2008年12月21日日曜日

冬至に思ふこと

朝から女房が「春の風やわ。南風。変なの」と言って新聞を持って家に入ってきた。二階のデッキから外に出てみる。海のほうから山一つ越えて吹いてくる生暖かい南風。やはりこの季節に異常だ。一昨年位から、11月まで半そでで過ごせる程、夏が長くなっているのを肌で感じていたが、遂に今年は年の瀬の押し迫った師走の終わりにまで異常な暑さが続き始めた。本来であれば初冬の真っ只中である。通常の気候なら吹く風は北風、太陽は弱々しく存在感を無くし、所謂木枯らしになる筈であるが、全くそんな気配は無い。時間が経ち、日が高くなるにつれ日差しがまぶしい。これも二年程前から感じていた事であるが日の光が以前に増して何割か強くなって来た気がするのだが、そんな事を感じているのは私だけでは無いと思う。午後に所用で歩いて外に出れば、近所の観光地に向かう車の長蛇の列。閉め切った窓の中は果たして冷房が効いているのか、暖房が効いているのか?いづれにせよ、渋滞待ちで延々アイドリングでエンジン掛けっぱなしと言うのは考えた方が良いだろう。温暖化と聞いていつも私はビーカーの中で熱せられる蛙の話を思い出す。蛙は段々暖かくなっていくビーカーの中で温泉気分に浸っていたのもつかの間、やがてビーカーの中は熱湯になりやがて昇天してしまうと言うあの話だ。今は人類は熱せられている最中なのだと思う。錬金術拝金資本主義の破綻した世界の温暖化ガス排出国家米国が発端になった金融破たんから、巡り巡って日本のクルマ産業に大打撃が及んでいる。毎日、毎日自動車産業の派遣切りの話を聞かない日は無い。この年の暮れに住む所も無く路頭に迷う人は本当に気の毒ではあるが、その格差是正や失業対策を考えるのも政治なら、それを機に社会全体を自動車産業から他の産業、できればそれは石油社会からの脱皮を図る新エネルギーへの経済全体の方向性シフトを考えるのも政治の役割だ。渋滞の長蛇の列のクルマを見て、例えば2010年から全ての自動車メーカーは電気自動車しか売れないとか、全ての一次エネルギー供給会社はどんな田舎に至るまで電気スタンドを一軒は整備しないといけないとか(まあこれらは極論だが)そんなドラスティックな事をやらなければ、この問題は解決にシフトできないので無いかと言う思いを強くした。この妙に生暖かい冬至の日は、既に人類の破滅の始まりであるのであろうが。