2007年7月23日月曜日

忘れないウチに書いておく

筆不精だが、年初にまとめて読んで忘れかけていた記憶を半年後に遺して置く。 歴史の汚点を忘れたかの様な動きが高まる中、あの戦争を記憶から葬り去ってはいけない。
















「昭和史」1926→1945 半藤一利著 平凡社

半藤一利は初めての作家。文春上がりなので保守論客だろうと構えて読んでいたのだが、実は至極リベラルな人だった。この人も戦中派だが、大体あの頃を経験した人達が多く鬼籍に入る中、遺された時間で少しでも多くの「歴史の真実」を後世に遺して行って欲しいと切に願う。話が逸れた。日中事変とかノモンハン事件とか、戦争なのに「戦争」と言わず「事件」だと我々が習ってきた様に、自国の負の歴史を改竄することが、最大の自国の歴史への冒涜であると言うことを、リーダーシップが無く改憲しか頭に無いボンボン宰相以下、戦後生まれの保守政治家は知るべきである。







「十七歳の硫黄島」 秋草鶴次著 文春新書

細々と電気設備業を営む著者の現況を書いたあとがきを読み進むうち、不意に涙が止まらなくなった。生まれてこの方「あとがき」を読んで涙を流したのは実はこの本が初めてだ。群馬県の農家から海軍に入隊、その後通信兵として出征、赴任地は硫黄島。通信兵と言う特殊な職務上前線には出ず、只管後方でつぶさに見て書いた(描いた)記憶。米軍の大量の物量を以ってする上陸作戦に翻弄し、蟻の巣の様に張り巡らせた壕は友軍を受け入れる余裕すら無いと言う現実を知り、やがて米兵の上陸を眼前にし、玉砕の突撃命令が出て突撃の瞬間に手指を吹き飛ばす少年志願兵。そこからの「生きていたい」と言う彼の生への執着が、執拗で凄惨な敵の「あぶり出し」により地獄と化した壕の中で堪え、やがて捕虜として一命をとりとめる。涙が出たのはそんな戦争の記憶の上に、今の著者の平和な日常を思った時に不意に出た。平和な時代を生きていると言うことは本当に素晴らしい。人間一人ひとりに生きる権利は有り、国家に蹂躙される生などあってはならないとあとがきを読んで改めて思う。