2009年1月21日水曜日

その朝は号外が配られた

朝、JR駅前で号外が配られていた。

昨日は呑んで帰り、小浜の就任演説は生で見れず。米帝の最高権力者の就任演説なんてどうと言って今まで興味も持っていなかったが、小浜の就任演説だけは歴史の転換期を見とかねばと言う気が働いた。まぁ彼の出し物は色々あって何が成功して何が失敗するかなんて解らないが、確実に期待するのはグリーンニューディール。奴等のエネルギー意識が変われば、幾分かは人類は長生き出来るかも知れない。

それにしても、「小浜は英語がうめぇなぁ~」なんて脳天気な事を言う、支持率最低の「国語も出来ない馬鹿宰相」はこの小浜人気をどう見ているのか?本当にタダ単に羨んで見てるだけなんだろうが・・・・・

2009年1月19日月曜日

新橋で再開(2009/1/16)

前々日、突如、友人英からドサの報。
週末金曜日はほぼ100%空いている、しかもこの日は幸運にも午後から上司が外出。
とは言っても呑めるのは長くても約一時間半、定時になって卓球脱出!で新橋へ。
SL広場前で待ち合わせ、立呑みでなく座れる店で鍋をやる。
最終新幹線に間に合うよう20時前には英とMサンは帰り、残ったのはOサンと私。
実はコンピュータ黎明期の経験者Oサンとは初対面なのだが、この後22時半過ぎまで焼酎ロックを呑みながら色々な事を話したのである。いやぁ面白い出会いでした。

2009年1月15日木曜日

2009年通勤風景(2009/1/8)

朝、横浜までの東海道線の中でまだ黎明の車窓を眺めていたら「カタカタカタ」と不快な連続音。車内で不快な音といえば一に携帯の会話、二にウォークマン(既に死語!)と言うかiPOD位なものなので、「何だぁ?」と思って音の方向に眼を見向けると、コートとスーツを着た見るからに会社員風の男が射るような(けどどこか生気の無い)眼差しでポータブルゲーム機を見つめ、左右の指を動かしていた。
なーにゲームごときに真剣になってるんだよ?と思うよりも先に、どうみてもこいつは馬鹿にしか見えなかった。
続く地下鉄の中でも、前に座った学生風の奴が、これまた魚の腐ったような眼でポータブルゲーム機を叩きまくっている。

たまたまほぼ同じ時期に英蟯虫が日記で書いている。
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=167400&log=20090106

同じことが携帯電話でも言えると思う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090112-00000021-maiall-soci

ゲーム機も携帯電話もオイラに言わせても社会悪。
企業は利益さえ出れば、何を作っても売っても良いのか?と思う。
企業の本質は利益を生むことだが、その存在価値は社会的な貢献、社会に利益をもたらす事にこそ見出せると思う。
馬鹿を生むゲーム機や、携帯電話を作っている会社が、馬鹿を拡大させていることにPL法を問う事が出来るなら、もっと社会から「どうしようもない馬鹿」が減っているだろうにと思う。

2009年1月13日火曜日

立呑酒乱(新橋「龍馬」2009/1/9)

新年最初の週末である。まだ年始の計も立てていないが、そんな事はお構い無しに呑みに行く。相棒ははるばる千葉県からやって来るので出だしはちょっと遅れて20時過ぎ。生憎の雨で寒いSL広場で待ち合わせいつもの「龍馬」へ。何時にもまして混んでいたが、あのブレーカートリップの一件があってから常連と認められているので(こっそりドリアンと呼んでいる)店の兄ちゃんが気を利かせてくれて少し狭いが二人分の隙間を奥のカウンターに空けてくれた。まずは生ビール中で年始の乾杯。肴はカマトロ刺し、鶏南蛮。お互いの正月の話をしながら生中は二杯で止めて、芋に移行、名前は「佐藤」だったか何だったか思い出せないが其々水割りにしてもらい都合三杯。最後は焼きそばで〆る。今日はどんな話だったっけ?正月の話はしたが、その後はぞろ目ナンバーの話だったっけ?まあいつもの様に何度も同じ事を話しているのだが、すっかり忘れてしまうので翌週も同じ話題で呑めるのである、、、。けど他は何の話ししたんやったかな。ホンマ忘れてるわ。

2009年1月12日月曜日

2009年通勤風景(その1)(2009/1/6)

年始から強盗慶太の敷設した東横線で通っている。(この選択にはまあ色んな意味があるのだが)この日も横浜から乗った。ちょっと狭いなと思った4人掛け+3人掛けの7人掛けの席のうちの4人掛けの席の方に座る。

体質的とかそんな言い訳は効かないほどの自制心の無い型肥満のオッサンが左に居る事が大体狭いのだが、右のOLか学生の若い女が自らの横にプラスチック製のブリーフケースを置いているのが狭いのを益々狭くしている。こちらが腰掛けると、若い女はそれに反応するように明らかに故意にブリーフケースをグイグイと押し、出て行けと言わんばかりの行動に出る。「鬱陶しいな~」と思っていたら、今度は左の肥満が明らかに故意に肘を突き出してくる。

二、三駅こんな奴等に挟まれながら不愉快な気持ちでいたが、不意にそんな自分が馬鹿馬鹿しくなった。

まるでこれじゃあデブがエジプトで、女がレバノンかヨルダンかシリアで、女のブリーフケースがガザ地区で、オイラがイスラエルみたいな構図ぢゃん。オイラから見ればオイラがガザ地区で、デブが米帝で女が英帝で、ブリーフケースがイスラエルやねんけどな。
自分達の縄張り争いに汲々とするのは、悲しいかな人間の生まれもってのサガなのかも知れない。
そうか!その心理をゲームにしたのがイス取りゲームなわけやな。

因みに、隣の女に「カバンは網棚に置かれたら如何ですか?」と言ったが無視された。因みにこの女はセレブに人気の自由が丘で降りていった。隣のデブは狸寝入りを決め込んでいたが、次の駅で隅の席にヨタヨタと移動していった。

強欲な奴はいつでも、どこでも強欲である。人に合わせる、人と分かち合うと言うのをしらない。
しかしながら強欲な割りに電車で通っているわけだから、どうも強欲が収入とかで実を結んだことが無いようだ。
己を知れ!この強欲!

2009年1月5日月曜日

仕事始め

さあ2009年の仕事始めである。
昨秋、丹波の山中の現場処理から再び、混沌と強欲の象徴、温室効果ガス垂れ流しの象徴「大東京」の「ご本社様」に転勤して来てから、「現場処理」と言う最も金儲けに無縁な業務の「金儲けモデル」をY課長と考えていたが、果たして今月が「金儲けモデル」化の白黒がハッキリする勝負の月なのである。金儲けに無縁な業務の「金儲けモデル」なんて、成立しても左団扇で暮らせる程の利益にも繋がらないが、実は我々には「金儲けモデル化」以前の使命がこのミッションには隠されているのである。この「金儲けモデル」化が成立しない場合、最悪の場合は現場処理及びその周辺技術部門の連中、それは数にして最小4名~最大30名ほど、更に言えば彼等の家族を含めれば約100名弱の将来を路頭に迷わす結果に陥る可能性がある。だからこそ我々は真面目にこのミッションに(多少、資料作りに飽きながらも・・・)取り組んでいるのであるが、、、、正月明けは確かに低血圧状態。思考力が働かないので早々に退社。

で、新年明けの今日から時間が掛かるが安い通勤ルートに切り替えたので、強盗慶太の敷設した私鉄で渋谷から横浜へ。
横浜の紀ノ国屋書店で探していた本をゲット

http://kappa-novels.com/shinkan/200505/05_02.html

新年早々は横山秀夫から始めるのである。

閑話休題
昨日、もう一方の板に書いたら早速に180km/h→108km/hに変わっていた

http://www.ekimaerindows.com/diary/diaryindex.html

友人Eの細かい配慮に感謝。

2009年1月4日日曜日

とんだ年明け(2009/1/1~2)

2009年、元日。毎年そうだが元日に一年の計を思う事は余り無い。投げやりに生きているつもりも無く、公私共にやらねばならぬことは沢山有るが、子供の時から年始早々に祈ったものが実現したためしが無いからだ。そんな事を努力不足と言うのだと誰かに吐いて捨てるように言われそうだが、幸い今日はそんな事を言う人は身の回りに誰も居ない。

午後早くに例によって実兄一家が自宅に去り、その後はこの時とばかりうだうだだらだらと昼間から麦酒を飲んで暮らしていたら、あっという間に夕方になる。
早くも今晩、夜行寝台で自宅に帰るので、午後の9時半には実家を出た。
この冬は温暖化を印象付ける暖冬傾向が激しいが、元日の晩は流石に寒い。田舎なので寒空に満天の星が降り注ぐ。
会社員の小倅故に、実の父母も都会生活からのUターン組であり、この実家に暮らしたことは一度も無いが、最近この先祖代々の地が自分のルーツであると言う思いを何故か強く感じている。(住みたい住みたくないという感情とはまた別の感情として・・・)
40代も半ばを過ぎれば、それまで隠れていた心理が顔を出すのかも知れない。

最寄り駅を15分ほど遅れ、22時15分過ぎに再び上り夜行寝台の人となる。

が、ここからが長かった。
岡山の手前で実家からのメールで自宅の鍵を見事に忘れてきたことに気付き、再び実家にUターン。
結局、1/2の6時過ぎの「のぞみ」で東進する羽目に、、、。
1/2の一番列車なら切符が指定でも残っていたのが不幸中の幸い。

波乱を予想させる幕開けではある。

とんだ大晦日(2008/12/31)

帰省二日目。早朝に夢の中で「助けてぇ、助けてぇ」と誰かが叫んでいる。ふと眼が開き「夢か?」と思ったのもつかの間、まだ「助けてぇ」と声が聞こえている。聞こえて来るのは実家の裏手で、慌てて駆けつけると誤ってモノの下敷きになった実母の姿があった。大晦日であり、しかも決して都会とはいえない瀬戸内の田舎であるが、当番医が市立の病院でありレントゲン医が居たのは不幸中の幸いだった。診察の結果は肩の骨折。手を吊り「情け無い!」と悔やむ実母を見ていると可哀想でならない。

一昨年の年末は実父が足を骨折、昨年は元日から実母が風邪で寝込んだ。
昭和の時代を共に生きてきた家族が皆、年齢を重ね確実に老いて行っている事を、毎年末に改めて感じるのである。
勿論、自分自身も老いて行っている事も・・・。
そんな事からか、この所、年末には確実に兄弟達が集まっている気がする。
昨日は夕刻に実姉が帰省し、この日の午後が実兄が四人家族で帰ってきた。

夕刻から鍋を囲んで、まあそれなりに賑やかな宴を開く。
それにしても、どのチャンネルを回しても大晦日のテレビ番組ほど今のこの世の中の低脳振りを反映したものは無い。
興味の無い格闘技か、何時までも変わらない「ド」の付くほど下らない演出の国営放送の歌番組か、「下町」と言う名の下らない漫才師の演出する「笑えない」バラエティ番組位しかない。
特に「下町」と言う名の下らない漫才師の番組は、甥っ子、姪っ子が見始めた事もあり暫く見ていたのだが、いい歳をした大人が内輪の貧乏芸人相手にイジメを繰り返している様を番組にしている様にしか見えず、少し見ただけで気分が悪くなった。
あんな「イジメ」を見て笑える人間は、或る意味「不幸」だ。
人を「イジメ」て視聴率が取れると言うのは、それだけ人心が殺伐としている証拠であり、誰もが日頃何かに虐められているから、更に弱い者を虐める(或いは虐めたい)という心理の現れだろう。

そんな事を思っている間に入浴の時間となり、普段は実母に風呂に入れてもらっている年老いた実父を風呂に入れる。
実父の背中を流したのは何年ぶりだか定かではないが、親孝行が出来るという事は、つくづく幸せな事だと今更ながらに思う。
そうこうする内に年を越した。

2008年帰省(2008/12/29)

2008 年の帰省は昨年末同様のバラバラ帰省。しかも今年は女房の実家での合流が無く、正真正銘の独身帰省状態。実は自宅で正月をすごそうと考えていたので、急転直下帰省をする事になっても家族4人まとまった席の切符が取れない憂き目に遭ったのがこの結果。暫く女房子供と離れて年末年始を迎えるのである。
因みにこの日は21時過ぎに女房に最寄駅まで送ってもらい、横浜22:21発の「サンライズ瀬戸・出雲」に乗る。






この寝台列車は以前出張で使った事がある。今回はソロと言う小さめの個室。昔で言うとB寝台?(その辺りの区別は正直分かりません)。何が驚いたって部屋の三分の一が階段なのである。因みに二階なので眺望は抜群。












夜行には酒とつまみと雑誌は欠かせず、この日は恵比寿の緑缶と濁り酒とちくわ。昼間に購入しておいたRIDE19を読みながらすっかりご機嫌。横浜を出て約40分。小田原あたりだったか?








まあこんな感じで狭いのだが、今の時代寝る所があるだけましとも言える。










夜中に一度目覚めた時は愛知県の何処かの街中を走っていた。煌々と照らされる誰も起きていない年の瀬の初冬の夜中の街は、ただ住宅と工場ばかりが目立つ無機質な景色で、その中を静かに走り去って行く夜行列車に自分自身が乗っていると言うのを不思議な感覚で捉えていた。まあそんな感覚は直ぐに深い眠りに取って代わられるのであったが、、、、、次に目覚めたのは大阪。電車はいつの間にか45分ほど遅れていて午前5時過ぎ。









夜が明けたのは岡山県内に入り、和気駅の手前辺りでなかったか?以前に比べると熟睡して、結局12/30朝の7:50に実家の最寄り駅に着いたのであった。クルマでも、飛行機でもいつも帰省は苦労しているが、今回は比較的楽な旅。そしてこれが今年最後の旅だった。よく考えれば単身赴任と言う、ある意味独り旅みたいな生活で年始を迎え、年の締めくくりもまた独り旅。こうして2008年も無事終わったので有る。


大掃除(2008/12/28)

ウチの家は本当にやる事為す事、無計画でゲリラ的なのである。家を建てるのもそう、車を買うのもそう。が、女房は女房なりに計画的にやっていると言う思いらしく、いつも休日は「頭を働かせて動け!」と息子ともども怒られているのである。で、今日も同じ事を言われるのは嫌なので、昨晩急遽決まった帰省の切符を女房子供の分の航空券の支払い、私自身の夜行寝台特急券の手配と朝から精力的に動き、尚且つその合間に散髪までして、帰宅後は息子のサッカーまで付き合ったのである。さて、昼食後は朝からの精力的な活動が祟って娘の寝たのを良い事に迂闊にもウトウトしていた所、女房から大目玉!を喰らう。「人が大掃除に忙しいときに・・・」と言われては言い返す術も無い。結局は、やはり女房の指示の下で息子の勉強スペースと玩具の整理をする。捨てるもの残すもの、あーでもないこーでもないと息子と二人で片付けていたら、結局日没まで掛かってしまった。それでもやはり掃除をしないのとするのとでは大違い。例え女房の指示とは言え「一日一膳」と言う気にはなる。こうして今年の我が家の年末行事も無事終わった。