2008年12月27日土曜日

立呑酒乱(新橋「龍馬)・・・(08'12/26)仕事納め

この日で今年も仕事納め。会社の業務は12/29もあるのだが奨励有給でほぼ90%の人間は休みとなる。この日は定時ちょい過ぎまで今年最後の打ち合わせをY課長と行って、いざ帰り。珍しくウマの合う(と言うかお互い立場は違えど、今までの旧知の仲なので)Y課長の出方を伺っていたが、また資料作りに取り掛かり始めた為、年末の挨拶をしてそこに偶然通りかかったミセスKYと会社を出る(とは言えその30分後に野暮用で事務所に電話した時にはY課長は帰っていたので、もしかしたら私と年末の納会をしたかったのかも知れないが・・・後の祭り)。今年の締めは新橋。だが今年いつもの納会メンバーのミセスKYは体調を崩し、もう一人のHTも風邪。よって、結局毎週一緒に飲んでいるKZとたった二人の納会になってしまった。で、これもまたいつも決まった河岸の立ち飲み屋、いつも二人で飲んでいるのでお互い何度も聞いたはずの話を肴に麦酒をジョッキ3+焼酎水割りを3でヘロヘロ。結局、こっちに帰ってきていつもの二人で納会は幕を閉じた。

立呑酒乱:http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13015271/
      我々のいつもの河岸、常連となりつつある。
      隣に立った若造から醤油をこぼされ、
      店のブレーカーが飛んだからと言っては電気屋稼業までしても通いつめている。
      カマトロ刺しと鳥竜田揚げが最高。焼酎は芋が多い。           

2008年12月25日木曜日

とても豊かな生活やね

町課長様。いかがお過ごしでしょうか?日記拝見しました、山の生活は昔ながらの野に根ざした心豊かな生活の様子、日本のブータンと言う言葉が頭をよぎりました。多少誇張があるかもしれませんが(笑)。だが、本当にうらやましくとても同じ国に住んでいるとは思えません。それに対して私の住むこちらの生活はむき出しの欲望と、金まみれの商業主義と、そんな欲望と金まみれの毎日に疲れた数々の人生が錯綜する生活です。まあ望む望まざるに関わらず、結果的に自らがそんな生活に埋没してしまい無理やり「良し」としてしまっている事に情けなさを感じて止みませんなぁ。生年月日で趣味嗜好が似ている町課長様と私ですが、人生の節目節目の選択の結果で住む社会と環境が全く変わってくる事に人生色々と言う思いがしてなりません。人生とは面白いもんですね。あのテントを張らせて頂いた前庭も風の谷も今はすっかり雪景色なのでしょうか?またいつしか前庭で魚を焼く日が来ることを願っております。では年末の豊かで静かな山の生活をお過ごし下さい。

町課長様の日記はこちら → http://www5.diary.ne.jp/user/536955/

2008年12月21日日曜日

冬至に思ふこと

朝から女房が「春の風やわ。南風。変なの」と言って新聞を持って家に入ってきた。二階のデッキから外に出てみる。海のほうから山一つ越えて吹いてくる生暖かい南風。やはりこの季節に異常だ。一昨年位から、11月まで半そでで過ごせる程、夏が長くなっているのを肌で感じていたが、遂に今年は年の瀬の押し迫った師走の終わりにまで異常な暑さが続き始めた。本来であれば初冬の真っ只中である。通常の気候なら吹く風は北風、太陽は弱々しく存在感を無くし、所謂木枯らしになる筈であるが、全くそんな気配は無い。時間が経ち、日が高くなるにつれ日差しがまぶしい。これも二年程前から感じていた事であるが日の光が以前に増して何割か強くなって来た気がするのだが、そんな事を感じているのは私だけでは無いと思う。午後に所用で歩いて外に出れば、近所の観光地に向かう車の長蛇の列。閉め切った窓の中は果たして冷房が効いているのか、暖房が効いているのか?いづれにせよ、渋滞待ちで延々アイドリングでエンジン掛けっぱなしと言うのは考えた方が良いだろう。温暖化と聞いていつも私はビーカーの中で熱せられる蛙の話を思い出す。蛙は段々暖かくなっていくビーカーの中で温泉気分に浸っていたのもつかの間、やがてビーカーの中は熱湯になりやがて昇天してしまうと言うあの話だ。今は人類は熱せられている最中なのだと思う。錬金術拝金資本主義の破綻した世界の温暖化ガス排出国家米国が発端になった金融破たんから、巡り巡って日本のクルマ産業に大打撃が及んでいる。毎日、毎日自動車産業の派遣切りの話を聞かない日は無い。この年の暮れに住む所も無く路頭に迷う人は本当に気の毒ではあるが、その格差是正や失業対策を考えるのも政治なら、それを機に社会全体を自動車産業から他の産業、できればそれは石油社会からの脱皮を図る新エネルギーへの経済全体の方向性シフトを考えるのも政治の役割だ。渋滞の長蛇の列のクルマを見て、例えば2010年から全ての自動車メーカーは電気自動車しか売れないとか、全ての一次エネルギー供給会社はどんな田舎に至るまで電気スタンドを一軒は整備しないといけないとか(まあこれらは極論だが)そんなドラスティックな事をやらなければ、この問題は解決にシフトできないので無いかと言う思いを強くした。この妙に生暖かい冬至の日は、既に人類の破滅の始まりであるのであろうが。

2008年11月28日金曜日

人に非ず

こいつ等の意識ってこんなもん。やることが幼稚。その昔、成田空港の空港警備隊(所詮、機動隊)でも後輩の陰毛をライターで焦がした(しかも公用車のあの青と白のポリバスの中で。。。)なんてイジメもあったが、人間としてのレベルが余りにも低い。
きっと序列の厳しい封建的な閉じた組織で、ただただ紙と面接の試験だけで成り上がってきた巡査部長あたりの中間管理職が、その立場を勘違いしてイジメと言うパワハラに走ったのだろうが、、、先日の飲酒運転警視と言い、本当に職業意識が低く、人間レベルが低すぎる。まあだから公務員しか出来ないのかもしれないが。この国は首相を含めて「木っ端役人」の天国やな・・・

http://www.asahi.com/national/update/1126/TKY200811260284.html

2008年11月22日土曜日

1122の日なんかだった試しがない

日本人って下らない語呂合わせが好きだよな。1122で「良い(イイ)夫婦」だと。ウチではこの8年間で、この日が1122だった試しがない。覚えている限りで2002年、2003年ずっと険悪な22の日だった気がするのだが、、、。めぐり合わせとは言え、不毛な一日。

2008年11月21日金曜日

削減対象

このところ、真面目にセミナーなんぞに出没している。まあセミナーと言っても「自己啓発セミナー」とか「性格改良セミナー」みたいに、最後は関係者に回り取り囲まれて入れ入れと迫られるような怪しいカルトセミナーでなく、れっきとしたグリーンITのセミナーである。私とてIT業界の端くれの現場処理の男。今のこの業界では省エネ、二酸化炭素の削減が所謂「トレンド」なんである。今年に入って大騒ぎしているが、省エネなんて節約意識を持っていれば当たり前の話しだし、地球温暖化なんて現象は、何も今頃大騒ぎしなくてもちと観察力があれば誰だって分かったのであるが、この業界は一つの事に焦点が当たると瞬く間に「トレンド」になる傾向がある。で、行われたのは都内某所の某有名ホテル。朝から出て昼には会社に帰って目先の仕事と思っていたが、結構興味の尽きない話が目白押しで(最近になって漸くこの業界は現場処理のマネジメント強化なんて事を声高に言い出したな・・・)ついつい夕刻まで発表者の話を聞いてしまった。それにしても、この場の人間は皆興味があるから静聴しているのに、中にはオッさんの癖して年端も行かない餓鬼みたいに私語を慎めない奴が居るものなのだな。今日も最後の講演で、後ろの席に座った二人組が喋り始め、結局最後まで喋り続けていた。周りが皆静かだから、背後で喋られると聞き辛いし、気が散る。何度か渋い顔をわざわざ振り返って見せてやったが、私と同様、年の頃なら40歳過ぎと思えるこいつ等は全く気付く事無く無用の持論を喋り続けていた。これが会社名の入った名札なんかつけていない、狭い業界内のセミナーなんかでなかったら、シバいたるのだが、、、テメェ等には「サーバ室のエネルギーコストの垂れ流し」より前に「オッサンの下らない持論の垂れ流し」の削減が必要なんだよ!この糞オヤジ!

2008年10月1日水曜日

次期デジカメ


今日から転勤休暇。で、、、買ってしまいました。1K庵の最後にPENTAXのコンパクトデジカメを落として壊してしまい、写真の知識は丸っきり無いのだが、どうせならRICOHのGRデジタルをと思ったが懐具合が釣り合わず。大体、知識ゼロの癖に上手い人の真似して宝の持ち腐れになるのも嫌だったのでちょと悩んでこれにしました。出たばかりのRICOHのR10って奴です。画素数の違いか、いまどき珍しくも無い1,000万画素ですが、画像はやたらと綺麗です。まあ単身赴任解除祝いってトコですかね?

1K記(2008/9/28)庵閉鎖




どんより曇って今にも泣き出しそうな空模様。この日は朝から最後の掃除となった。しっかりと床を水拭きし、洗濯ばさみや荷造りの紐など最後の最後に残ったものをダンボール箱に入れて宅配便で送り出す。午前11時過ぎに洗濯機とテレビ受像機と、テレビ台を迎えに来たリサイクルショップに引き取ってもらう。家電リサイクル法とやらで電化製品1台あたりスクラップ代が5,000円とは想定外だったが、、、。そして遂にこの1K庵には何も無くなってしまった。思えば昨年の11月の4日に来て約11ヶ月の間、この1K庵を根城に何度も鍋を開催してきたが、遂にその庵を閉める時が来た。感無量である。午後の早くに大家さんを呼び、内覧をして頂き鍵を渡す。デジカメを昨晩壊してしまったので、1K庵最後の写真を携帯で撮影。そして最後の挨拶をして遂に1K庵は幕を閉じた。単身赴任は辛い、けどこんなに1K庵の生活が楽しくなかったと言えば嘘になる。何だか学生時代の貧乏だが楽しかったあの頃の雰囲気を持っていた1K庵に感謝!そして駅前の皆に感謝!

2008年9月27日土曜日

1K記(2008/9/27)










いよいよ引越しの日。午前10時に定刻通りに引越し屋が来てダンボール箱約10個とその他諸々の品を僅か15分程度で持っていった。残ったのは譲るか引き取ってもらう電化製品以外の若干の生活用品とスーツケース1個のみ。午後にクルマを借りてきて丹波の山奥の事務所に引き取ってもらう冷蔵庫を運ぶ。帰りに六甲山に上って大阪湾の夕景を見に行く。昔のホームグラウンドだが、今やなかなかこの山の上から景色を臨む事は容易ではない身になってしまった。つるべ落としの様に暮れ寒くなった秋の夜長に、これまた何も無くなった1K庵でポツンと残ったTV受像機で僅か数キロ先の甲子園でやっているナイトゲームを眺める。また我がタイガースは巨人に負けやがった。不貞腐れて寝袋しかない夜具に足を突っ込んでいたが、夜長に日本酒を買いに走る。で酔った勢いで最後の一枚を撮っていたらカメラを落としてしまい、デジカメが壊れてしまった。あーぁ1K庵とデジカメに合掌!!

2008年9月23日火曜日

1K記(2008/9/23) 













1K庵に居られるのも今日を含めあと残り5日と半日。休みなので思いっきり寝てやろうと思っても、哀しいかな6時半前には眼が覚める。窓から秋の空を眺める。ついこの前までは夏空であったのだが、今やすっかり夏とは違う透明感に満ちた秋の空、雲の表情まで秋の空だ。そして心にはなぜか一抹の寂しさがこみ上げてくる秋の朝。朝飯は最後の自炊。先週から食べるつもりで買っていた塩鯖と白飯。これがこの庵での最後の飯となる。最後の最後まで鯖だった。昼過ぎまで引越し荷造りに追われる。昨年の晩秋にスーツケース1個で来た筈なのに、その場でスパッと捨てられない無駄と煩悩が約10個の段ボール箱となって残っている。夕刻近くになって、この単身赴任中よく遊びに行った櫛谷西宮店に最後の挨拶に行く。店主は店の奥で背中を丸め懸命にミシンを踏んでいた。我が人生は「一期一会」、また何時かの再会までお互い体に気をつけて!夕方6時過ぎには女房の実家に呼ばれ苦楽園に食事に行く。思えば二年前の秋の仕事上のトラブルで大阪に長期出張になっていからずっと今まで女房の実家には世話になり通した。本来であれば私が食事を招待するべきであったか・・・?すっかりご馳走になり店を出ると秋祭りの真っ最中であった。別ればかりの秋分の祭日はもの哀しさでどっぷちと日が暮れた。

2008年9月21日日曜日

秋刀魚の宴、再会そして別れ



前夜から秋刀魚の宴に向かったのである。ゆったりと四国時間が流れる山の中。風の谷。四年ぶりの友人邸。邸前の庭にテントを四張り。朝からビールを飲み始める輩五名、二日酔いで倒れる輩一名。

朝から秋刀魚を炭火で焼き、いつの間にか焼き秋刀魚の宴がバーベキューになっていたのは言うまでも無い。ビールの消費は推計16リッター。この宴はまさに昨秋の単身赴任時から始まった1K庵での隔月の宴の最終章であった。宴は楽し、だが楽しいだけにその後に来る別れは一層哀し。涙は見せないが、次の再会まで、、、、、、、、**待て!!次号**

2008年9月20日土曜日

1K記(2008/9/20) 最後の一汁一菜

土曜日。来週の引越しに向け、宴に向かう夕刻までは只管荷造りの週末。



実は朝食なのだが、、、、単身赴任解除が月末に迫り、残業しているか飲みに行っているかが多かった今週。折角、夕食の食材をストックしていても自炊出来たのはドサであった火曜日のみ。で、あまった食材を当然捨てる訳にはいけない。最後の米を0.7合ほど炊いて、ほうれん草は炒めて塩をかける。塩鮭はムニエル風にと思っていたが、結局炒めている間に身をほぐしてしまい単なる鮭フレークになってしまった。週明けからは冷蔵庫の運用を停止し転居準備に入るので、自炊生活の〆なのであるが、何とも締まらない最後の一汁一菜であった。まあ食べてうまけりゃそれで良いのだが。

2008年9月16日火曜日

1K記(2008/9/16) 


前回の1K記の投稿が9/3。あれから既に二週間経ってしまった。今日は午前中、神奈川の自宅を出て港区のご本社様にドサ。来期のボスに挨拶して組織の話をして帰ってきた。偉そうな事を言っても単身赴任解除の暁は、千葉の片田舎で現場処理にまた舞い戻ってしまうのが解ってしまった。肩書き上の出世にはあまり興味が無いが、自らのやりたいことはこの職種を全社的な横断組織にする事が目標。で無いと会社組織として地域差の有る統一感の無いバラバラな品質の製品を世に出してしまうワケで、戦略もへったくれも無くなる訳で、今まで何年も訴えてきたのだが、単身赴任の見返りにそんなチーム編成がされる訳も無かった。まあこの組織の末路が見えてしまった気がする。結局、上に立つ人間は現場組織の仕事なんかはどうでも良いワケで、この分野を戦略的に考えるなんて事は毛頭無いわけだ。と話は長くなったが、昼過ぎに帰阪して会社には出勤せず「ヤッテラレナイ!」ので半休とする。以前、検査した結果が聞きたくて病院に行き、結果を聞いて帰宅。夕刻から夕飯仕込み。今日はモヤシ炒め豆腐チャンプルーとした。薄味が利いて美味ぃ!にはちと遠い。がこれもいい思い出になるのだろう。いよいよ大詰め、一汁一菜生活は遂に今週最終章。


2008年9月3日水曜日

1K記(2008/9/3) 


久々の1K記。9/30には撤退命令が出ているので、残すところあと27日の1Kである。今日も一汁一菜を続けている。ここに来て一菜と言うよりは毎日、一麺と言う感じである。一昨日、昨日と退社後に外で飲んで帰投したので素麺、インスタントラーメンと夕飯が続き、今朝は饂飩一玉に讃岐で買った生醤油をかけて「醤油饂飩」とした。で、夕飯は久方ぶりの焼き蕎麦である。独身時代を含めて単身生活の自炊生活の基本はやはり炒め物だ。手っ取り早くて調理が楽。
で、いきなりの首相退陣のニュースは月曜日に伊丹の立呑屋で聞いた。
色々と理由はあるのだろうが、結局はどんな理由をつけたとしても「自己都合」でしか無い訳だ。
こんな責任感のへったくれも無い二世宰相が、二人も続けて辞めたのだ。この国の政治の貧困さには宇宙人ジョーンズで無くても呆れる。
でも二度あることは三度ある。次期首相候補のセメント屋の息子の、品の無いオタク爺ぃも二世だ。
今は騒いだとしても、所詮一年後には同じ結果にならないとは限らない。
まあいずれにせよ気楽な商売だ。
こちとら泥沼38度線の状態でも、何もかも放り出して「夫を突然辞任!」なんて訳にはいかないのだ。
まあ、それは女房も一緒だろうが。。。

2008年8月31日日曜日

冷戦と言うよりは38度線

自宅に帰還。子供との融和のためにお土産の玩具を渡そうとした際に言われた「モノを上げるだけが育児ではない」との言葉は女房の本音だろう。その上、決して自らの子供を誉めはしない私に対して怒っていたのか????そのとき、今まで大いに間違っていたと悟ったのだった。何故だか後から考えるほどにその言葉は胸に落ちた。だからその後の暫くは冷戦からデタントの兆しがあったのは事実である。事態が急変したのはその晩だった。夜、独りで居間に居た女房に、声を掛けようとして何も言えなかった。女房を眼の前にして何を言おうか迷ってしまったのだ。愚かだった。結果、女房は「勝手にして!」と言ってそっぽを向いてしまった。それからは翌朝になってもろくな会話は出来ず終いで結局また「家出」をして来てしまった。駄目夫を地で行く自分に自暴自棄。この不毛な争いはまるで38度線。

2008年8月23日土曜日

夏休みの顛末

明日まで夏休み。単身赴任なので先週土曜日から神奈川の自宅に帰っていたのだが、今日一日早く1K庵に戻ってきた。今晩は1K庵で一人で飲んでいる。本来なら日頃遊べない子供達と遊びながら自宅ほど心休まる場所も無い筈だが、家族旅行での一言とか、今日の女房の態度とか、言わないでも良い彼女の一言とかに頭に来て、夕刻になって鬱憤が爆発して売り言葉に買い言葉で「家出」して来てしまった。まあ良くある犬も食わない話。けど本人にとっては今後の展開が読めない深刻な話。

2008年6月19日木曜日

立呑酒乱(2008/6/19)尼崎 「斎藤酒店」 

八時前まで残業していたのだが、ひょんな事から立呑みへ。尼崎駅北口から戻ってきた梅雨空の下、麦酒工場の跡地にあるホテルの裏通りへ向かう。間口の狭い奥へ長い鰻の寝床的な店に入る。いつもの常連さんの顔が三つ、熱心にテレビドラマを見ている。「何故だ?」。。。一緒に入った立呑酒乱仲間と朝日麦酒の大瓶を一本。その後缶に移行しお互いが欲しい発泡酒なり麦酒を適当に一本づつ飲む。あては魚肉ソーセージと目刺を三本づつ。三十分ほど飲んで九時過ぎに解散。一人頭約七百円。



で帰宅後は、今週最後のカレーであった。今日は正統派カレーライス。冷凍庫で寝かすだけでもカレーって味が濃厚になって様に感じるのは気のせいか、、、。

2008年6月17日火曜日

1K記(2008/6/17) 



今週は飲みに行かない日は夕食はカレーである。日曜日に三食分のカレーを作り冷凍保存しているのだ。こんなに美味いカレーを生み出した印度人は本当に偉いと思う。餃子を生み出した中国人と同じくらい偉い。何度食べても飽きない食事である。まあこれは単身赴任者に限った感覚かも知れないが、。
で肝心の日本人が生み出した偉大な日本食はと言うと、何度食べても飽きないのはやはりうどんでないか思う。因みに前日飲んで帰ったこの日、朝食はつけうどんであった。

2008年6月16日月曜日

立呑酒乱(2008/6/16)川西池田 居酒屋「弐八」 

給料日まで財布には五千円しか入っておりません。けどそんな事は飲むのを断る理由にはなりません。「俺なんか四千円しか無いよ」と言いながら誘う同じ立呑酒乱仲間には効かないのである。しかも今日の会場は立飲みでは無いのであった。安い!と言われる(実際に安いのだが・・)川西池田の居酒屋なのであった。何とJRの駅から阪急の駅を越えて更に北まで歩いて10分以上は確実に掛かるのである。オヤヂは飲むためなら努力を惜しまないのだ。それでも心は抵抗勢力なのである。「月曜日から飲むのは正直如何なものかと・・・」と議会質問に答える公務員の様な言い回しを頭に浮かべながら、或る意味罪悪感を感じるのである(一体誰に?)で、先にやっている同僚に追いつき生麦酒を注文。早速一杯口にしてしまうともう我を忘れるのである。結局、麦酒が焼酎になり、ボトルがもう一本追加で入ってしまうのであった。夜の8時半過ぎから飲み始め、店を出たのが11時過ぎ。飲んで食って喋って焼酎ボトル1本追加して、一人頭合計千五百円でした。で、そんな長時間は飲んでいないのだが何故だかベロンベロン。とんだ週明けである。

2008年6月15日日曜日

1K記(2008/6/15) 



1K庵での独身生活を楽しんでいないと言えば嘘になる。そりゃ女房にも息子にも、そしてまだ片言しか喋れない娘にも毎日会いたいのは山々である。が、折角の日曜日、しっかり前夜から八時間以上は寝て、眼がさめたら曇りだったので何もする気が無くなって、給料日まであと十日以上もあるのに財布を見ると数千円。食材を買ってきて金も無いので一週間分の夕飯のカレーを作る。そうこうする内、時刻も4時になりバドワイザーを飲みながら寝転んでバイク雑誌などをパラパラとめくっていると、何だか十年以上前の独身生活を思い出した。何もせず、誰にも邪魔されず、久しぶりに飲むバドワイザーですら「こんな水みたいなビール・・」と思っていたあの頃に比べると、しっかり麦酒の味がするのに嬉しくなる。うつろうつろと明日のことも考えず過ごす夏の始まりの孤独な夕方。楽しくない訳はない。
で、夕飯はしっかりカレーであった。

2008年6月14日土曜日

1K記(2008/6/9~14) 


久方ぶりの1K記なのである。そもそも1K記は毎日食べているものを記録する為に始めたのでは無いのだが、、、どうやら自分の中ではそんな棲み分けになっているらしい。月曜日は何時に帰宅したのか憶えていないのだが、ずっと冷凍庫に眠っていた近所の「いのち」と言う名のスーパーマーケットで一週間以上前の日曜日の特売セールで百円で売っていた鯵の干物である。実は梅雨に入り1K庵での生活も終盤が見えてきているのだが、一汁一菜の生活はまだまだ続く。

火曜日は記録されて居なかったのだが、月曜日に作り置きしていた炒飯だった記憶がある。で、、、問題は水曜日。例によって帰宅が遅く、既に月曜日に茄子を買っていたので麻婆茄子の素で麻婆茄子を作り始めたのは良かったのだが、挽肉が必要なのに気付いたのは午後の十時過ぎだった、。写真では見えないけど、肉の無い麻婆茄子なのである。ひたすら旨味調味料で白飯を食べているみたい。

木曜日は立呑酒乱の日。尼崎で飲んだ。で帰った後で冷凍していた炒飯を解凍、素麺を三束茹でた。飲んで帰ってから飯を食うのは体に悪いは解っていても、食欲は抑えられない!素麺が美味い季節だからと言う事もある。全国素麺めぐりツアーも実現せなあきまへんなぁ。
金曜日。今週は本当に多忙な週だ。十時前に帰宅して久しぶりの鯖の塩焼きを焼く。中国産も何のその、焼けば一緒とせっせと焼いて食う。
土曜日である。梅雨の晴れ間である。快晴なのだが、、どうしようかと迷った挙句に遣り残した仕事をしに会社に行くこととする。で、米も炊いておらず朝から何も作りたくないので素麺を二束茹でて朝飯。
土曜の夜はバリバリ!餃子なのである、これまた「いのち」と言う名のスーパーマーケットで安売りをしていた出来合いのもの。ついでに鳥の唐揚げも出来合い。本当は出来合いは嫌いなんだが。

2008年6月11日水曜日

「あぁ、阪神タイガースー負ける理由、勝つ理由」 野村克也 角川ONEテーマ21新書


月曜日の出張帰りの新幹線の中、品川で買って京都で読みきってしまった。最近のナイトゲーム終了後のこの監督の一言が面白くて、野球のある日はほぼ毎日、ニュースバラエティみたいな番組のプロ野球情報にチャンネルを合わしてしまうのであるが、そう言えば過去には我がタイガースの監督もやっていたことを思い出した。3年やった結果、その結果が出ずに辞めてしまった記憶しかなかったのだが、この人独特の皮肉を交えてタイガースとその特異な組織体質を滅多切りに切っているのが面白い。旧くは別当、藤村、吉田に鎌田、土井垣、村山、小山、江夏に田淵、掛布に岡田等々、歴代のスター選手のこともこの皮肉屋の眼で冷静に書いている。この人に言わせればタイガースにはその永遠のライバルたる巨人に比してベストナインに選ばれるほどの人材は薄い(と言うか無い)とこき下ろしている。それだけ永遠のライバル巨人の将来を見据えた組織としての野球、ひいてはこの国の野球界の先駆としての使命感さえ感じさせる組織としての野球の「やり方」に対して、ただの地域的な対抗心から来る阪神の野球は目前の利益に血眼になって、全体としての利益や組織としての利益を考えられない大阪商人の特質が出たその場限りの野球であり、選手も何も考えずただバットを振るだけ、投げるだけの癖に周囲からもてはやされて図に乗っている。このチームはただ単にマスコミや盲信的なファン層に助けられているだけだとこき下ろす様は、タイガースファンには賛否両論分かれるところだと思う。けど、ここで言われる事は正に本当の事だが、このチームのファンを長くやっているとそんな事はとっくに解っているワケだ。人間のやる事やし、そんな組織やからたった数年前までは歴史だけは長いが大して強くも無いチームだったわけやし、だから負けてたんやもん。野村の言うことは正論、けど正論が受け入れられない世界もあるわけで、それが人間の世界なんじゃなかろうかと思う。野村の言う様に、最近は常勝チームとして無難な普通のチームになりつつあるが、今までのタイガースなんて組織としては誠に欠陥だらけのチームだったと思う。けど、それでも旧くからのファンが離れなかったのは地域的な特性にぴったり当て嵌まっていたからだと思う。関西みたいな良くも悪くも本音の世界で、混沌として、冷静よりは情熱と言った或る意味非常に人間臭い、泥臭い、或る意味非常に灰汁が強くて、所謂ダサい地域性だからこそ愛されたチームであると思うし、それを誰も格好悪いこととも思っていない。果たして、プロ野球チームとしての常識、テーゼとしての巨人の様な糞マジメで強い球団がこの地域に居たら、果たしてこれだけボロカスこけ下ろしながら応援されたのだろうか?と思ってしまう。正論は大いに結構だが、セオリー通りに行かないのが人間の組織であり気持ちで無いのかなとも思う。まぁそうは言っても、最近のタイガースの人気度の高さは旧くからのファンにとってはあまり手放しに喜べる風潮では無いのも事実。もっとゲーム本来を楽しんだ方が野球は長く楽しめると思いますがね、、、。

2008年5月18日日曜日

饂飩ツアー(1)


急遽決まった饂飩ツアー!!!土曜の晩から出発した。夜の十時前の高松の商店街。結局土曜は饂飩を食することは出来ず、琴電の片原街駅前の昭和テイスト一杯の居酒屋で魚と鳥を食した


開けて日曜日。我等が「駅前林道」は、「林道駅前」から旅を始める事とする・・・?!で「林道駅前」にも製麺所はあるのだが、まだ開店前であった。因みに「林道(りんどう)」では無く「林道(はやしみち)」である。

で、讃岐と言えば讃岐富士(飯野山)である。母親の郷里がさぬきなので、昔から良く言い聞かされ育ってきた。小麦色の穂はまさに小麦。昔から溜池で有名なさぬきは米どころのはずだったが、この時期、水を張った水田は全く見えず休耕田ばっかり。で気の利いた所は小麦を栽培している様子だった。

この日、最初に入ったお店。
一杯目。釜揚げ中。400円也。
暫く歩いて腹ごなし。二件目のお店。
で、二杯目はかけ。230円也。
で、「まるがめボート」に行って、社会勉強の為に生まれて初めて「船券」を買う。この日は場外だったので丸亀で何故か鳴門のレースに賭けた。「ビギナーズラックで働かずにさぬき饂飩三昧!!!」と行くはずも無く、最初で最後のボートレースは終了。帰り際に駐輪場のカブの多さに圧倒される。競艇と言い、田舎のカブの多さと言い。今日は本当にいい社会勉強になった。

丸亀と言えば城。丸亀城を見に行ったら、観光協会だか市役所だかが天守閣の直下で炊き出しを行っていた。で、三杯目きつね200円也。

きつねの次は天守閣。下から見れば立派な城に見えるが、近づいてみると三層櫓の建物は意外に小さかった。
で映画「UDON」のロケ地、製麺所跡に行くも、、、迷いに迷って着いた挙句、既にセットが取り壊された後だった事を知る。

後半は琴平に移す。これは参道入り口付近にあった店で。四杯目しょうゆ天、650円也。地ビールが500円也。
食した後は歩く。昨年夏に子供とチャレンジしたが辿り着けなかった金毘羅さんを遂に制覇。因みにビールを飲んで直ぐに歩いたからか、汗で完全にアルコールが飛んでしまったのか?摩訶不思議!全く酔っていなかった。
で、琴平町の商店街の外れで見つけたのは。おばちゃん一人で取り仕切ってる店。
五杯目。これぞ探し求めていた釜玉。300円也。(金額はもしかしたら違うかも・・・)
夕刻になるとさぬきではうどん屋が殆ど暖簾をしまってしまうと言うのは今回初めて知ったワケだ!六杯目にありつくのに右往左往。結局国道沿いのチェーン店と思しきうどん屋で・・・
六杯目肉うどん中+おでん(蒟蒻、玉子)で590円也。
うどん十杯を目標と置いていたが、既に時間的には限界であった。次回は是非10杯を目標に・・と思っていたが、帰りの淡路島のSAで腹が減って七杯目と相成った。ハイカラうどん400円也。
うーん、饂飩ツアーって濃いわ。

2008年4月23日水曜日

課長に告ぐ!!

4/26(土)1K庵にて鍋最高!ぢゃなくて鍋催行!
連絡乞う!

**待て!!次号**

2008年3月29日土曜日

甲子園球場には「昭和」が溢れていた!



午前中、某大学病院にて再度胃カメラを飲む。逆流性食道炎が気になって今年に入ってなんと二回目。今やすっかり胃カメラヲタクになっている。診断は中規模な食道窄孔ヘルニア?と言う以外は明確な状況は解らズ・・・カメラを飲めば症状が明らかになると医者は言うが、苦労して飲み込んだカメラで余計にのどが気持ち悪い。

娑婆に出て15時間ぶりの飯を摂ろうとチャリンコでぶらついていると、急に我がタイガースの聖地、甲子園の外野でカレーが食いたくなった。で、、ビールも買ってライトスタンドに陣取る。試合は終盤、1-0。長野が滋賀にリード。この所、季節が逆戻りして吹く風は冷たいのだが、ビールをグビリとやり、名物のカレーを食いながら既に二回り以上も若い高校生の試合を見ていると、野球小僧だった子供の頃の何だか懐かしい春を思い出す。
試合を追いながら、それぞれの応援合戦を眺める。
「ウララ~ウララ~ウラウララ~」なんてあんた、アンタら山本リンダなんて知っとるんかい?
まあ選曲は部活の先公だろうから、それこそ「困っちゃう」のは現役のアンタらの方かもなぁ。
その他にも「ワータシ、ピンクのサウスポーォ」だったり、海のトリトンだったり、ルパン三世のテーマだったり、暴れん坊将軍だったり、まあ懐かしい曲のオンパレードなんよねコレ。
そういえば回りを見回しても、リタイアして家から放り出されて来た様な爺様、弁当を食べながらどちらにも拍手を送っている老婦人、子供を連れたお父さん、野球デートの若い男女、丸刈りの高校生等々。老若男女が楽しんでいる。「甲子園」は懐かしい「昭和」の雰囲気のエンターテイメント空間だった。
サッカーの試合じゃこうはいかんのやろうなぁ。多分。

で、昭和メドレーを聞きながら第三試合はレフトスタンドに河岸を移して鳥取の県立高校の応援。
終盤まで大手大学資本の豪農街の私立高校に押されながらも、0-0の投手戦を繰り広げていたが、八回に捕まり一点を献上、結局その一点が決勝点になってしまう好ゲームだった。

既に日は傾き薄ら寒さが増していたが、久々の野球の好ゲームに何故か「六甲おろし」を口ずさみながら一路夙川沿いへ。
 

この所の寒さでなのか、夙川の桜はまだ三分から五分咲。
今日は、久々に良い気分の自宅に帰らない週末だった。