2013年7月10日水曜日

誰か故郷を思わざる

7/8(月) 誰か故郷を思わざる

昼からお世話になった老人ホームに挨拶に行く。
昨日、葬儀にも来て下さったケアマネージャ、施設長、父の様子がおかしい事に気づいて病院に送っていただいたヘルパーさん、良くお話を聞いてくれていたヘルパーさん、皆様に御礼を言い、父の遺した品々を回収する。

入所時から色々とお世話頂いたケアマネジャーさんのお話では、入所時、中々ホームの雰囲気に馴染めなかった偏屈な父が、最近はホームの方々に徐々に心を開いていたとのお話をお聞きする。

今年に入ったある日、勧められて父が歌った「誰か故郷を思わざる」

作詞  西条八十
作曲  古賀政男

1.花摘む野辺に  日は落ちて
      みんなで肩を  組みながら
      唄を歌った      帰り道
      幼馴染の        あの友この友
      あぁ 誰か故郷を思わざる


 

 


7/7(日) 葬儀

来て頂いた方には、本当に心から感謝します。
父は骨となって15時過ぎ、家に戻る。
17時前に兄の義母、義姉、姪甥帰途に着き、寂しくなる。
急に家の中が寂しくなる。
両親を失うと言うことは、拠り所を失うと言うこと。
今日、一つの夫婦の物語が終わり、一つの世代が終わった。

7/6(土) 通夜

金曜日の晩、滋賀県から兄の嫁さん(お姉さん)、兄の義母が到着。
この日の朝、姪っ子、甥っ子が一緒に到着。
皆が揃い、父の思い出話になり気が紛れる。
昼過ぎ、納棺。
午後三時出棺。
いよいよ父がこの家を離れる。
18時から通夜。
母方のオジ達が揃い、昨年の母の葬儀から一年経たない間に、再会するとは思わなかったとお互いに挨拶。
この日は兄と神戸のおじさん、西宮のおじさんの三人が父の傍に泊まる。

2013年7月5日金曜日

父逝去 2013/7/5

平成25年(2013年)7月5日 午前11時58分。

実父逝去。

肺炎による多臓器不全。
享年87歳。

学徒動員で徴兵され一兵卒として戦火をくぐり抜け、敗戦は高知の山中で迎える。
戦後は鉄鋼会社で昭和の猛烈サラリーマン。
家庭では関白亭主であり、頑固親父だったが、何故かいつも熱狂には冷めた偏屈な親父。

麻雀と酒と煙草が大好きで、野球は南海ファン。
しかも野村ではなく鶴岡監督のファン。

今日は朝から会社に居たが、兄からの訃報を受け、午後から休んで、今は新幹線の中。

どう言い表せば良いかもわからない、ひどく虚しい気持ちで、気を紛らすために麦酒を飲んでいる。

今頃は旅の空だろうな。
約一年前に急逝した母に逢えたら良いな。オヤジ。
今まで本当にありがとう。

幾ら感謝しても感謝し切れない。

2013年7月3日水曜日

父の最後の闘い 1

2013//7/3(水)

朝、6時半過ぎに横の病床で寝ている父の呼吸が変わる。
ゴロゴロと痰が絡んでいる様子。
ナースコールで看護師に来てもらい痰を吸引するがうまくいかない。
何度かチャレンジしたが、余りうまく取れなかった。
7時半過ぎになり、一旦、実家に帰る。
大雨が降るとの予報だったが、外は腫れている。「晴れの国岡山」やなぁ。
朝食を食べて、仏壇のご先祖様たちに今日一日の父の無事をお願いし、実姉と共に実家を出る。
10時半過ぎに病院に着いたら、既に実兄が来ていた。
父の容態は相変わらずだが、血圧、心拍数、酸素共に安定している。
実兄が大きな声で父を呼ぶと、若干つぶっていた目を開き、分かったような表情をする。
頑張れオヤジ。
朝から気になっていた、父の喉のゴロゴロだが、吸引の上手な若い看護師にやってもらったら、あっという間に終了。流石、プロは違うね。
いつの間にか、外は雨。
取り敢えず、東京に持って帰るものを取りに実家まで兄の運転するレンタカーで帰り、15時半過ぎにJRに乗る。
九州地方の大雨がの影響で、新幹線は遅れていたが、品川に着いた時には、遅れを取り戻していた。20時過ぎに芝浦庵に帰投。

つづく