2008年1月29日火曜日

1K記(2008/1/29)


今日は魚である。午後から人間ドックの結果、再診が必要になり半休にした結果、夕刻には家に辿り着いた。そこから明日以降の夕飯の下ごしらえとして野菜類を切り、肉を二日分に小分けにし冷凍に回す。その間に米を明朝分を合わせて1.5合炊いて洗濯機に洗濯物を放り込み、さわらの西京漬を二尾オーブンレンヂにセットし、ほうれん草としめじ茸と冷凍人参に塩と酢醤油を入れてつきあわせの炒め物なんぞを作っている間に約25分で焼き魚は完成した。一汁一菜の生活を続けているが、本日は時間的な余裕があったので見た眼は若干多くてリッチ。なんせ魚が二尾やけんね二尾!!!贅沢である。年初に「足るを知る!」等とエラそーな事を書いていても食欲に負ける事があるのもまた事実である。否、負けすぎかもしれない・・。二尾のさわらに熱中しながら飯を二杯食う。美味い。で、飯を食っている間、実はNHKテレビを点けているのだが、そのテレビではクローズアップ現代をやっていた。今日のテーマはロンドンの低炭素政策であった。ロンドン市内に入る車は地域によって渋滞税を払う、市は電気自動車の利用を進め電気自動車なら渋滞税は徴収されない。また渋滞税の税収では公共交通機関が助成されている。今後は遠方の発電所から電力を供給する際のエネルギー損失を見直すため、太陽光・風力・バイオマス等の再生エネルギーハイブリッド発電所を都市内に散在させCO2排出量を60%程度削減する事を計画中だと言う。この環境市政を進める担当者の言葉が今の私自身のもどかしい思いを明確に代弁してくれていた。「この先温暖化で何が起こるのか解らない不安の中で、今実行できる事を黙々と実現しているに過ぎない。重要な事はその何かが起こってしまってからでは遅いという事だ!」。それに引きかえガソリン税25円を巡って、「なぜガソリンの値下げが温暖化防止に逆行するのか?」「道路が出来ると自動車がスムーズに走れ温暖化防止につながる」等と言う馬鹿げた珍問答を国政政治家がしている日本の幼稚さには呆れてしまう。今、国政でやるべきことは道路特定財源のガソリン税よりもむしろ自動車の総量規制だろうが。今やこの狭い島国には温暖化ガス排出の一要因である自動車があふれ返っている。既に1999年位からその兆候はあった。それは単なるバイク旅行者の私でさえその事実を旅する先の色々な地方で肌で感じてきたのだから、、、、誰でもちょっと考えれば解るはずだ。あるいは極論は道路特定財源の環境税への税収目的の変更とかも良いかもね?国産メーカーの与太者自動車が自動車の売上世界NO1になったとてそれは本当に日本の未来、地球の未来にとって喜ばしい事なのか?そんな事を考えていると何年か先に「そんな馬鹿げた事を自慢していた日本人」にはお互いならない様にしたい。ま、私も車は好きなんだがね。それ位はやらんとこの国の温暖化ガス抑制なんて永遠に進まない気がしてならない。やはりこれからは足るを知る!でんね。

2008年1月17日木曜日

1K記(2008/1/17) 


本日の献立。鯖の塩鯖、ほうれん草のおひたし、えのき茸の焼き物(解凍しただけ?)、味噌汁の代わりにうどんを味噌汁の中に入れた味噌汁うどん。やっぱり肉より魚よ!オーブンで焼くのに二十分程かかったが旨みの乗った良く焼けた鯖に白飯は何とも美味。単純だが昔ながらのこんなメシが非常にうまい。久しぶりの魚にやはり自分が魚に飢えていた事に改めて気づく。人間四十歳の峠を超えると不思議に嗜好が魚や和食に傾いていくのは世の常だが、高級魚でなく鯖の様な何の事は無い大衆魚のほうが美味い気がする。まあ偏屈な自分の性格が味覚までひん曲げているのかも知れないが?ただ、食に拘り、毎日暖かいメシが食べられる事の幸せには本当に感謝だ。因みに十三年前の今日。朝、駆けつけた三宮の町のど真ん中で倒れていた自販機から買った紅茶を飲んだ以外は夕刻まで飲まず食わずだった。あの日の夕飯は既に夜の九時を回っていたと思う。当時、木賃アパートであった我が家に東灘区から避難した来た後輩二人と、飲料水と言う飲料水が全て売り切れていた近所の自販機の中で唯一売っていたビールで、生き残った事に対してささやかな杯をあげた後、隣の町内の中学校まで歩いて既に始まっていた配給で水を調達してわずかばかりの米を炊き、これもたまたま持って来たレトルトのカレーを野宿用のコンロで暖めてカレーライスにして三人で食ったのを良く覚えている。時々襲ってくる余震の恐怖におののきながら三人で食った僅かばかりのカレーライスがどんな味だったのかは残念ながら既に覚えていないが、、、。あの日から既に十三年、今日もこの様に何事も無くメシを食える事に感謝!

2008年1月15日火曜日

1K記(2008/1/15)

本日は人間ドックであった。で、関東から飲まず食わずで前夜に1K庵に移動してきてそのまま朝に組織指定の病院に行く。人間ドックやら健康診断やらでごった返す病院で受付を済まし着替えるとまず採尿、次に胸部X線、胸部CTにエコー、身長体重測定、聴力視力、眼圧測定とシステマチックに続いて、本日のメインイベント胃カメラに至る。胃カメラ自体はこれで生涯四度目だが、その中の二回は全身麻酔だったので正確には覚えていない。が、今回は喉だけ麻酔をかけ飲み込む仕組みだった。で、これが中々飲み込めないのを担当の医者が強引に捻じ込む(本当に無理やりネジこんだのだ)。思わず「痛いのワレ!」と言いたい位の激痛に思わず涙が出た。で、一昨年あたりから胸焼けがして数年ぶりの逆流性胃炎が悪化していると確信していたのだったが、、正解はシロだった。十二指腸も、胃も、食道に至る部分も全く何も異常なし。異常があったのは医者が無理に捻じ込んだ時に出来た流血個所だけだったのだが。。。結局、胃の異常の疑いは晴れたもののその時に出来た喉の激痛で山奥に通うのが一気に嫌になりそのまま半休とする。で、午後の数時間自由の身になったので午後4時過ぎから作ったのがこのカレー。ルーは市販だが胡椒と七味でそれなりに味付け。何だか週に一度はカレーを食っている気はするが今回はレトルトじゃないけんね。ただ下手すれば三日三晩カレーを食いつづけないといけないのは或る意味辛いですが、、、まあけどよくよく考えれば喉が流血の惨事なのに、よりによって刺激物のカレーなんか食うかねぇ?

2008年1月11日金曜日

凝りもせず夜行バスにまた乗った・・・

上司に対する原価の話もそこそこに、、、。時間ぎりぎりまで仕事して、出来なかった分はやってはいけないと言いつつも家のPCにメールで資料を送りつけて事務所を出る。一旦1K庵に戻って着替え、学生時代以来だから何と20年ぶりに南海電車の難波駅まで移動しミナミから22時に夜行バスの人となる。で来たバスは三列シートのなるほど夜行寝台バスでトイレまで付いている。これまた学生時代に就活で東京に面接に行く時とかに乗っていた時代の深夜バスとは違うのだけども、、、以前、夜行寝台列車に乗って眠れない経験から言えば、眠れると言うのと設備が良いと言うのとはやはり違う様だ。夜行寝台バスの何が眠れないかって、あのカーテンをほぼ夜明けまで開けない所から来る閉塞感が眠気をスポイルしている。しかも夜行列車とは違ってなんだか狭い空間に押し込められた事から来るのか、あの乗客たちの何とも奇妙な雰囲気になじめない。あのなんだかいつも狭い実験用空間に入れられて諦感に達した鼠の様なあの奇妙な雰囲気は一体何?
で、バスはミナミを出ると京都でまたお客を拾って、その後はずっと高速移動。途中、伊吹PAで小休止したその後は消灯タイムとなって、只管睡眠時間なのだが中々寝付けなかった。うとうとする間にバスが壁に突っ込む夢を見て眼がさめたりする間に、気が付くと東名を降りてどうやら西湘バイパスあたりを走り抜けたらしい。夜明けの放送が流れた時には、家の近所を走っていてここで下ろしてくれればもっと早く帰れるのに等と思いながら、結局古都の駅前で降りた。ミナミから約8時間半、非常に疲れた。でなぜそこまでしてバスに拘るかと言うと片道8000円と言う料金に惹かれたからなのだが、おそらくバス移動はこれが最初で最後だろう。睡眠とは金で買うことだと改めて思う。

2008年1月10日木曜日

1K記(2008/1/10)



家にたどり着いたのが23時。原価の策定に追われていて、しかも昨日は新年会で午前様になってしまったのでちょっと頑張ったらこの有り様。そこから焼き飯とタン麺を作る。タン麺はキャベツ主体の野菜炒めを作っておいて、その中に塩ラーメンスープを流し込み、麺も一緒に煮込んだのだが。。。味付けが薄すぎたのかキャベツが多すぎたのか、あまり美味く無い代物になってしまった。飯を食い終わると24時。明日の晩はまた自宅へ帰省だ!

2008年1月8日火曜日

1K記(2008/1/8)




新年二日目は回鍋肉なのである。一汁一菜生活はキープしている。今年の自身のキーワードは「足るを知る!」なのでね。だが、明日は早速にして新年会と称した宴会なのである。組織上げての新年会なんてもう何年も行っていない生活が首都圏では続いていたが、流石その辺りは地域差なのである。大阪は年明けとくれば「えべっさん」なのだ。不況でもめげないのだ。首都圏のご本社様の連中が年始早々仏頂面並べてにらめっこして足の引っ張り合いやって、下の連中は嫌気が差してる間に、大阪は「えべっさん」に乗じて商売繁盛を祈りながら部長上げて新年会で飲みに行くのである。その実、そんな飲み方は嫌いではないのだオイラ。正真正銘中年の域なんで、組織で飲みに行くのは屁とも思ってまへん。ただし本当に面白い組織で無いとね・・・三年前の押し売りPRJとの時の組織とは大違いだ!!

2008年1月7日月曜日

1K記(2008/1/7)




仕事始めなのである。で、毎週月曜日は一週間分の食材を駅裏の24時までやっている生協で買うのであるが、のっけから会社を出るのが出遅れたのである。と言うことで単身赴任で仕事始めの今日の夕飯は見事にレトルトのカレーなのである。申し訳程度に饂飩も作ったのだが、饂飩などは電子調理器にくべとけば出来る訳なので本当に申し訳程度なのである。それにしても年始はしまらない。あの1/4の初心は何処に行ったのだ?

2008年1月4日金曜日

憂鬱な年明けに思う抱負

この正月休みは憂鬱な気持ちで一杯であった。九日連休が残りわずかになったから憂鬱なのではない。
暑すぎるのだ!そう文字通り「暑すぎる」のだ。一月なのに三月下旬とか四月上旬とかの陽気と気象予報士は平気な顔をして言うが。そんなの尋常な状態ではないだろう。異常なのだ!明らかに異常なのだ!異常だったら異常だと言うのが「世奉仕」ってもんぢゃないだろうか?
今日も子供を公園で遊ばしたのだが、この奇妙な「真冬の暑さ」の中で何の疑いも無く、何の不安な表情も見せずただ只管遊んでいる子供達を見ていると、彼らの世代をそして彼らの次の世代までずっと「気候大変動に起因する生きるための略奪の無い人間社会」(既にそれは崩壊し始めているが・・・)を継続させるために、もっと我々は今のこの気候大変動を真剣に自分達の解決すべき課題だと認識し行動を開始しないといけないと痛感する。
目先の利益や権益、安楽さを追いかけるが故に、我々の世代で平和な人間社会を崩壊させてしまうのは、子供達の世代に対してあまりにも無責任である。
その意味で左右の対立が無くなった現代において、環境問題は新たな政治的対立軸だと思う。突き詰めて言えば「化石燃料システムを使いつづける側」と「化石燃料システムから脱却を図る側」の対立だ。が、前者の先には明らかに石油メジャー系利権に群がる米系政治屋、原油成金であるアラブ産油国を筆頭とした「化石燃料システムを使い続けさせる奴等」の存在があるだろう。未来を見ようとしない目先の石油利権にしがみついた奴等の近視眼的世界観に騙されて、このまま人類は「じわじわと熱せられるビーカーの中の蛙」の様に滅亡の一途を辿る事は許されない。そう考えればその原油資金をバックにしたアルカイダもいわば同じ穴の狢ぢゃん。行動のベースを石油利権に置いた者同士の仲間割れに、人類が皆引きずられている余裕はもうない。
化石燃料システムからの脱却は産業革命時代の石炭から石油への移行が出来た人類にとって難しいことでは無い。仮に化石化燃料間の移行だったと考えても、動力機関の形態が全く異なったシステムになった事を考えると、やはり難しいことでは無い。人類にとって水素エネルギーの利用は必須だろうが、課題は液化水素自体の危険性よりはむしろ、社会インフラの充実化だろうか?と思う。
そして、今年は自身の仕事を通じて「大規模化石燃料システムからの脱却の実践」を図らねばならない。また、今年の自分自身のキーワードは「足るを知る!」だ。
道楽でどうしても「化石燃料システム」(いわば内燃機関)を愛するエゴイストのオイラであるが、自らのエゴをエコに変革すべき年にしなければと真剣に思っている。

2008年1月2日水曜日

民族大移動が始まった

朝、女房の実家集合。十時過ぎに家族四人で出発。目指すは関東の我が自宅。
我が家は新幹線も飛行機もキップを前もって買うなんて事はしていない。出たとこ勝負の博打一家!
最寄のJR駅で関東行きの新幹線の当日券を聞くと「ありません」の一言。いくら待っても朝から夜の便までは待てん。で、車を借りて乗り捨てるか、飛行機に航空会社の言い値を払って乗るかを家族会議した結果、鉄道オタクの四歳児の長男の意見はすべて無視して、珍しく夫婦の意見が一致したため空路で自宅に向かう。
日没前に家族四人が無事自宅に辿り着く。移動、移動で日が暮れた正月二日目。明日からは寝正月するぞ!!

2008年1月1日火曜日

薄情な次男

母親が朝から寝込む。年末の多忙と寒さから風邪になった様だ。しかも彼女の誕生日は今日。可哀相に全くついていない人だ。
とは言えそんな親を残し、昼過ぎに早くも実家に別れを告げる次男。私は本当に薄情な人だ。
夕刻には流石に新幹線で女房の実家に二時間半ほどで移動。またもや女房の実家で鍋をつつき、義兄夫婦相手にビールを飲む。
で、荷物を纏めるため深夜に1K庵に移動。