2013年5月25日土曜日

Weekly blog 2013/5/24

2013/5/24(金)  実父手術

昨晩から急遽、実家に帰省。先週金曜日に老人ホームから熱中症で入院。土曜日に見舞った実姉から「鼠径ヘルニアの肥大化による腸閉塞、来週金曜日に手術」と速報をもらって、兄弟協議の結果、行ける人間が行こうとの結論に達したため、先発隊で私が初日に乗り込むこととなった。
昨晩は、実家の仏壇の前に並べた遠い先祖からの位牌に、実父の現状を伝え「見守ってやってほしい」と祈る。信心深いわけでも、特別に家だのにこだわりのある人間ではないのだが、何かにすがって祈りたいと言うのは、もしかしたら人間という弱い存在のなすサガなのかも知れない。
齢八十七、今年の11月には八十八の喜寿を迎える実父。もう少し、もうちょっと生きていて欲しいのだ、高齢と言うリスクがあり、生活に不便そうでもあえて切ることもないと割り切って考えていた鼠径ヘルニアだが、実父が生き伸びるために邪魔になるのであれば切るしかない。
朝の八時から病室に行く、何のために手術をするのか理解が出来ていない実父は、「手術なんか何でやるんや」と不安を隠せない様子。九時半になって手術室に入る前にはさすがに不安に思ったのだろう、ストレッチャーの上で「わしの息子が見えん、どこにおるんじゃ」などと言う。
こんな私でも来て良かった。あの実父が私を頼っている。
案外、手術は長く予定の三十分が、終わったと医師に告げられたのは11時前だった。
医師によれば、一部は嵌頓状態になっていたとの事。しかしながら、腸を切ることは無く、腹膜との癒着部分を切り離しただけだったのは幸いだったとのことで胸をなぜおろす。
麻酔が切れ一般病棟に戻ったのが午後3時前、オムツの中に小便をすることに抵抗があるのか、「便所に連れて行け」と頻りに訴える実父にはちょっと閉口したが、何とか抑えて医師と看護師に挨拶をして、午後6時前に最寄りの電車に乗って移動。今回は兄弟達の粋な計らいで航空券が手に入ったので、岡山空港から最終のANA羽田行に乗って帰る。22時過ぎ、芝浦庵帰投。









2013年5月18日土曜日

芝浦庵に転居完了

朝から大門庵を畳み、車で約五分ほど南下した芝浦庵に転居完了。
「起きて半畳寝て一畳とは」よく言ったものだが、やはり六畳一間は狭いなぁ。
余り荷物を持っている方ではないとは思っているのだが、部屋には荷物が溢れかえっている。
これでは「庵」ならぬ「独房」やな。
「芝浦牢」。。。。余り締まらんなァ。
こちらが大門庵

こちらが芝浦庵

2013年5月12日日曜日

Weeklyblog 2013/5/5~5/11

2013/5/11(土)

朝から雨。昨日の酒が残っているのか、腹の調子がおかしく、頭も若干痛い。それでも朝飯を作り、掃除を済ませる。よくよく考えたら数日前に通販で頼んだ洗濯機も冷蔵庫も、この週末までに新しい庵に届かないのなら明日引っ越しても生活の仕様がない事に気づいた。まだ大門庵の立ち退き迄には余裕があるので転居は来週にしよう。雨の中、昼前から芝浦庵の契約に行き鍵を受け取ること。昼を挟んで田町に移動、駅から歩いて約八分ほどで芝浦庵に到着。
芝浦庵は十階建ての建物の四階に有る。1Kで狭い。住むところなんて六畳しかない。駅前で鍋をする機会がある時は辛いだろうな。そんな芝浦庵だが、バイクが建物の中に置けるので海の近くだが雨ざらしにならないのが救い。実はその一点で決めた様なものだが。午後の三時くらいまで通販で買った生活用品を受け取り駐輪場を下見して、管理人室に挨拶に行ってガス、電気、水道の利用開始を連絡して、部屋の中の収納などの寸法を測ってと結構忙しい。四時前に街を知るために雨の中、近所をうろつきながら田町の駅まで歩く。芝浦っていう町は山手線の内側の芝地区の海っぺりだから「芝の浦」。本来なら港町でうら寂しい町の筈。否、今も山手線内に比べると寂しい雰囲気は一杯なのだが、最近は高層マンションの林立地帯の様だ。芝浦庵は十階建てだが、海に近い地区まで歩くと二十階は有ろうかと言う超高層マンションばかり。そんな中に古い倉庫とか、鄙びた民家が建っていて何だか変な雰囲気。生まれてはや半世紀近く生きているが、こんな雰囲気の町には住んだことがないな。雨脚が強くなってきたので、早々に浜松町まで一駅戻り買出しをして大門庵に帰投。明日はガスの開栓立会等があり、また芝浦庵に行く。明日はバイクを置きに行こう。
 
2013/5/10(金)
 
組織の今期の計画を、今頃になって立てている。午後二番のに裸の部長様にレビュー。何とか事なきを得たが、グズグズしていたら定時後直ぐの卓球脱出にまにあわず、18時半前になって漸く事務所を出て新橋に向かう。久しぶりの竜馬で久しぶりにKZと乾杯。都合、生二杯、ハイボール一杯、焼酎芋水とお湯で一杯ずつ呑んで歩いて帰る。酔っ払った。
 
2013/5/5(日)
 
子供の日。快晴。朝早くから大船に向かう。9時過ぎに元の家に行き子供達に再会。父親が久しぶりに家に来るのを楽しみにしていたのか「ママが御飯は外で食べてと言っていたから、晩は何を食べに行こう?などと話をしてくる。長男は暫くしてサッカーの練習に行き、娘に「今日はお兄ちゃんに内緒で映画を見に行こう」と言うと、暫く悩んでいた様子だったが「絶対に秘密にするから行こう」と意気投合。10時過ぎから、子供達の大好きなクレヨンしんちゃんを港南台まで見に行く。昼は娘の希望で何故か?駅前で蕎麦。オッサンみたいやな。昼過ぎから映画を見て、二人で爆笑して夕方前に元自宅に帰る。 娘は映画に影響されたらしく「晩御飯はヤキソバ食べに行く」のだと。16時半過ぎに長男帰宅。疲れ切った表情だが、晩御飯食べに行こうと言うと「ラーメンがいい」だと。この子は寝ても覚めても外食はラーメンだなぁ。どんな食育をして来たのかとちょっと反省。再び大船に今度はモノレールに乗っていき、私は言ったサンマ―メン、長男は塩ラーメン、娘は結局、ヤキソバで決心がつかず、お兄ちゃんと私からちょっとずる貰う羽目に。後は、焼き餃子二枚を三人でつつく。再び元自宅に帰り、二人を風呂に入れて寝かしつけて20時半に大門庵に向けて帰る。子供の日だからと言うわけではないが、良い子供へのサービスが出来た。両親には悲しいことがあったが、やはり親子の縁は変わりはしない。屈託なく育ってほしいと切に願う。また、一か月後に行くからな。それまで待っていてくれ。次は何を食べに行こうか。