2007年4月1日日曜日

花見で見る夢にうなされる


漸くと言うかあっという間と言うか兎に角、暦の上では4月。家から見える近所の山肌にもソメイヨシノが満開。朝から息子を連れ娘を負ぶって近所の公園に花見に行く。既に先週辺りから咲き始めていたが、恐らく今週が開花のピークだ。例によって今年のこの異常気象、1~2月の暑い暖冬と3月にぶり返した寒さ、そしてこの所の猛暑の春ですっかりサイクルが狂っている桜も山肌一斉に開花せず、まだら模様で咲いている。既に散りかけた木もちらほら見える。息子を遊具で遊ばせ、まだまだ乳飲み子の娘をベンチに座らせて花見をしていたのだが、何なのだこの暑さは。まるで蒸される様な暑さ。肌寒い位の季節が4月だと言うのに、木を良く見ていると陽炎の様な暖気流が見え春だからと思って着てきた木綿の長袖二枚にじっとりと汗が滲む。見上げると生命の誕生には欠かせない太陽がギラギラと眩しく照りつけている。公園で遊んでいた小学生くらいの男の子二人が既に半袖で走り回りながら「本当に夏みたいに暑い!」と大声で話していたのが印象的だった。時たま吹く本来のこの季節の肌寒い風と中和した体感気温に無理やり春を感じようとしている自分に気づく。次の瞬間、気持ちの悪い暖かさに気分が滅入り、只管憂鬱になる。何も知らない息子はうんていにぶら下がり「怖い、怖い、落ちる!」と連発し、何も話せない娘は眼を合わす度に言葉にならない奇声を発しながら微笑みかけてくれるのだが、その光景を見て次の時代のこの星を背負って行くこの子供達に本当に申し訳ない思いがした。思えば80年代或いは90年代から急速に我々は二酸化炭素を増やし続けた。尽きることの無い金銭欲の為に本来地球上に存在する理由の無い商品を作り続けそしてそれを購入し浪費をし続けた。ひたすら異性の気を惹くためにクルマに乗り炭化燃料を無駄に燃やし続けたのは或る意味、性欲の昇華か?そして果てしの無い食欲のため、グルメと称し僅かばかりの舌打ちとのど越しの快感の為に、アジアのそして中米の、はたまた南米の森林を伐採し家畜の飼料の供給のみを考え続けてきたのだ。その内に人類は超えてはいけない一線を超えてしまったのだと思う。恐らく世間が世の中の終末だと騒いでいた90年末くらいが恐らく、均衡を保っていた正常化と異常温暖化のシーソーが異常温暖化に傾いたのだ!!・・・とうなされていた瞬間、娘の泣き声で桜の木の下で我に返る。眼がさめた。だが夢か・・と思う瞬間、暑い気温に夢でない不都合な真実を知る。地球温暖化とは我々の親の世代と我々の世代が背負った重く暑い十字架である。