2012年9月1日土曜日

Weekly blog 2012/8/24-2012/8/31

2012/8/31(金)

朝から実家の清掃、昼前に実家を出て児島の天満屋にペットボトル等のリサイクルに持っていく。そのまま天満屋で昼食。今回の届けの本籍地の記載間違いを修正に役所に行き、その後父親を見舞う。一人残された父親はやはり「寂しいな」という言葉を連発している。そりゃあそうだ、六十年間連れ添ってきた母親に四ヶ月会えず、そのまま、この世に居なくなってしまったのだから。父の気持ちは良くわかる。それだけに、何故、母の闘病中に会わす事が出来なかったか。どう転んでも、その結果に対して子供として後悔することは解っていたが、現実は非常に残酷だ。午後3時半すぎ、父親を1人残し老人ホームを出る。母の入院先に程近い倉敷のレンタカー会社にレンタカーを返却し、岡山に移動。16時49分発のぞみにて兄や姉とは別れそれぞれの自宅に帰ることとする。母の位牌は、四十九日まで暫く実兄の家で皆に供養をして頂く事となる。特典を使って乗ったグリーン車の窓から見える晩夏の夕暮れの景色は、名古屋を過ぎたあたりでどっぷりと暮れ、満月が綺麗に顔を覗かしていた。

「母偲び 窓を見る瞳(め)に 晩夏(なつ)の満月」 煩悩

一生に一回しか来ない今年の夏は、楽しむはずが、悲しい気持ちで暮れて行く。子供として最後に母に恩返しが出来たのだろうか?

「逝きてなを 人惹きつける 母は向日葵(ひまわり)」 煩悩

永遠に解決しない疑問を胸に、この夏も今日で本当の終わりを迎えた。

2012/8/30(木)

朝8時には父の唯一の妹である叔母さんが訪ねてきた。世間話の間に9時になり、約束通り菩提寺の僧侶が一人で現れた。本日は初七日なのである。先週金曜日に母が他界して、もう七日が過ぎたということが信じられなかった。実家は真言宗なので最後におかんきと言う経を皆で唱え公式な行事は終了。叔母には兄が父親の連絡先を教え、供物を分けて持って帰っていただく。昼前に今度は墓石屋が来て、実兄は実家の裏山にある墓地にて石への字入れと位牌の字入れなどの打ち合わせに行く。午後になって役所に行き年金関係の諸手続き、母親名義の貯金の金融機関の口座凍結、相続関係の処理のための戸籍謄本や印鑑証明などの発行申請を行う。相続は全て、一人残された父に託すこととする。昼二番で父親の所に行き、今後の相談。母親が辛い闘病の初期の頃に、これまた離れた所で入院していた父を想っていた気持ちを書いていたことを話すと父は少し涙ぐんだ。一昨日とはうって変わりだんだんと落ち着きを取り戻しつつあるようだ。一昨日の一件は、父なりに母親に先立たれた不安や不満の感情がああ言った形で出たものでないかと思う。

2012/8/29(水)

お香典の集計、弔電の集計などでほぼ終日。母親名義の口座は既に凍結に係っている事を知る。何が必要なのかを金融機関に聞きに行き、父の見舞いに行くと日が暮れた。

2012/8/28(火)

早朝まで寝ていない。夜中じゅう、父は30分おきに「便所に行きたい」と言い、連れていけば「何も出ない」の繰り返し。言ってはいけないと思いながら、余り頻繁に便所に行っても出るものも出ないと説教する自分の姿があった。兄も同じ思いだったろう。だが、そんな事も構わずに便所に行きたいと繰り返す父親の対応は夜明けには専ら実兄が対応してくれていた様だ。朝食後、父をホームに送り届ける。その後は、お香典の集計、弔電の集計などで時間がかかる。その間にもちらほら近所の方々が母を悼むために訪問してくれる。母が生前、多くのご近所の方に本当に親しまれていた事を改めて感じる。弔電の数は半端ではない。夕飯を食べたあと、姉が昨日から読んでいた母の日記を読み始める。最初の日記は1995年くらいから毎日書いていた様だ、今年に入って遂に書けなくなった7月初旬まで、辛抱強く毎日日記を欠かさず書いていた。 その内容の主なものは、元々体が弱かったためか、自分の体調、父親の体調の心配、そして子供たちの様子である。読んでいると毎日毎日、三人の子供達よ幸せになってくれと書いている。いつもいつも母親は自分たちのことを思ってくれていたのだと思い胸が詰まる。また日記以外にも入院中のメモがかなりある。そしてその中に、今年の5月3日に書いた、父宛のラブレターを発見する。遠く58年前に父と出会った時のことから、克明に思い出が書かれており涙なしでは読めなかった。いつも父親に理由もなしに文句や愚痴を言われ、耐え続けていた姿を見慣れていた私たち兄弟にとっては、これは意外な事実であった。父親を心の底から愛していた母。そしていつも子供たちには優しかった母。もっと親孝行が出来たならと、今になってそう思う。

2012/8/27(月) 母の葬儀

朝、起きて空を見上げ、母に呼びかけている自分がいる。未だ実感が沸かない。

出棺時には大泣き。

棺の中に、母親の好きだった花々を沢山入れてあげた。

「晩夏(なつ)の日の、天高き空に、母送る」 煩悩

2012/8/26(日) 母の通夜

五人の弟の長女だった母親の、若くして亡くなった一番上の弟さん以外の伯父さんは全て来てくれた。賑やかな通夜は母も喜んでいることだろう。

2012/8/25(土) 

午前中に、兄方の義姉、姪、甥、兄方の義理のお母さんが来てくれた。母の四番目の弟さんは西宮から、その下の五番目の弟さんは讃岐からそれぞれ来てくれた。夕刻には、海外出張を繰り上げ、実姉が泣きながら帰ってきた。賑やかになった通夜は、母が父と結婚した頃辺りのアルバムを皆で取り囲み、母の思い出話に花が咲いた。明るいのが好きな母はきっと傍らで聞いていて、喜んでくれたものと思う。