2012年1月28日土曜日

Weekly blog 2012/1/21-1/28

2012/1/28(土)

朝、7時半過ぎに突然、地鳴りと共に立て揺れ、そして暫くして強い横揺れ。ほっとした数分後に再び強い揺れで、すっかり目が覚めてしまった。震源は富士山のすぐ近く、あの富士吉田の近くだ。富士山の火山性ではないと発表されていたが、本当か?

午後は自転車に乗って駅前まで行って、もう一台の自転車に乗り換えてくると言う行動に出たのだが、ひょんなことから、ひょんなことに。。。



2012/1/27(金)

早朝目が覚めると4時、酒臭い。芋焼酎の臭いが鼻について酷い二日酔い状態。そこから約2時間、朝の6時に目覚めてもあまり体調は変わらず。軽い二日酔い状態。リタイアまであと2日なのだが、、、この現場での顧客向けの最後報告書つくりに、渋々職場に向かう。と、何だかんだと朝から色々あって、結局、報告書は完成せず残業。帰りは薄ら雪の降る中を帰る羽目になった。

2012/1/26(木)

最近は、ただ契約終了までのアリバイ作りのために来て座っている様なもの。殆ど顧客向けの仕事はせず、来月以降の組織体制だのを考えたり、自社向けの最終報告書を書いたり自由にやっている。定時になったら卓球脱出で無法地帯の駅前の立呑屋に直行。二杯が三杯になり、ホッピーが芋水になり、終わってみればヘベレケ。

2012/1/25(水)

朝から主治医に1ヶ月程前の検診の結果を見せに行く。朝のうちはずっと医者にかかり付け。午後には家に帰りたくなくてある事を実行。詳しくはwebで!



2012/1/24(火)

何も無い一日。

2012/1/23(月)

昨夜から雪が降る、朝も降ったり止んだり、寒い一日。

2012/1/22(日)

昨日とは変わり日中は雨のち雲、一時晴れ間も見えたが、夜半からまた雪。

2012/1/21(土)

朝から同居人が長男を連れ試合に出かけた。雪交じりの小雨の降る中ご苦労なこった。
一日、小雨の中、娘を連れて外出もできず、只管家の中で遊びの相手。空いた時間で英語の自習。英語は今週も精力的にこなす

2012年1月21日土曜日

Weekly blog 2012/1/14-1/20

2012/1/20(金)

朝目覚めると雪!今シーズンの初雪だと思う。
夜明け方にトイレに立った時はまだ雨だったので、丁度家を出た時間帯から降り出した様だ。幸い積もりはしないが、凍てつく寒さ。最高気温5℃。一日中冷蔵庫の中状態。
まあ冬はこれくらいで無くっちゃネ!本当は。

2012/1/19(木)

昼過ぎから営業も一緒に大挙して顧客あいさつ回り。まさか「解約ありがとうございました」とも言えず「非常に残念ですが」だって。演技が上手いネ!みんな。夕方の報告会も恙無く終え、無法地帯の駅前の座って呑める安酒場で反省会と称して呑む。この安酒場は打ち合わせに随分と使わせてもらったが、あと一回くらいしか来れないね多分。

http://www.sankofoods.com/shop/kinjr/kinjr_shop109.html


2012/1/18(水)

呑まない日は単調だ。早く帰っても子供達は既に夢の中、配偶者の不機嫌さを見るのも嫌で避けて生活するしかない。別に悪いことをしているワケでもないのに。だから自ずとなるべくゆっくり長時間掛けて帰る癖がついてしまった。所謂、帰宅拒否症候群だ。この日も19時過ぎには事務所を出ていたが、家に帰ると22時前。新横浜から新大阪までは帰る事が出来る計算。人生の何割をこんな嫌な思いをして過ごしているのだろうと思ったら虚しくなった。まあ相手もそう思っているのかもしれないが、、、早く決着をつけた方が良い。早く。


2012/1/17(火)

大学時代の相棒Iから久しぶりにメールを貰う。二年ほど前から彼が岡山に在住しているのは知っていたが、携帯の電話番号をどこかの時点でロストしてしまってメールもこの数年は送ったことも無いと言う不義理を働いていたので、もっぱら最近は年賀状の付き合いだったので驚いた。

この前飲んだのは梅田だったっけ?あれは2004年くらいだったか?メールのやり取りは確か2007年くらいが最後だった気がする。

お互い歳を取ったのだろうなあ、そういえば年賀状には「老眼で車の運転が怖い」って書いてあった気がする。それでも四輪でのレースは止められないみたいやなぁ。まあこっちも同じ様なもん。老眼は進行し、食べているものが何か判別がつかなかったりする。それでもオッサンは「エンジンもの」に乗り続けるのだが、、、。まあ近いうちに呑みましょう。落ち着いたら是非。


2012/1/16(月)

二年前に一緒に働いていた元同僚Mから「呑みたいのだけど・・」と朝からメールが来る。2月から彼のところに部署異動になる可能性は高い。

よって、卓球脱出で新橋に向かい、元同僚Mと再会。
まあ、今あそこの組織は部長の下では彼が仕切っているので、出戻ってきて何をやりたいか?の部門長の意思確認みたいなもんなんだが、、、、お互い四十代も残り僅かになってきて、あと十数年どう働いていくか、何をなすべきかと意見を交わしていくと、「自分達がこの組織を引っ張らねば誰がやるんだ!」って結論になって面白かった。

最後は「俺に任せて」と言質を引き出して終了。あとは元同僚Mの判断にゆだねることとなった。


2012/1/15(日)

下の娘の子守番。一輪車にも飽きたので、漁師町の本屋まで娘とハイキングウォーキングなのである。

途中、山を越えるのだが、その山越えの途中にあるのが「朝ズ〇!」で有名な、あの「品性の無い司会者」の豪邸なのである。「庶民の意見の代弁者」、「井戸端オジサン」みたいな役作りに徹しているが、実はあのオトコは「成金趣味の大豪邸」に住む「単なる世間を舐めた芸能人」なんである。

で、まあそんな事はどうだっていいのだが。
あの大豪邸の横の山道を歩いている時に、金網フェンスの向こう(つまり豪邸側)は藪で何も見えなくなっているのだが、その藪の中を何かが追いかけてくる気配があって不気味だった。恐らく番犬なのだろうが、泣かない様にでも躾けられているのかも知れない。

あーそうか、まあそんな事はどうだっていいのだ。


2012/1/14(土)

朝からヨメが居たが、子供達を連れてどこかに行方をくらます。別にどうだって良い事である。興味が無い。
朝から一週間の報告書をまとめていたら昼飯時になり、彼らが帰ってきたので昼食。

午後からは溜まっている英語のEラーニングを積極的にこなす。今月末で英語を使う環境を離れるのに、今更何故やるのかと言う疑問は無いことはないが、PRJが佳境に入っているときに支援を訴え続けても何の施しも無く、合併だの何だのと新しい組織体系になった途端にドサクサ紛れに教育の社費を分捕ったのだがその頃には既に英語圏からオサラバって顛末が待っていたという話。

ただ、今からの世の中、英語の一つや二つ話せなくても読めて話せる位にはなっておかなければと言う思いもある。まあ五十前の手習いやけど、、、。やっているのは中学レベルの英語だし、、、。
ただ、このEラーニングだけは最後まで全うしようとは思っている。

で、そんなこんなで日が暮れて、寒空に外に出る気もしないまま、結局この日は一歩も外出せず。

2012年1月14日土曜日

Weekly Blog 2012/1/8-1/13

2012/1/13 (金)

朝からウチから入れた現場リーダーに呼び出され「お前の下ではもう仕事したくない辞めさせてもらう」といきなり修羅場。一昨日、無法地帯の立ち飲み屋に一緒に行った仲じゃない。予想だにしない展開に頭が真っ白。彼(と言ってもこの人は二歳上の先輩なのだが)曰く、私もハゲと変わらん、メンバーの前でああせぇ、
こおせぇって指示ばかり、自分にもプライドがあり自分のやり方がある。面子が丸つぶれだとのこと。相手に言い分があるように、当然、私にも言い分はあるのだがプロジェクト終焉残り2週間になって、今、辞めても結局彼の不利になるだけ。とにかく、謝罪して説得して、漸く落ち着きを取り戻す。俺もおかしいが、皆、気が立っている。ホンマ、このプロジェクトとこの顧客の案件は皆が不幸に、不機嫌になるだけやな。

2012/1/12(木)

朝から市役所と年金事務所周り。家でゆっくりなんて出来る筈ないので7時半から古都駅前のカフェで時間つぶし。既に9時前から開いている市役所で戸籍謄本を発行してもらって、その後は年金事務所に移動。随分と待ったが、係員は手馴れたもので、「調停の為の証明書作成ですね」と何度も念を押しながら、約10分程度で口頭のやり取りがあり書類申請が完了。昼から行きたくもない職場へ。


2012/1/11(水)

調停申請を近日中に出す予定であったが、法律上は夫婦が別れる時は、共同生活で得た利益・資産・負債は平等に半分というのが決まっているため、年金を半分にした場合の計算書が必要になる。なので、その内容証明書類を年金事務所で作成する必要があるのだが、電話をかけて聞いてみると何と申請から3~4週間掛かるという。よって悩んだ挙句、仕事ももう畳むだけなんでヒマだし、急遽、明日朝を休みにして年金事務所に行くことになった。定時後、無法地帯の駅前の行きつけの立呑屋に直行。

2012/1/10(火)

三連休明けだが、最近は休みで家に居ても全く面白くないので、会社に出ているほうが良かったりする。朝から顧客への報告の予定が今日は無し。昼前まで平和だったのだが、昼前になって顧客から「聞かれたことにテメエの所から入れた現場リーダが即座に答えられないのが気に食わない」と言って隣席の顧客マネージャの若ハゲが吠え出す。三十畳ほどの狭苦しい事務所内のメンバーも居て、他の請負会社の連中も居る中でこの勘違いした若ハゲは平気な顔でパワハラをする。こいつホンマにそこいらのガキと変わらん。本来ならどついても良い位だが、今はただ立場的にひたすら頭を下げて、謝る演技に集中。何とか宥めたが、世界有数の資金洗浄金融グループの社員のこんなハゲたガキに偉そうに言われる筋合いはない。
お前、そんな会社に勤めていて恥ずかしくないのか?と心の中で捨て台詞。

2012/1/9(月)

三連休最終日。午後に娘の一輪車の練習に付き添うこと一時間。昨年のクリスマスにサンタさん(所謂この私)からもらったばかりなのに、あれから二週間と言う短時間の間に随分と上手くなったものだ。子供の成長は早く、あっという間に色んな物事を覚える能力には目を見張るばかり。そうこうする内に、あっという間に夕方になり、寒いので家に退散。夕方以降は、家庭内別居の人。

2012年1月7日土曜日

Weekly Blog 2012/1/4-1/7

2012/1/7(土)

外は寒い、久々に冬らしい天気。

昼。
散髪に行く為に自転車に乗って家出。
JR駅の千円床屋まで約二十分掛けて走っていく。冬だというのに太陽が眩しくサングラスが欲しい位。
散髪後は家に帰っても面白くないので、本屋によって適当に道草。

夜。
単身赴任の件や、家事調停に掛ける事への合意を嫁から得ようと思ったのだが、あっけなくヨメから「キモイねん!」っと吐き捨てるように言われ断念。話し合いも出来ないのなら「協議」すら出来ないと言う事。
所詮、夫婦は赤の他人だが、こう言う場合は「人」としての最低の対処の仕方と言うものが有るだろう。

「人」として付き合えなえなくなったら、終わりだ。

ヨメにはもう、昨年の今頃感じていたような妻として見た「哀れみ」は感じないが、またそれとは違った、何というのだろうか、人としての「哀しさ」を感じる。何時ごろだったか、彼女が義父に悪態を突いていた姿を見て醜いと思った事が有ったが、、、、家庭環境が人格形成には大いに影響するのは間違いないと思う。

2012/1/6(金)

現場のクロージングが近い。もう1ヶ月を切った。今はモラトリアム期間なのに・・・

昼前に顧客から「事実関係が知りたいので、(もう辞めた)あの人に連絡取れないか・・」と連絡が入る。
職場環境と、この人物の所為でウチの前職者は「精神的に耐え切れなくなって」鬱になり、辞めたのだ。否、医者に辞めるように諭されたのだ。あんたなんかと今更話したい筈などサラサラ無いのを理解して欲しい!と思ってもこの人物には解らないのだろうが。。

で、それから御本社様への連絡、上司裁定、会社回答検討、中間報告などなどがあり、、その間にも、辞めた前職者に打診を掛けるなどして、結局この日に出来る対応が終わったのが19時。疲れた。

そんな間にも、ヨメから「あんたなんか大っキライ、早く別れなさいよ!」的なメールが来て、精神的にかなり凹む。家に帰りたくない。

結局、寄り道して帰宅は22時過ぎ。

2012/1/5(木)

単身赴任リスクについては女房にメールで説明をしたら、罵詈雑言の嵐。一日中憂鬱。

定時後、憂さ晴らしに浜松町で呑む。
貿易センタービルの地下。薩摩焼酎の居酒屋。おでんが上手い。

http://www.rea-lize.co.jp/cr/chadama/

名水仕込?だったかな。予め6対4で焼酎と水を甕で寝かせて馴染ませた芋焼酎が旨かった。
佐藤の黒ともう一つ。。名前は忘れた。この燗が旨い。所謂、理論的にはお湯割りなんだがね。

2012/1/4(水)

仕事始め。
解約が決まっているので、何だかいつもの年始の様に前向きに昂ぶる気持ちが起こらない。緊張感は全くなし。客に評価されることも無いのだし、本当に「テキトー」な感じが漂っている。
ただし、クロージングと言う後ろ向きな仕事に向けてちょっと積極的かな。
まあ解除通告時に全く感じなかった「解放感」が、漸く体感出来てきたのかもしれない。

昼過ぎに上司から電話アリ。2月以降の身の振り方について相談したいとのこと。

定時で上がって、新橋で呑みながら話をする。
元の部署。元の仕事。まあ「現場処理」なのだが。。。
今は会社が投資基調にあるために仕事は尽きないとの事。また関西圏が活況で単身赴任リスクはあれど、やる気なら異動で話を進めるとのこと。一年間苦労を掛けたから、ここは配慮するとの事。
この上司(MS課長)とは、過去にも兵庫の山奥で一緒に仕事をしている(その時も部下だった)が、本当に現場思いのいい人だ。今回解散するPRJは顧客は最低であったが、上司にはM部長もMS課長も、KG長もいい人ばかりだった。

だが、単身赴任リスクに関しては既に関係が破綻しかかっているとは言え、女房の意向も聞かないといけないので、一旦来週はじめまで返事は保留。

2012年1月3日火曜日

新年三日目

新年も三日目。

昨日は初夢らしきものは全く見なかったのに、今朝はもう明日から仕事始めだからだろうか、明け方見た夢では客の前で報告している自分がいた。何だか憂鬱。

相変わらず、8時半過ぎに起床。箱根駅伝をTVで眺めたりしている内に、昼飯。
親子三人で昼飯を食って、ちょっと眠いので横になっていたら、下の子(娘)に叩き起こされ、上の子(息子)と一緒に高校サッカーを見る。3時過ぎになって、娘をテニス教室に送っていき、テニス教室の横の広場で息子のサッカー練習に付き合う。
女房からはサッカーに興味のない奴は練習に付き合うなだの、何だのボロカス言われているが、知ったことか。

それよりも何よりも、良く晴れて無風の真冬の3時過ぎ、だだっ広い広場で居るのは気持ちが良いモンだ。
凧揚げに興じる親子、ランニングをするオジサン、ベンチで寛ぐ老人。平和な正月が広い広場で演じられていて、人間の日常極ありふれた光景が、何だかとても素晴らしい事であると実感する。
そして、暮れて行く、青い空を眺めながら、何だか冬の寒さを愛おしく思う。
これで、自分の家庭が幸福であれば何も言う事はないのだが。

覆水盆に還らず。

2012年1月2日月曜日

2011年末~2012年始

2012/1/2(月)

休日恒例、朝8時半に女房が出払ったのを確認して起床。
子供達に「あけましておめでとうございます」の挨拶をして、御節を食べる。
子供達は年末年始に、江の島に遊びに行ったとのこと。
それ以外は多くの事を話さない。女房と収拾のつかない大喧嘩をして一年余り、子供達はそんな処世術なんて身に着けなくてもいいのに、子供達なりに処世術をわきまえ、女房との行動に関しては余り多くを話さなくなった。

昼食を作り三人で食べ、近所の公園で上はサッカー練習、下は一輪車をして遊ぶ。
公園から帰り、年末に書かなかった年賀状の作成に入る。

女房が五時前に帰ってきて、子供達は再び女房モードにはなったが、大きな諍いもなくまあ平和な一日。
夜、皆が寝静まって「冬物語」を飲みながら、NHKのエベレスト登頂記録を見る。

2012/1/1(日)

朝8時半起床。父親、母親、実姉に年始挨拶。
御節を食べ、今日再び自宅に帰るための荷造りをし、年始恒例の下らない番組を見ていたら昼になり、うとうとしていたら、実兄と義姉、甥、そして義姉の実母(実兄の義母)がやってきた。姪は遅れて新幹線で来るという。

実兄の義母とは、甥が生まれた頃に、義姉の実家を訪ねたとき以来の再会なので、23年ぶり。
お互い歳を取りましたが、こうやって実兄の実家まで訪ねて来てくれる事に感謝!

実兄、義姉とも二年ぶり、甥に至っては恐らく4年ぶり位なのでなので、もっと話していたいのだが、自宅帰らねば成らぬ為、18時過ぎに実兄にJRの駅まで送ってもらい、19時過ぎに「のぞみ60号」川崎N700RRの人となる。日が変わる頃、自宅着。

2011/12/31(土)

朝から何もしていないのに、あっと言う間に日が暮れた。と言うか、年が暮れた。
2011年も終焉に近い。
齢86、足は動かぬが口は良く動く実父と、まあ良く動き回る実母、二年ぶりくらいに実家で会う実姉と、何も見るものがないと言いながらチャンネルをあっちゃやったり、こっちゃやったり。

けど、今年のテレビは面白く無いなぁ!時代劇が一つも無い。
来年の大晦日はコレだ!テレビ東京辺りでやらんか?

**********2012年大晦日 年末大時代劇 12時間スペシャル**********
「大忠臣蔵」

Cast

大石蔵之助 役所広司
浅野内匠頭 東山紀之
吉良上野介 江守徹
脇坂淡路頭 堺雅人
高田文兵衛 佐々木蔵之助
堀部弥兵衛 笹野高史
堀部安兵衛 高橋克典
柳沢吉保 中村獅童
徳川綱吉 温水洋一
大石主悦 桜井翔
大石おリク 黒木瞳
陽成院 仲間由紀恵
萱野三平 原田泰三
清水一学 二宮和也
千坂兵庫   香川照之
高尾太夫(架空)小雪
お篠(架空) 大島優子
お美代(架空) 前田敦子
お軽      前田愛
勘平      亀梨一也
土谷主悦    平泉成
東山天皇    阿部サダヲ

ナレーション  石坂浩二、黒木瞳

主題歌 「蕾」コブクロ

*******

Castで多少ミーハーな部分があるのは、実姉の推薦である念のため。

でも架空の話をしても仕方がないので、NHK紅白にチャンネルを合わせてしまうのは、昭和の育ちだからか。

石川さゆりがトリを取るのは良い事だが、「津軽海峡冬景色」なのはちょっと残念・・・
やっぱり「天城越え」でしょ?

と言いながら、2012年が終わった。

2011/12/28-29

卓球脱出で職場を出て、甲子園口に直行。
アジトに場所を移して、日付変更線辺りから駅前鍋。

呑んで食って、寝て。
起きたらまた食って、呑んで。

29日の19時過ぎまでアジトにいたが、そのまま居ついてしまいそうなので、重い腰を上げて移動を開始。

21時過ぎの新幹線に乗れ、日の変わる前に実家着。
公的な駅前行事もこの日で終了。