2011年3月20日日曜日

Fukushima Fifty

これは天災やなしに人災。
危機感のない隠蔽体質の東電と指導力がないのに下手なパフォーマンスだけは得意な日和見菅政権の。
放水で放射線に曝される自衛隊員に太平洋戦争時に戦地に駆り出された旧軍の兵士と同じ哀しさを感じてしまう。
「国、国民を守るのが自衛隊の任務」と防衛省幹部は言ったとか。
当たり前やけど彼らの評価は上がるだろう。
警察も消防も同様。
それに対して政治家の覚悟が聞こえて来ない。
民主も自民もその他も。
所詮、烏合の衆や利権政治屋ばかりやからな。
これに乗じて落ち着いたら改憲とか言い出す奴もいるやろな。
自衛隊認める為には9条改正も必要になるけどな。
最前線で命を張って阻止している彼らに比べれば微々たるものかも知れないが、今、被災地に向けて自分が何を出来るのかが問われている自分自身を含めた国民全体に対して。

Imagine

首都圏には放射能が降り注いでいる。
「僕らは薄着で笑っちゃぅ」あれは清志郎の歌だったか。
北風が吹けば首都圏に飛び、南風が吹けば被災地に飛び、雨が降れば「黒い雨」。
東電の隠蔽体質と危機管理能力のなさも呆れるが、命を賭けて取り組むと行った菅直人はなぜ現地で指揮を取らないのか?
結局、皆がゲバ棒振り回していた時代から「危うきに近寄らず」で「調整役」と言えば聞こえは良いが、日和見と下手なパフォーマンスで来ただけのリーダーシップのなさが露呈しただけ。
毎日の様に「報道」にかこつけた番組が繰り広げられているが東京のスタジオで好き放題言っている奴等こそ電気の無駄づかい。
本当に必要な情報は教育テレビとラジオ第一放送でしかやっていない。
そんなこんなを「我欲の天罰だ」だと言った独裁爺ぃは、自分のクルーザーで公私混同の海外視察を繰り返した我欲の塊。
もし神が居たならば本来はこんな奴にこそ天罰が下るべき。
と、こんな事を言っている私自身も偽善者。
言っているだけで何も行動を伴っていない。
出来るのは義援金を出すくらい。
自己嫌悪すら覚える今日この頃。