2010年8月13日金曜日

2010 元帥の運転手の夏 




2010/7/24 

いよいよ始まった2010年ロードムービー。今年は女房子供はオヤジを追いかけて来る様に飛行機でやってくる。と書けば良く聞こえるが、実際は女房子供がVIP待遇で飛行機で目的地に到着するのをオヤジは先行してクルマで迎えにいくと言うのが正しい。まるで厚木に降り立つマッカーサーを敗戦国家の政府のお抱え運転手が迎えにいく様なモノである。とは言っても例えクルマとてオヤジ一人で長距離移動できるとは「久々の役得だ!」と考えるのは、既に私は勝戦国の謀略に洗脳されているのかも知れない。なーんて、暢気なことを考えながら箱根を越えているのである。この頃は旅の始まりなのでこんな画像を撮る余裕があったのだ。家を出る前、ガソリン代として女房から貰ったのは僅か1万円なので(例えETCつけたからと言ってガソリン代も割引&後払いなんてのは無いのだが、、、)、ちょとでも節約しようと窓を開け放して空調を入れずに沼津から東名道の人となり静岡位までは我慢して走った。涙ぐましい庶民の努力を、飛行機に乗って高いところからやってくる時の権力者は判らないのは世の常である。この晩は久方ぶりに駅前で呑めた。心行くまで飲んだ。気がついたらアジトの畳の上で汗だらだらで寝ていた。

2010/7/25

運転手は実家方面に向けて移動。そしてマッカーサーは夕刻に中国地方に降り立ったのである。
実家着。まあいつもの夏の風景だが、今年は実家の庭の蝉が圧倒的に少なかった。暑すぎたのだろうか。


2010/7/26

どこかに行くつもりが、元帥の気が向かなかったらしく中止になる。それにしても「眠い」と一言言って、仏壇の部屋に一人で歩いていき、ゴロンと一人で寝転ぶ4歳の娘に元帥の怖いもの知らずの血が流れているのを見た。普通、仏壇は怖いはずやろ。この子はほんま面白いな。

2010/7/27

実家を出て、義母を拾って海を越える。与島をぶらぶらして青い国、四国へ。琴平のあの参道の下の饂飩中野道場?(なんか敗戦国家の士官学校みたいな名だ・・・)で上陸最初の饂飩を食う。だだっ広い讃岐平野を走り、山を越えると町課長の故郷、阿波である。四国三郎の流域の県営施設(さすがの役所なのである。立派な箱物で、非常に安かった、にも関わらず結構すいてました・・)に泊まった。

2010/7/28




朝から雨が降ったり止んだり。河原の広大なグランドで息子のサッカー練習相手トナル。

昼はやはり饂飩を食って、支流の川へ。怖いもの知らずの娘は、流れる川も怖がらず、背中を下に川面に浮かんで喜んでいた。女はこの年齢から大胆で強いのである。

2010/7/29

早々に帰る元帥一同を見送る日。生まれて初めて讃岐の善通寺に行った。本堂の下をくぐる胎内めぐりと言うのがあって、真っ暗な中を手探り(とは言っても壁伝いに歩いていけば出口に出れるのだが・・)で歩くのは面白かったが、ちょっと怖かった。漆黒の闇の中に身を置くと言うのは、本当に何年ぶりだろうか。大地の上の空港から元帥閣下は帰国の途につかれ、義母を乗せて関西方面に移動。この晩、英社長誕生を知る。

2010/7/30

関西から、運転手は移動。自宅着19時。何だ言っても帰りは11時間半かかった。疲れた。敗戦国家の運転手はもう懲り懲りです。

2010年8月12日木曜日

金魚 合掌!

寝静まった自宅に帰宅。飯を食おうと、リビングに上がり電気を点けるといつもとどうも雰囲気が違う。何か足りないと思ったら金魚の水槽がなくなっていた。城山三郎では無いが「そうか君はもう居ないのか」と一人でつぶやいていた。子供が近所の夏祭りの金魚すくいで取ってきた7月の下旬から我が家のの一員であったが、ここ数日は一時の元気も無く水槽の隅でじっとしていることが多かったから心配していたのだが、、、。そうか遂に逝ってしまったかナポリ(金魚の名)。実は丁度、一週間前の8/7、これも子供が夏祭りの金魚すくいで取ってきたペコリ(金魚の名)が急逝したばかり。ペコリは娘が生まれる前から水槽に住んでいたので、かれこれ4年近く30cm四方の水槽で生きていたワケだ。最初は3cm位の真っ赤な金魚だったが、最期は10cm位まで成長し赤色が淡い橙色に変色した立派なフナだった。恐らくこの暑さが原因で水温が上がり、酸素が欠乏して死んでいったのだろうが、立て続けに金魚達が昇天し、何だかポッカリと心に穴が開いてしまった気がする。命あるものは必ず死ぬのが運命なので、いつかはこの時が訪れるのは判ってはいたのだが、あんな小さな生き物でさえ生きていた命が絶えると言うことは偲びがたい事である。合掌!

2010年8月7日土曜日

灯篭流し















夕方飯を終えてから、峠の向こうの夏祭りに行く。峠の向こうって言ってもバスで3分なのだが・・(歩いても15分)。夏祭りの楽しみと言ったら花火以外は食うことなので、氷を食って、とうもろこしを食ったら腹いっぱい、腹ごなしにプラプラ歩いていると、灯篭流しをやっていた。女房が子供に「死んだ人が天国に行くまでの間の49日目、三途の川を渡るのに灯篭に乗っていくのよ、渡った先は天国でその後は何に生まれ変わるかわからんねん」と言った後、「ホンマかいな、まあそんな話やったと思う」やと。まことしやかに言うものだから、子供も一緒に、一同苦笑!「まあ仏教行事には違いないから、エェんでないの?」とオヤジも似たようなものだが、、、。信心深い仏教家からしたら呆れてモノもいえないだろうが、私の実家は代々の真言宗の寺の檀家である。まあ子供心には夏の灯篭流しの思い出ができたからエエとしとこか、。