2007年3月10日土曜日

21年目の復活_低山徘徊パート3

 
 
 


先週7㎞歩いた後、流石に気になって息子に「山登りは楽しいか?」と聞くと「面白いよー」と返事が返ってきた。
まあ4歳のちびっ子なんで、ただ親父と遊べるのが好きなのか、或いは山登りの後の電車に乗れるのが目的なのかは解らないが、(多分そのどちらもだろうが)、とは言えただ一方的に親父が自分の道楽に子供を巻き込んでいるワケでは無いみたい。

で、この日は以前から気になっていた近所の森に行くことにした。
アプローチは歩いて20分程度なので、家から歩いて行こうと思ったのだが、女房が車で送ってくれると言うので甘える事に。。。
エコな道楽だと自画自賛している癖に、しっかりこんな所でエコな精神がエゴに満たされてますね、、ヘヘッ(いやぁ反省)。

で朝の10時過ぎに森に入る。歩き始めはそのまんま林道、日本のナショナルトラストの発祥とも言われている(らしい・・)のこの森だが、周囲は全く首都近郊の住宅街だけに、その中にあってこの光景はやはりちょっと変わっている。

地図も正確なものが無いので、この森の保護団体http://www.hiromachinomori.org/が出しているコピーの地図を持参して歩き始める。野原の様な場所を過ぎ、道に迷いながら中には本格的な山登りルートももあって自宅の裏山(の近く)にこんな場所があるとは思わなかった。
湿原あり、かなりでかい倒木が倒れた箇所もあったりとルートは七変化、最後は急登で上の方がかなりがけ崩れを起こしているコースも合って尾根沿いに出ると海が見えた。(ここはドラマロケ等にも多々出てくる海沿いの超有名な住宅地である)

けどここから他所様の家の庭を横切ることなくコースから脱出するのに手間取り、ひょっこり他所様の家の前に出て森を脱出出来たのが昼の12時半。当然、ここまで文句言わずに一緒に歩いてきた息子の目当ての「えのでん」に乗って帰途に向かうのであった。
総歩行距離:約2.5キロ(多分???)

2007年3月3日土曜日

21年目の復活_低山徘徊パート2

 

 



春霞、やや曇った朝9時半、やや遅めに近所のえのでんの駅まで車で送ってもらう。息子と海沿いを走る電車に乗って本日の低山徘徊のスタート。鎌倉駅から八幡様の境内を横切り、鎌倉宮に向かう途中で源頼朝公の墓に寄る。頼朝さんて遠慮深いのか、人徳が無いのか(そのどちらもあるのだろうか?)征夷大将軍の癖に墓が思ったよりも小さい、徳川家康とはえらい違い!

鎌倉宮で見つけたのは何と桜?(これ絶対桜やろ!)、地球温暖化は影響がここそこに!本当に心配になる。
自らを電車に模して「ぶぅーん」と奇異な音を口ずさみながら歩く息子と梅の名所と言う瑞泉寺へ行くも、既に梅は散り始めていた。

ここから本格的な山登りになる。岩むき出しの急登が続く。
やがて暫く歩くと尾根筋、この「北條家」と書かれた石標は旧いのか新しいのか?まさか鎌倉時代からここに立っていることは無いだろうが、、、。
瑞泉寺ではかなり悪かった天気も青空が見え、概して歩きやすい道が続いた後にこんな急登が待っていた。
この急登を抜けると「天園」と言う魅惑的な地名、峠の茶屋があり昼から缶ビールを傾けているオッサンの姿も、、、。
で、ここを過ぎれば鎌倉市最高峰の太平山なのだが、何と何故か尾根筋の道の右手には無粋な光景が、、。
岩ゴツゴツの太平山山頂の横はでかいゴルフコースのクラブハウスがあったのだ、流石に鎌倉最高峰なんで反対側の眺めは春霞でも由比ガ浜や稲村ガ崎まで見渡せ良い景色なんだけど、あの急登の苦労の後にあのゴルフコースとクラブハウスは見たくなかったな。

大平山の山頂でオニギリを食べてお昼とする。ここから先は多少、足場の悪いガレ場もあるが大体は尾根筋を歩いている内に、前回も歩いた尾根道に合流。十王岩から勝上献に至る途中で北鎌倉駅方面に下りる近道を見つけたので、息子に先導させる。
落雷で折れた大木とかを見ながら、下り続けた底から今度は最後の登り、しかも階段の急登。
今日はここまでかなり歩いたのだが、この急登が一番辛かった。

ここから先は住宅地を抜け、明月院の脇を抜け、もう歩けないとぐずる息子をなだめすかして北鎌倉駅に15時前に到着。

総歩行距離:約7キロ