2011年12月22日木曜日

Today is a memorial day of end of war.

と言うか、撤退が来年なので

Today is the acceptance day of potsdam declaration.

の方が正しいかも知れない。

この日。
顧客から入札の結果を出すと伝えられていたが、結局客先にいる間の日中帯には結果が出ず。
判明した結果は、既に帰途についた夜になって営業担当からの電話で知る事になった。
で、肝心の結果は「残念ながら・・・」と言うことで年始1月末に当組織の前線撤退が決まったのである。

顧客と当組織の要求が真っ向から対立していただけに、予想してしていた通りの結末ではあったが、、、
改めてその結果を現実に聞くと、今まで前線での体制維持に四苦八苦していた為に、気持ちがスッキリ晴れ渡り、解放感に満ち溢れるのかと思いきや、意外にも何だか妙な虚無感と徒労感が残るだけだった。

この「達成感の無さ」がこのプロジェクトの最大の敗因なのだと思う。

こうなった以上、いまさら、椅子取りゲームの国から来た「強欲原理主義者の手先」であるグローバル金融業者(此処の日本法人はつい最近も「資金洗浄」で当局に槍玉に挙げられていたが・・・)の悪口を言っても始まらないので止めて置くが(もう言うとるがな・・・)、個人的な見解としてこの戦いで4つの教訓を得た。

1.己が能力を知り、何が不足しているのかをもっと知るべきである。
能力を知って限界に挑むのはチャレンジであり、能力も無いのに勝負をかけるのは単なるアホウである。
 
2.綿密な計画と遂行できる体制、仕組みを妥協無く確保すれば9割は成功する。
逆に言えば、最初から体制や仕組みが自分達の意のままに成らないのにコストや人手で妥協すれば、どれだけ追加でカネや人を投入しても失敗する。「現場に入ってから様子を見てがんばれ!」なんてのは全くのナンセンスだ。そんな提案はハッキリ言って無責任である。

3.常に自分の役割(演目)を意識し行動し、本当に演目が演じられたかを反省することが次に繋がる。
妥協ばかりで、いい人ばかりを演じていると今以上の成果は出ない。
また逆に、最初から「出来ない」「やらない」なんて言う大人は「要らない」し、それだと何も「始まらない」。

4.カネが全ての判断ではない。
必要な投資を怠ると、結局最後に大損を喰らう。カネに関して法律の抜け穴みたいな事ばかり考えているといつか法律で処罰される。

1.は無能な経営者に捧ぐ
2.は無能な提案者の捧ぐ
3.は自分も含めた無能な三流役者に捧ぐ
4.は厚顔無恥なグローバル金融の顧客に捧ぐ

って、結局悪口で終わってるがな・・・

2011年11月23日水曜日

近況

2011/11/18(金)

団長は今日は中部空港だという。
折角、関西に来ているのだが、会えるとは思っていなかったので夕方まで忘れていた。
朝から客先の関西の拠点に行き、新体制の見極めをして、何人か初めて出会う人にも会って
午後5時過ぎに客先を出て帰路に着く。
その間にも、契約交渉の難航の状況がメールで刻々と伝わってはきていたが、遂に経営陣も
要求事項が客に合意されない限りは年内撤退と言う方向性を認めた様だった。
良く考えれば、当たり前の話。
この先の見えない前線にうちの組織から送り込まれた連中は皆、潰されていく。
ある者は、鬱になり、ドクターストップがかかり。
ある者は、無謀な客に人格まで拒否され。
ある者は、アサインされた途端に「前線を変えてほしい」と涙ながらに懇願し。
結局、この客のやり方にはウチの組織のやり方が向いていないと言う事なのだ。
それはさておき、地下鉄に乗るまでは素直に帰ろうかと思っていたのだが、
団長が新幹線からメールをして来たのに閃いて、ひょんなことから梅田の食堂街で再開(Reopen)!

楽しい酒が呑めました。
あまり酒も、食い物も、節度を守らんとアカン身なのですが、、。
楽しい酒を呑んで、笑い飛ばした方が、生きる為には必要なのでないかと思います。

因みに団長が書いています↓

http://d.hatena.ne.jp/ei_gyong_chung/

2011/11/17(木)

客と呑む。
もう先の見え始めた客。
しかも最初から相性のよくない客。
この日も、潰されて強制異動で去っていく、大阪の前線の撤退者を送る会の筈だったのに、
気がつけばKYの客のマネージャーが附いて来たと言うのが真相。
実りの無い接待呑み会となった。
他社(他者)を知らない人って言うのは、何故あんなに傲慢で自分(達)の事を大きな声で
語るのだろうか?

2011/11/16(水)

午前中、現場。
午後に客の本社に移動。
契約の最重要事項を、「前任者がやったこと、私は知りません」っていけしゃあしゃあと言って
のける購買部の責任者を私はこの眼で初めて見た。
流石、他人の褌で相撲を取って、強欲に継ぐ強欲で富を勝ち取る、椅子取りゲームの国からやってきた
虚業家企業の購買部幹部だわ。

購買部長のビビル君。
日本語でそう言うのを何て言うか教えてやろうか?


「盗人猛々しい」


覚えておきなさい!

夜遅くに新幹線で移動、22時過ぎからいつも付き合ってくれるMKちゃんを呼び出して、新地で立呑み。

2011/11/11(金)

ぎっくり来たので、大事を見て医者に行く。
そこで5時間待たされて、午後に漸く診察室に入る。
医者が来るまで、何気なく電子カルテを見ていて、エライ字句を見つけてしまった・・・・

「二型糖尿病 合併症なし」

と書いてある。縦に見ても横に見ても斜めに見ても、そう書いてある。

ショックだった、、

「腰」どころでは無いのである。
飲まず食わずで生きていくしかないのか?

家に帰って10月下旬の検査記録を調べてみる。
血糖値は普通、以前高かった尿酸値は普通に戻っている。
高いのはβマイクログロブリンのみ。
これって何?

2011年10月15日土曜日

闇を裂く道 吉村昭 文春文庫




読むプロジェクトXである。

この話は、昔の鉄道省時代の東海道線の丹那トンネルの掘削物語。
その昔、維新を経て急速に近代化の進んだ日本、日清日露、そして第一次大戦と言う三つの大戦を経て、一躍国際社会に躍り出た日本であったが、国力増強の為には、東京と東海、関西を結ぶ大動脈である鉄道幹線の効率化は必至であった。だがその東海道を結ぶ鉄道幹線は箱根越えに苦しんでおり、当時御殿場を経由して東から西に出ていたが、勾配が強く非効率であり遠回りでもあった。
そのため、小田原から熱海を経て三島方面に抜けるトンネルを掘削した方が得策と考えられ始めたのは無理の無いことだった。

工事が始まったのは大正7年、その直下をトンネルが走ることになる丹那盆地(現在の函南のあたり)は、箱根山系の伏流水が豊富で米と山葵を栽培し、酪農を営む豊かな農村であり住民も穏やかな協調的なおおらかな性格であったため、それに敬意を表し当初「丹那山トンネル」と名づけられたのだが。。。
熱海側、三島側で相次ぐトンネル内部の大崩落。殉職者が増え、トンネル工事自体をマスコミに批判の的にされ暗雲が立ち込める、それでも現場は掘り進めるのだが、次に彼らを待っていたのは水分を含んだ「青い粘土層」だった。水が滝のように流れ、掘った切羽の先から水が噴出し、掘り進んだ何千メートルもの坑道を埋め尽くす水と土砂。掘っては埋まり、掘っては出水で水浸しの日々。

そして解決策として排水坑を新たに掘り、水を全て抜くと言う対策が裏目に出たのは、暫く経ってからであった。丹那地区の農家が渇水に悩み、そして土地が陥没し家屋が傾き始めたのである。
温厚だった丹那地区の住民が蓆旗を翻し、鋤鍬を持って押しかけてくる毎日。今で言う公共工事での公害であるが、、、それでも鉄道省はトンネルの掘削を諦めなかった。

渇水対策を施し、地盤の崩落の危険にさらされながら完成したのが昭和10年。
電気不足からつるはしで掘り始め、完成まで17年の歳月が流れていたのであった。(by 田口トモロヲ)

吉村昭の著作は久しぶりである。
旧くは「漂流」から始まり、「破獄」「海の史劇」「天狗争乱」「三陸海岸大津波」と読んできたが、事実を事実としてありのままに客観的に伝える「記録文学」の姿勢は、歴史を主観的に捉えた作品の多い司馬遼太郎とは対極であり好みが別れる所ではあろう。

たまたま本屋で手にした文芸書の別冊で、吉村昭の特集が組まれていたのを読んだことがあるが、彼は江戸中期以降から太平洋戦争まで、記録が残っていて自分で作品として想像のできる範囲の歴史しか書かないらしい。あくまでも主観を排して客観的に記録しようとすると、自ずとその範囲に限定されるのは仕方のないことだと思う。それだか歴史を伝える仕事に責任を感じていたのだろうと勝手に想像している。

2011年9月3日土曜日

どじょうないかくのみなさまえ

なんとも暗いかおのおっさんがそうりだいじんになりおった。

どろくさいとこ強調するいうて、党内どろどろのとこ、ようきょうちょうできとったわ。

さんぎいんのガイコツみたいなおっさんが「党内ゆうわ内閣や」いうとったけど、

どんだけこくみんの皆様へ目がむいていないか、ようわかる。

げんぱつと、じしんで困ってる人のことむいてたら「党内ゆうわ」が、かいこういちばん

でてけえへんけどな。

これで、こわいかおのおやぶんさんと、サイフにぎっとるやくにんのいいなりか。

だつげんぱつも、ふっこうも、どじょうにまかせりゃ、どろのなか。

びょうにん21めんそう

2011年8月1日月曜日

夏鍋休場宣言

えきまえの皆さまえ

ながいじんせい苦じゅうのせんたくもあるよって。
この度は、ワシがそのせんたくをせんとあかんようになってもおた。

8がつ6かの鍋はけっせきさせてもらう。
石がつまったんやないで、それは結石や。

いい出したのもワシや。
ぶちこわすのもワシや。
人生はんせいばかりや。

えきまえのみなさんへは、ちょうせいかけてもらってわるかったとおもうとる。
アジト提供のえいぎょうちゅうと陣馬笛のちょうちょうさんには、ほんまに申し訳ないとおもうとる。
できることなら、とうじつあつまれるなかまだけで鍋してほしいとおもうとる。

きっかけはなにであれ、ワシもひとの子、ひとの親や。

ろくでなしやけど、ひとでなしにはなれんわな。
まだとしはもいかん子どもを、両おやのいない真夏のいえの中にはほうっておけんわな。
ほうっておいたらきょねんパクられたキャバクラじょうとあまり変わらんやないかとおもおたわな。
ヨメとの縁はきれたとしても、親子の縁はきれんわな。

ワシにはなつやすみのもくてきがひとつ減った。
しばらくワシもきゅうじょうする。

何をやっても、あかんときはあかんのや。
四方しかたありまへん。

びょうにん21めんそう

2011年6月1日水曜日

内閣不信任案

そんなものを出すヒマがあったら仕事しろ!

震災時、海外メディアからこの島国の国民は「冷静、沈着、規律正しく、取り乱さない」と高い評価を得た。
だが、この島国の国会議員は「無恥、無能、無駄」である。

菅直人は確かに無能だが、奴を罷免したからと言って、復興が即座に始まるわけでもなければ福島第一原発から垂れ流される放射線が無くなるわけでもない。

とりわけ、原発の災害は人災である。
その直接の責任者は当然東電だが、、、。
原発を推進し補助金をバラマキ、原子力村を後押しし、その危険性を永らく隠蔽して来たのは自民党。
その検証も総括もせずに温暖化対策と言う名目で「最もクリーンなエネルギー」政策を継承したのが民主党。
そこに群がる宗教政党と弱小糞政党。

この期に及んで震災すら政局のネタにする、奴らは未来永劫絶対許してはいけない。

2011年3月20日日曜日

Fukushima Fifty

これは天災やなしに人災。
危機感のない隠蔽体質の東電と指導力がないのに下手なパフォーマンスだけは得意な日和見菅政権の。
放水で放射線に曝される自衛隊員に太平洋戦争時に戦地に駆り出された旧軍の兵士と同じ哀しさを感じてしまう。
「国、国民を守るのが自衛隊の任務」と防衛省幹部は言ったとか。
当たり前やけど彼らの評価は上がるだろう。
警察も消防も同様。
それに対して政治家の覚悟が聞こえて来ない。
民主も自民もその他も。
所詮、烏合の衆や利権政治屋ばかりやからな。
これに乗じて落ち着いたら改憲とか言い出す奴もいるやろな。
自衛隊認める為には9条改正も必要になるけどな。
最前線で命を張って阻止している彼らに比べれば微々たるものかも知れないが、今、被災地に向けて自分が何を出来るのかが問われている自分自身を含めた国民全体に対して。

Imagine

首都圏には放射能が降り注いでいる。
「僕らは薄着で笑っちゃぅ」あれは清志郎の歌だったか。
北風が吹けば首都圏に飛び、南風が吹けば被災地に飛び、雨が降れば「黒い雨」。
東電の隠蔽体質と危機管理能力のなさも呆れるが、命を賭けて取り組むと行った菅直人はなぜ現地で指揮を取らないのか?
結局、皆がゲバ棒振り回していた時代から「危うきに近寄らず」で「調整役」と言えば聞こえは良いが、日和見と下手なパフォーマンスで来ただけのリーダーシップのなさが露呈しただけ。
毎日の様に「報道」にかこつけた番組が繰り広げられているが東京のスタジオで好き放題言っている奴等こそ電気の無駄づかい。
本当に必要な情報は教育テレビとラジオ第一放送でしかやっていない。
そんなこんなを「我欲の天罰だ」だと言った独裁爺ぃは、自分のクルーザーで公私混同の海外視察を繰り返した我欲の塊。
もし神が居たならば本来はこんな奴にこそ天罰が下るべき。
と、こんな事を言っている私自身も偽善者。
言っているだけで何も行動を伴っていない。
出来るのは義援金を出すくらい。
自己嫌悪すら覚える今日この頃。

2011年2月5日土曜日

純米自棄酒


年が明けて早2ヶ月目。
仕事も家庭も上手く行かない。
愛憎のもつれ、会話の途切れ、心休まるのはといれ!ダケ。
一気に老成してしまった感があるが、老いるとやはり日本酒が旨い。
本当はこんな状況下で日本酒の旨さなんかを解りたくはなかったのだが、、、。

純米自棄酒100%

2011年1月1日土曜日

New year!

世間的には「あけましておめでとうございます」なのだが。
私的にはお通夜の様な正月があけた。

昨日今日と年越しで海岸べりに立ち、冷静になって考えてみる。
守るべきは子供の未来。
それに尽きるのだ。

初心忘れるべからず。
子供は宝。

前向きに生きてみようと思う。
ちょっと勇気がわいてきた。



PS
年賀状を頂いた皆様には御礼申し上げます。
私は出すのが遅かったので、3日頃届くと思います。