2008年1月4日金曜日

憂鬱な年明けに思う抱負

この正月休みは憂鬱な気持ちで一杯であった。九日連休が残りわずかになったから憂鬱なのではない。
暑すぎるのだ!そう文字通り「暑すぎる」のだ。一月なのに三月下旬とか四月上旬とかの陽気と気象予報士は平気な顔をして言うが。そんなの尋常な状態ではないだろう。異常なのだ!明らかに異常なのだ!異常だったら異常だと言うのが「世奉仕」ってもんぢゃないだろうか?
今日も子供を公園で遊ばしたのだが、この奇妙な「真冬の暑さ」の中で何の疑いも無く、何の不安な表情も見せずただ只管遊んでいる子供達を見ていると、彼らの世代をそして彼らの次の世代までずっと「気候大変動に起因する生きるための略奪の無い人間社会」(既にそれは崩壊し始めているが・・・)を継続させるために、もっと我々は今のこの気候大変動を真剣に自分達の解決すべき課題だと認識し行動を開始しないといけないと痛感する。
目先の利益や権益、安楽さを追いかけるが故に、我々の世代で平和な人間社会を崩壊させてしまうのは、子供達の世代に対してあまりにも無責任である。
その意味で左右の対立が無くなった現代において、環境問題は新たな政治的対立軸だと思う。突き詰めて言えば「化石燃料システムを使いつづける側」と「化石燃料システムから脱却を図る側」の対立だ。が、前者の先には明らかに石油メジャー系利権に群がる米系政治屋、原油成金であるアラブ産油国を筆頭とした「化石燃料システムを使い続けさせる奴等」の存在があるだろう。未来を見ようとしない目先の石油利権にしがみついた奴等の近視眼的世界観に騙されて、このまま人類は「じわじわと熱せられるビーカーの中の蛙」の様に滅亡の一途を辿る事は許されない。そう考えればその原油資金をバックにしたアルカイダもいわば同じ穴の狢ぢゃん。行動のベースを石油利権に置いた者同士の仲間割れに、人類が皆引きずられている余裕はもうない。
化石燃料システムからの脱却は産業革命時代の石炭から石油への移行が出来た人類にとって難しいことでは無い。仮に化石化燃料間の移行だったと考えても、動力機関の形態が全く異なったシステムになった事を考えると、やはり難しいことでは無い。人類にとって水素エネルギーの利用は必須だろうが、課題は液化水素自体の危険性よりはむしろ、社会インフラの充実化だろうか?と思う。
そして、今年は自身の仕事を通じて「大規模化石燃料システムからの脱却の実践」を図らねばならない。また、今年の自分自身のキーワードは「足るを知る!」だ。
道楽でどうしても「化石燃料システム」(いわば内燃機関)を愛するエゴイストのオイラであるが、自らのエゴをエコに変革すべき年にしなければと真剣に思っている。