼吸が弱い、個体の健康状態もかなり弱くなっているため、人工呼吸でなく気管挿管が最良の方針という説明を受ける。同意の可否を聞かれたが、、、気管挿管で結局そのまま寝たきりになるリスクもあるため回答がその場では出来なかった。その後、一瞬だけ父の入院先に顔を出し22時過ぎにようやく実家着。夜の遅くに兄に電話し、兄弟会議を実施。結局寝たのが2時過ぎ。

2012/7/16(月)

朝、先週の急遽の休みの説明を上司である同志MRTに実施。その説明の後に聞いた話がショッキングだった。先週、恐らく急遽帰省したその同じタイミングで、大阪の飲み友達であるSGやんが飲んで帰る途中、転倒しICUに担ぎ込まれたが意識不明の重体とのこと。我が耳を疑う。先々週はあんなに元気だったのに。。。一刻も早い快復を望む身の回りの人間がまた一人増えてしまった。本当に元気で復活して欲しい。頑張れSGやん!