2013年3月31日日曜日

大門庵日記 2013/3/31

朝、8時に起床。小雨模様。朝飯をセットしていなかったのでコメを炊いている間に、洗濯、朝風呂。10時半過ぎから試験勉強をして、昼過ぎ終了。昼飯を食べに外に出る。曇り。お茶の水のスポーツ用品店に行きたくて、外に出たものの定期を庵に忘れたことに気づき、逡巡したが、そのまま行けるところまで歩いて行ってみよう。新橋を越え、有楽町を越え、日比谷公園あたりで何だか機動隊が出て不穏な動き。国会議事堂の方で何かやっているのが目に入ったが、街宣車とかが出ていて嫌な雰囲気。角にあった日比谷の交番で御茶ノ水までの距離を聞く。何と2㎞ちょっととの返事なので、そのまま歩いていくこととする。1997年に嫌々ながら社命で関東に出てきて、埼玉を皮切りに、国分寺、鎌倉と移り住み、今や何を思ったのか、こんな首都のど真ん中を休日に、家から散歩できる距離に住むことになるとは思っていなかった。御茶ノ水までは約一時間歩いて13時30分に到着。今年こそは富士山に登りたい、そして山を再開したくて、久しぶりに山用品屋をハシゴする。とは言っても高いな山用品は。素材もペラペラやゴワゴワのナイロンや、皮だけだった昔とは違い、色んな素材で作られる様になったんだなと、時代の流れを感じる。ついでにランニングも始めたいのでランニング用品も見に行く。こっちも綿だけだった昔とは隔世の感あり。まだ新生活が始まったばかりなので、今日は見るだけで帰る。帰りも歩いて丁度45分だった。不思議と疲れはなかったが明日以降に筋肉痛が出たら嫌だなぁ。来週は子供に会いに行こう。写真は途中で撮った花々。東京は緑が多いわ。

2013年3月30日土曜日

大門庵日記 2013/3/30

昨日の晩、「明日は子供達に会いに来るのも来ないのも勝手にしろ」との前嫁からのメールに逡巡した挙句、「明日は行きません」と」返していた。会いたいのは山々なのだが、十日前に引っ越してきて、荷物も解いていない、今日は一日、身の回りの整理と決めて、折角の面会の機会であったが断ってしまった。朝、7時半に目覚める。前の家なら、嫁が店に出勤する朝9時前までは、親父は自室に閉じこもってまだ眠っていた時間だ。晴れて、朝早く起きても咎められない身分になった。朝から自分でゆでた釜玉うどんと、昨日の晩の残りの炊き込み御飯、味噌汁で腹一杯の食事とする。外は曇り、天気予報では終日曇りで三月だというのに12℃程度とのこと。一週間で春が来て、またしても遠のく天候を繰り返している。風呂に入り、三日分の洗濯をしてから部屋の整理を始める、段ボール箱6箱に入っているのは本、捨てられない雑誌類、過去の写真、CD、DVDの類。後はかなり捨てたはずだが、捨てられず残った小物が段ボール箱に3箱。とりあえず本雑誌の類は、中身を出して壁際に並べる、DVDやCDの類は一つの段ボール箱に整理しなおして入れ、残りの小物も箱に詰めなおす。これで小物類は3箱から2箱になった。野宿道具が1K庵時代にIKEAで購入した木箱に1箱+αだったので、いつも自分の身の回り品は、本、雑誌も含めこの木箱に8箱程度を目安に標準化していると今後の宿借り生活での移動も楽だろうな。昼前に漸く部屋の整理が終了。一週間分の食材をまとめ買いするために駅から海側にあるスーパーに行く。今日、明日は寒いので鍋にしよう。帰って来て、昼は再び、うどんと炊き込み御飯。常にうどんがベースやな。昼から一段落して、近所に桜を見に行く、御成門近辺の公園を、ぷらぷらと桜を探して歩く。増上寺あたりの桜は、転居してきた頃にちょうど満開だったので、既に葉桜になりかけているが、このあたりはまだ満開に近い。家からビールを持ってきたので、暫しベンチに座って観桜会。それにしても寒く、ビールでさらに寒くなったので、公園内にあり偶然見つけた区の図書館で温まる。こんな近所に図書館があるのはこの先楽しみだ。しばらくそのあたりを散歩して、家に帰ったのは5時前。その間に、実兄から実家の隣のおばさんが亡くなったとメールがある。今はなき実母が入院していたとき、母のことを気遣い、父のことを気遣い、色々と顔を出してくれ、お世話になった方なのだが、先週、実父の見舞いに行った際、息子さんから危篤と聞いて心配していたのだが、遂に亡くなられてしまった。こうやって父や母の世代の方が一人また一人と旅立たれていくのは本当に残念でならない。夕飯は鍋、久しぶりの鍋だ。それにしてももう4月だというのに寒い。明日は雨とのことで、明日は隠れ家に引きこもりか。。。。

2013年3月29日金曜日

離婚決定

朝から関内のYMCに行く。最後の調停日。 10時に調停開始。 裁判所がやることなので、法的効力のある正式な調停文書を作る。 まあ作るとはいっても調停員が頭をひねって文案を練る訳で、申立人としては、その間待っているだけなのだが。 家も自家用車も全て譲渡するので、その所有権の譲渡関係と、親権の関係、養育費の支払い、面会権。その他住宅ローンの不払い時の明け渡しの明記、相手の開業資金の借入時の連帯保証人の私には、相手が誠意ある対応をし、一切迷惑をかけません旨の宣言文。 以上が調停文書の内容。 最後に裁判官と書記官が出てきて、申立人の私と、相手方である嫁が同席した上で、裁判官が内容を読む。 文面に同意なら、印鑑を押捺して、印紙750円を買ってきて提出してそれで終了。 離婚届を各々で署名捺印するのだと思っていたら、そんなことは一切なく、これにて調停離婚が正式に決定し、完了。 あっけないと言えば余りにもあっけないエンディングだが、2013年3月29日。晴れて離婚と相成りました。 長かった戦いに幕。

2013年3月22日金曜日

断捨離

友人の英蟯虫がブログで書いている。 断捨離。 人それぞれ、色んな意味での断捨離がある。 私の場合は、その対象が「夫婦の縁」であった。 葛藤はある、子供たちの将来を考えると本当にその選択が正しかったのか、自分の心の中に永遠に後悔は残る。 だが、自分の選択が正しかったと信じたい。 少なくとも、私が信じていた夫婦の姿は、苦しくても助け合い、思いあい、愛する家族の一員、パートナーとしての相方の尊厳を大切にすることが基本であった。 奪い合い、食い合い、人を押しのけても生きていくことが「あるべき姿」となりつつある、この狭い惑星の中の人間の世界。 その中で、家族と言う最小単位の集合体の中心となる夫婦が、欲望のまま、金銭的な価値感という矮小化された世界で語られるものではなかった。 私の今回の「断捨離」の選択を、いつの日にか子供達が理解してくれるならば、意味がある断捨離になるのだと思う。 今はただ、十年後、二十年後の子供達の評価に任せたい。

2013年3月21日木曜日

家出完了

昨晩(3/19)22時に帰宅、最後の荷造りと長男への誕生日の贈り物、長女への小学校入学祝いを彼らの机に置いて餞別とする。
健康に気をつけて、よく考えて行動する人間になってくれ。

そして家出実行日、早朝から都内に移動、ワンボックスバンを借りて再び自宅に向かう。
10時過ぎに自宅着、事前に相手方と示し合わせていた通り、相手方は子供達を連れて出かけているのを確認し自分の荷物を運び出す。
結婚し、そて別れるまでの間、12年、初めて息の合った連係プレーだとは皮肉なものだ。

近所のホームセンターで、これからの生活に使う、生活日用品などを購入してから、都内某所にむけ東進。
途中で遅めの昼飯などをたべながらの移動なので、転居先に着いたのは16時過ぎ。
荷物をは運びこんだらもう17時であった。

これにて家出完了。

子供達を残して来たことが心苦しい。
これから後の彼らの生活を考えると、経済的に苦労をするのは目に見えていて、自分だけ逃げて来た様に思え、本当にすまない気持ちでいっぱいではある。
だが、お父さんは、君たちのお母さんの言動に耐えられなかったのだ、いずれ君達にもわかる時がきっと来ると信じている。

今度の隠れ家の目と鼻の先が、あの有名な増上寺である。
最近の急な温かさで、今日あたり例年より早く桜がどこも一気に咲き始めたが、増上寺に桜もほぼ七分以上は咲いたようだ。
人生四十九回目の桜の季節を、家出先で迎えることになるとは思ってもいなかった。

色々な思いとの別れ、そして新たな人生の始まりの春。

2013年3月17日日曜日

最後の日曜日

この家で子供達と過ごす最後の日曜日。

女房とは離婚しても「子供とは月に何度会っても構わない」と言われてはいるし、今後もこの家でこの子達とは遊ぶこともあるだろうが、同居状態で、一緒に過ごす日曜日は今日が最後である。

長男が、午後からサッカーの試合だそうで、三人で最後に遊んだのはウーノ。
午後は娘と一緒に公園に行き、約一時間、娘の逆上がりチェレンジに付き合う。
目標は、小学校に入るまでに通算千回だったが、その391回迄を見届けた所で、御仕舞になった。

あと三回寝た、長男の10歳の誕生日でもある春分の日、この家を静かに去る予定。
越してきて、九回目の春だが、これで終章だな。

2013年3月16日土曜日

卒園式 2013/3/16

今日は娘の幼稚園卒園式。開始9時半前にギリギリ間に合う。
式が始まると、父親連中は皆、ハンディカムを出し、今まで座っていたのにワザワザ立って、自分達の可愛い我が子の撮影会を始める。
けど、ああやって撮った画像を果たして後で見るものなのだろうか?
それぞれの家の文化の違いは有るだろうが、、、私自身の感覚では後で見返すことはあまりない。
見返したって年に何回見返すか、どうかだろう。
それより瞼に、記憶に焼き付けるのが一番の思い出だと思うのだが。

そう考えると、ハンディカムってのはあまり好きでない。
皆、電機メーカーに騙されている様な気がしてならない。
自家用車と同じで、余り日頃は使わないのに、、、「皆と同じ様に持っておかないと気がすまない。豊かさを物でしか感じられない。」
という日本人独特の弱みに付け込んだ商品だよな。

話は変わるが、娘が生まれた時は本当に嬉しかったなぁ。
あれから6年、たったの6年で大きく、可愛く、健康に育ってくれた。
今日も、三年皆勤賞の最後のトリで表彰されていたね。

三年間の幼稚園生活のうち、お父さんとして貢献できたのは僅かだったけど、、、。
毎年、父親参観日には最後に「怜子ちゃんのお父さん」として、クラスの皆んなの前で紙芝居を読むのが楽しみだったなぁ。

卒園、オメデトウ!

2013年3月9日土曜日

Weekly blog 2013/3/2~3/9

2013/3/9(土)いつかバチがあたるよ!

上の長男は朝からサッカーの試合だろう。自分の部屋の荷を大方段ボール箱にまとめ、出たゴミを朝のうちに市のクリーンセンターに捨てに行く。帰りすがらちょっと遠回りしてZマリーナへ。ロープに懸垂した遊具を娘が気に入り延々とそれで遊ぶ。帰ってきたら丁度、正午で昼を食べ午後は近所の公園へ。今週から急に春めいてきたが、今日は暑いくらい!

夕方、長男が帰ってきて夕飯を食べずに相手方(母親)の残した指示メモ通りに出て行く。相手方が自分の店から19時過ぎに帰ってきて娘を連れて近所のどうやら居酒屋に言った様子。然るに長男のサッカーチームの飲み会か否かと思っていたら、相手方のブログにきっちり「春はお別れの季節」だのと題して書いていました。どうやら相手方が長男のライバル視をしていた中の一人の子供が父親の転勤?か何かで名古屋に転居するらしくその送別会に行っていたとの事だが、その文中では「その仲間のパパっていうのが4年間すんごいチームに貢献してくれました。 練習の時はコーチの片腕となって雑務をしてくださり、又、試合のときも必ず応援に行ってくださったチームにはなくてはならないパパ。・・・」などと書かれていて呆れる。この息子と同じチームメートのお父さんのことを「鬱陶しい」だの「でしゃばり」だのとこき下ろしてたんでないの?「あんなやつの息子に負けるな」と長男にハッパかけてたのも覚えている。幾ら自分の店の宣伝用のブログとはいえ表裏が激しすぎるんだよね。
いつかバチがあたるよ!

2013/3/8(金)

来週火曜日のパワハラ部長レビュー資料を作成し、マネージャMや重鎮Sさんにレビューするも反応悪い。
夕方ちょっと残って作成していたが、自棄になってKZと連絡を取り二週間ぶり?に新橋竜馬で立つ。
「生まれ変わってもこの業界で仕事をするのはもう嫌だな」などと言っているうちピッチが進み、最後に喜多方ラーメンまで食して京浜東北線の人となる。自宅着は日付が変わる直前。けど赤兎馬(紫)も呑めたし、良い酒だった。また次回!

2013/3/6(水)

定時退社の日と言っても、裁量労働制の下でのピンハネ労働者なので関係ネェのだが、余り残っていると退勤システム打刻時間と退室時間をチェックするなどという、馬鹿な(ヒマな)人達も居るので同僚兼マネージャMと19時すぎから会社の近所で立ち呑み。同じ店に旧組織のEさんとそのお仲間(挨拶はするが名前を知らない)が居て、Mが帰った後もEさん達と飲み続け、気がついたら23時すぎ。横浜の先まで帰る意欲を失い、今月下旬から新しく住むことにしている共同住宅に移動。熟睡。

2013年3月5日火曜日

Weekly blog 2013/2/23~3/1

2013/2/25(月)

課町長様が阿波からドサってきたので、横浜の無法地帯で立呑む。
いやあ色々ありましたが、そういう事にしましたわ町長様。

その後、町長様がお姐さんの店に行きたいとのことで、熟した方々の店か、若い方々の店か悩んだが、、呼び込みに釣られて、あっけなく若い方に・・一時間で焼酎お湯割り二杯で一人五千円ボッタくられましたわ。

はぁ。さすが無法地帯。