2007年9月23日日曜日

鯔の詰り

下期から単身赴任がほぼ確定。今まで湘南と兵庫の山奥の間を出張で対応していたが対応しきれなくなった。まあ会社としてはドサ手当てばかりで対応するより、月一回しか帰れない単身赴任手当てで対応した方が安く上がる等々様々な理由は有るだろうが、端的に言えば「人がいない」って事。もっと言えば鯔の詰りは・・・きちんと「組織としてあらゆる職種の人材のスキルセットをしておかなかったツケが回ってきたと言うこと」とちゃうんかい?と思う。連休初日の昨日、家族会議を開き女房の了解は得たのだが、何処に住むのか?生活費をどうするか?(財布を分ける?小遣い制のまま?)等々やってみなければ解らない点が多い。鯔の詰りは「単身赴任はやはり家族への皺寄せが一番大きい」と言う事。今までも単身赴任みたいな生活だったとはいえ、これから先を考えると半年が憂鬱である。

2007年8月23日木曜日

企業内ホームレスなのだ!

8/20(月)朝6:50に湘南の自宅を出て都内某所の事務所に出勤してから着の身着のまま。結局その日の内に仕事が終わらず翌朝3時に漸く一段落。昼から何も食っていない状態で一時間自席で座って仮眠を取っただけ。で、朝6:00発、希望の無いこの国の「のぞみ」一号で大阪に向かう。大阪の事務所で午後約5時間半の会議が終わって、またもや指摘事項を修正したら、日付は変わって水曜日の未明3:00であった。夜の夜中に開いている24時間食堂で恵比寿を一缶飲んで、その日は会議室をねぐらにして四時間の睡眠。これじゃぁまるで企業内ホームレス!で水曜日、またまた昼飯も食えず午後にまた約5時間の提案会議に嵌って、漸く帰りの「のぞみ」に乗れたのが20:00。で、漸くの夕飯が駅弁。月曜日家を出てから三日間着の身着のまま、異臭を漂わせながらも家にたどり着いたのは23:15。漸く落ち着いて自宅の寝床で眠るのにここまで64時間10分。

2007年8月18日土曜日

夏休みの思い出として
















予てから招待券を貰っていたお台場の未来科学館に息子を連れて行く。招待券と言ってもBMWが開発した水素動力機関の販促を兼ねた未来館の催事のタダ券を、たまたま良く行くバイク屋で偶然貰ったものなのだが、まあ夏休みの折角の思い出を兼ね息子を連れて見に行くことにする。で、新橋から「うみほたる」に乗って未来館に向かう。

















まずは、お目当ての水素動力機関のコーナーへ。BMWの宣伝の匂いプンプンなのだが、けどこの先、地球温暖化で車社会が生き残るためには水素燃料への早急な移行が必要だとは本気で思う。小手先の解決にしかならないハイブリッドやバイオエタノールなんかより水素社会への移行が必須だとも思う。それだけにBMWや松田の水素エンジンには期待している。課題はやはり液化水素燃料を保管し移動する為のタンクだ。バイクも早く水素難燃機関のバイクが出れば良いと思うのだが、、、課題は多い。

















ところで、未来科学館には初めて来たのだが、生物科学から地球科学、そして物理学、工学、ナノからミクロまで、人文科学以外のあらゆる科学の詰まった博物館であった。水素機関を見た後は、他のフロアへ、こちらは深海探査船「しんかい」の実物。
畳一畳程のスペースに寝転んで何時間も潜って探索をするらしい。フィールドワークと言うのは本当に大変だ。
















この日、一番息子が興味を持ったのがASIMO君。夏休みなので特別公開(演?)をしていた。ASIMO君が走る所なんぞ、子供たちは目を輝かして見ていた。未来科学館には全く前知識無く来たのだが、なかなかここは面白い!息子がもっと大きくなったらまた行くつもり。

2007年7月23日月曜日

忘れないウチに書いておく

筆不精だが、年初にまとめて読んで忘れかけていた記憶を半年後に遺して置く。 歴史の汚点を忘れたかの様な動きが高まる中、あの戦争を記憶から葬り去ってはいけない。
















「昭和史」1926→1945 半藤一利著 平凡社

半藤一利は初めての作家。文春上がりなので保守論客だろうと構えて読んでいたのだが、実は至極リベラルな人だった。この人も戦中派だが、大体あの頃を経験した人達が多く鬼籍に入る中、遺された時間で少しでも多くの「歴史の真実」を後世に遺して行って欲しいと切に願う。話が逸れた。日中事変とかノモンハン事件とか、戦争なのに「戦争」と言わず「事件」だと我々が習ってきた様に、自国の負の歴史を改竄することが、最大の自国の歴史への冒涜であると言うことを、リーダーシップが無く改憲しか頭に無いボンボン宰相以下、戦後生まれの保守政治家は知るべきである。







「十七歳の硫黄島」 秋草鶴次著 文春新書

細々と電気設備業を営む著者の現況を書いたあとがきを読み進むうち、不意に涙が止まらなくなった。生まれてこの方「あとがき」を読んで涙を流したのは実はこの本が初めてだ。群馬県の農家から海軍に入隊、その後通信兵として出征、赴任地は硫黄島。通信兵と言う特殊な職務上前線には出ず、只管後方でつぶさに見て書いた(描いた)記憶。米軍の大量の物量を以ってする上陸作戦に翻弄し、蟻の巣の様に張り巡らせた壕は友軍を受け入れる余裕すら無いと言う現実を知り、やがて米兵の上陸を眼前にし、玉砕の突撃命令が出て突撃の瞬間に手指を吹き飛ばす少年志願兵。そこからの「生きていたい」と言う彼の生への執着が、執拗で凄惨な敵の「あぶり出し」により地獄と化した壕の中で堪え、やがて捕虜として一命をとりとめる。涙が出たのはそんな戦争の記憶の上に、今の著者の平和な日常を思った時に不意に出た。平和な時代を生きていると言うことは本当に素晴らしい。人間一人ひとりに生きる権利は有り、国家に蹂躙される生などあってはならないとあとがきを読んで改めて思う。

2007年7月15日日曜日

台風一過

梅雨も明けやらぬ間に台風が来る。しかもこの夏最大級の台風。
と、聞いて前夜から内心ドキドキ。
二年ぶりの台風、どうなる事やらと気が気でない。
しかも、その台風通過中の最中に昨日封切で息子が「連れて行け!」と言って止まない
映画に私が連れて行くことになり、大雨の中、茅ヶ崎までクルマを走らすことになる。
その間にも台風が大荒れで大変なことになっているのではと思いながら二時間。
映画館を出て来てみると、すっかり雨は小止みに・・・
夕刻になると台風の目だろうか、、晴れ間も出た。

結局、進路はより東側を通ったので直接この地方には来なかった様だ。


いつもと違い、雲がせわしなく海上の台風を目指して流れていく様を何となく撮った一枚。

2007年4月8日日曜日

放棄

神奈川県でも知事選挙と県会議員選挙が行われたが、今回は20年前に権利を貰ってから初めて投票を放棄した。
環境問題、憲法問題、教育問題、格差問題、税金問題、まあ国政も県政も問題は山積み。
これからの子供たちの未来も考えると、当然棄権や放棄は本意でない。

だが、それでも行かなかった理由は、、、、。
選ぶ人がいない。
ただそれだけの理由。

県知事候補なんか与党系も野党系も変わらんじゃない。
かと言って他方の誰も入れないだろう人に投票して、抵抗票だと言っても自己満足だしね。

首都の知事に決まった爺ぃは、当確でまた吠えているが、こんな勘違いの地方独裁者を増長させてしまうのは我々の様な投票にも行かない無党派層なんだろうなと言うのは百も承知。
それでも行きたくないのだから仕方が無い。

真昼間から寝て暮らした。

2007年4月1日日曜日

花見で見る夢にうなされる


漸くと言うかあっという間と言うか兎に角、暦の上では4月。家から見える近所の山肌にもソメイヨシノが満開。朝から息子を連れ娘を負ぶって近所の公園に花見に行く。既に先週辺りから咲き始めていたが、恐らく今週が開花のピークだ。例によって今年のこの異常気象、1~2月の暑い暖冬と3月にぶり返した寒さ、そしてこの所の猛暑の春ですっかりサイクルが狂っている桜も山肌一斉に開花せず、まだら模様で咲いている。既に散りかけた木もちらほら見える。息子を遊具で遊ばせ、まだまだ乳飲み子の娘をベンチに座らせて花見をしていたのだが、何なのだこの暑さは。まるで蒸される様な暑さ。肌寒い位の季節が4月だと言うのに、木を良く見ていると陽炎の様な暖気流が見え春だからと思って着てきた木綿の長袖二枚にじっとりと汗が滲む。見上げると生命の誕生には欠かせない太陽がギラギラと眩しく照りつけている。公園で遊んでいた小学生くらいの男の子二人が既に半袖で走り回りながら「本当に夏みたいに暑い!」と大声で話していたのが印象的だった。時たま吹く本来のこの季節の肌寒い風と中和した体感気温に無理やり春を感じようとしている自分に気づく。次の瞬間、気持ちの悪い暖かさに気分が滅入り、只管憂鬱になる。何も知らない息子はうんていにぶら下がり「怖い、怖い、落ちる!」と連発し、何も話せない娘は眼を合わす度に言葉にならない奇声を発しながら微笑みかけてくれるのだが、その光景を見て次の時代のこの星を背負って行くこの子供達に本当に申し訳ない思いがした。思えば80年代或いは90年代から急速に我々は二酸化炭素を増やし続けた。尽きることの無い金銭欲の為に本来地球上に存在する理由の無い商品を作り続けそしてそれを購入し浪費をし続けた。ひたすら異性の気を惹くためにクルマに乗り炭化燃料を無駄に燃やし続けたのは或る意味、性欲の昇華か?そして果てしの無い食欲のため、グルメと称し僅かばかりの舌打ちとのど越しの快感の為に、アジアのそして中米の、はたまた南米の森林を伐採し家畜の飼料の供給のみを考え続けてきたのだ。その内に人類は超えてはいけない一線を超えてしまったのだと思う。恐らく世間が世の中の終末だと騒いでいた90年末くらいが恐らく、均衡を保っていた正常化と異常温暖化のシーソーが異常温暖化に傾いたのだ!!・・・とうなされていた瞬間、娘の泣き声で桜の木の下で我に返る。眼がさめた。だが夢か・・と思う瞬間、暑い気温に夢でない不都合な真実を知る。地球温暖化とは我々の親の世代と我々の世代が背負った重く暑い十字架である。