2012年7月15日日曜日

Weekly Blog 2012/7/8-7/14

2012/7/14(土)

朝から実姉と、昨日腸炎で入院した父親を見舞うため、まずは海沿いの老人ホームに行く。父親の自室の荷物から入院生活に必要な物資を選び、施設長に改めて御礼を言う。エレベータ前にいつも座っている爺さんが、「お父さん何処行かれたんじゃが?」と言うので、「入院してるんですわ」と答えると、「親父さん元気ねぇのう。大丈夫けぇ?」と励まされる。言い得て妙。確かにここの施設に来る前から、そして来てからも元気はない。母親の入院から三ヶ月近く。会えずに寂しい思いが父親の生きる気力の萎えにも繋がっている様に思う。荷物を持って、入院先に向かう。元気のない父親は、ベッドに無気力に座っており、朝食は食べたか否か聞いても定かではない。ちょっと不安。認知ではないと思うが、、、。荷物を置いて、身の回りを整理して、不足物資を実家に取りに行き、またもや老人ホームに寄ってと大忙し。昼過ぎに漸く父親の入院先から移動を開始。倉敷で一番大きな病院に母親を見舞いに行く。ICUに人工呼吸器を付けられている姿はいつ見ても可哀相で、悲しい気持ちになるが、急報を受け最初に見舞った木曜日に比べると血色が良く、肌のツヤも出てきた。本人の意識も明瞭で、実家の庭が荒れ放題だったと実姉が伝えると、シルバーセンターを筆談で紹介してくれるほどの快復ぶり。本人は今、一般病棟に戻ることを第一の目標として頑張っている。逆に私が勇気づけられる。ICUなので一時間も見舞えず、岡山駅前にまでレンタカーで移動し、16時過ぎに岡山駅で遅い昼ごはんを食べて、川崎N700RRに乗った所で姉と別れる。20時前新横浜着、22時半過ぎ自宅へ帰投。

2012/7/13(金)

会社を休む。この日に会社で出るはずであった「しょうもない会議」の音頭取りを「MRT君に任せてごめんなさい!」と起きて早々にMRT君にメール。朝の遅い時間に、実父の居る施設から電話。実父が朝からご飯を食べない、下痢、嘔吐、血圧が異常に高いとのこと。実家から急いで海沿いの老人ホームに行き施設長に話を伺う。実父に様子を聞くと「腹が痛えんぢゃ」と訴える。何度も下痢を繰り返しているので、施設長とも相談し、つい先日まで入院していた病院に様子を見せに行く。レントゲン、心電図、採尿をしてその日の若い担当医の下した診断は「ひどい脱水と、腸炎」。しかしながらこの若い医師は「高齢でもあり、一旦バランスを崩すと、取り返しのつかないことになる可能性もある。入院を勧めるが、その様な覚悟も持たれたほうが良い」とのアドバイス。ハッキリとモノを言うこの若い担当医に、医師としての使命感と好意が持てた。そして実父は再入院。腹が痛いのに「あの旨い寿司が食いてえがぁ」と抵抗する実父を「退院する時にまた食べに行こう」となだめてなんとか事なきを得る。時間は既に17時。レンタカーの返却が18時に倉敷駅前なので、途中で実母を見舞う姉を病院前で下ろして、18時過ぎに倉敷駅でレンタカー返却、岡山駅に移動して他のレンタカー会社で軽四輪を借り直し、またもや倉敷の病院に移動し見舞い後の姉をピックアップ。実家帰投21時半。

2012/7/12(木)

寝台特急で岡山着6時半着。在来線乗り換えで倉敷着7時丁度。タクシーで先行して病院の契約施設に泊まっていた実姉に半年ぶりに再会。母親の昨日の状況を聞く。そうこうする内、12時前に漸くICUでの面会が許され、母に会う。人工呼吸器を付けられ、栄養も経鼻、経動脈。見るからに痛ましい母親の変わり果てた姿に思わず涙が出てしまった。が、母は強し。意識は明瞭で「良く来てくれたなぁ」と涙ながらに、苦しい息で声を振り絞って訴える。不覚にも子供の様に泣いてしまった。ICUでの面会時間は短いので、明日も来ると母親に伝え、待合室で作戦会議。四輪車がないと生活できない土地柄なので、倉敷駅前のレンタカーを携帯から予約して車を取りに行く。14時前から実父のいる老人ホームに移動。実父は漁港側の食堂で一人、何をするともなく車椅子に座っていた。「来たよ」と言うと「何しにきたんじゃ?」とつれない返事。偏屈で寂しがり屋で、我儘な実父なので、 これも子供に対する愛情表現なのだろう。父親の自室の身の回りを整理するも、この暑いさなかに寒がるので、窓を閉め切ると今度は暑い。熱中症の危険があるので父親に伝えるも、話を理解できていない。困ったものだ。 施設のヘルバーの方々もこの偏屈老人には手を焼いている様子。帰り間際に施設長と話をしてその事を実感した。この日は久しぶりに実家に泊まる。

2012/7/11(水)

朝から関東の僻地へ。重鎮Mさんと伝承ドキュメントの最終形の話をしに行く。委託先業者のMさんではあるが、今のところ、基礎技術が重要であるとの私の持論の唯一の理解者である。昼過ぎに都内の事務所へ移動。都内事務所を19時前に退社。電車に乗って帰宅途中、母親の検査に立ち会っていた姉から「母親の容態急変、集中治療室へ運ばれた」との報せを受ける。こちらから電話を折り返し様子を聞くも、意識も薄らいでおりいよいよ危ない様子と判明。この時既に時間は20時半。病院のある倉敷までだと、新幹線での移動は既に無理と判明。だが自宅に一旦寄ってなどの余裕が有る様には思えない。一か八か「みどりの窓口」で寝台列車の予約状況を聞くと一席だけあるとのことなので、幸運にも唯一残ったその席を押さえる。22時20分。着の身着のまま、横浜から寝台列車の人になる。

2012/7/10(火)

この7月から、どれだけ残業しても、残業代は30時間台後半で固定の裁量労働制となった。しかもこの時期は社内サマータイムも実施しているので17時過ぎには定時となる。が、明日の資料が間に合わず19時過ぎまで会社にいた後、MRT*2、HRM達が飲んでいると言う店に行く。結局今日も酔っ払い。23時過ぎ自宅着。

2012/7/9(月)

久しぶりの東京。何だか気分が乗らない。やはり関西の方がモチベーションが保てる気がする。節電効果のほどが定かではない社内サマータイムのため5時半過ぎに起きて、いつもより30分早く出勤。報告と来週水曜日からの第二フェーズスケジュールの作成でほぼ一日費やす。休肝日。