例の「負けたら切腹する!」と世界ランクでは大したことの無い次男坊が大口を叩き、セコンドである親父が対戦相手を「ゴキブリ」呼ばわりして、現役のこれまたボクサーである長兄が「(金)玉をつぶせ!」と反則を示唆したりするボクサー親子の事だ。
所詮、在京のキーテレビ局に作り上げられた「関西人Heel」なのだが、その役割を十分理解した上で報酬の為と割り切って、品悪い下衆な大阪弁で最悪に振る舞い、出来もしない大口を叩き、負けそうになったら反則技を連発し、親子四人で世間に対して斜めに構えている様な演技に徹しているのだとしたら、、、、これはHeelとしては凄い!プロ中のプロだと言えると思う。
演技に徹すると言うのは難しいものなのだ。我々の様な会社員も毎日が演技なのは百も承知、けどあそこまで演技に徹している人なんて居ない。まして彼等はHeelとしてのプロ。あそこまで親子でエゲツナイ演技を貫き通すのは、精神的にも、肉体的にもプロ中のプロ家族であると言えると思う。
だがしかし、、、、。親子共々、あの兄弟が本当にボクシングの世界でHeelではなくChampionを目指しているとしたら、、。正々堂々とセコンドである親父が言い渡して、長兄が介錯人であの次男坊は切腹すべき!でしょうね。
強くなりたいなら有言実行しか無いですからね、プロスポーツの世界は。
この日、私はドサで七時過ぎから大阪の事務所の近所の立ち飲み屋であの試合を見ていたのだが、、、。あの次男坊が負けた瞬間、立ち飲み屋の至る所で拍手が起こっていた。
私も関西出身者だが、言っておくがホンマモンの関西人はあんな「イチビリ」は嫌いやからね、ホンマ。
2007年10月11日木曜日
2007年10月1日月曜日
「うおつか流 台所リストラ術」 魚柄仁之介
女房が図書館で借りてきた中に面白そうな一冊があった。副題にはひとりひとつき9000円とある。飽食の時代、美食の時代へのアンチテーゼ。貧乏!ではない、楽しい貧しさ!いや或いは貧しさを楽しんでいると言うのか・・・今頃になってモッタイナイと言うのがもてはやされているが、この人はそんな流行とも関係なく、ライフワークとして貧しい「美食」を楽しんでいる。
で、、、影響されやすい我が家は、昨晩、本の通りに小麦粉100gに水40gを混ぜてビニール袋に入れてまず息子に踏ませ、次は私が踏み、そして最後は女房が踏みしめて饂飩を作り、早速夕食で試食。が、三人とも「余りコシがない」との結論に達して、今晩もまた今度は強力粉を50%程混ぜて、女房と息子でビニール袋を踏みしめて饂飩を作る。さすが強力粉、今度は讃岐どころか富士吉田の饂飩にも負けない「コシの有る饂飩」が完成。
女房に言わせれば、小麦粉原価1㎏100円で200gなので光熱費含め、一人当たり10円~15円程度でないか?だと!
うおつか流恐るべしなのである。
本来、貧乏は楽しいものなのだ。
少なくとも、ウチでは当分、休日は家族総出で踏みしめて饂飩!ってのが病みつきになりそう。
2007年9月23日日曜日
鯔の詰り
下期から単身赴任がほぼ確定。今まで湘南と兵庫の山奥の間を出張で対応していたが対応しきれなくなった。まあ会社としてはドサ手当てばかりで対応するより、月一回しか帰れない単身赴任手当てで対応した方が安く上がる等々様々な理由は有るだろうが、端的に言えば「人がいない」って事。もっと言えば鯔の詰りは・・・きちんと「組織としてあらゆる職種の人材のスキルセットをしておかなかったツケが回ってきたと言うこと」とちゃうんかい?と思う。連休初日の昨日、家族会議を開き女房の了解は得たのだが、何処に住むのか?生活費をどうするか?(財布を分ける?小遣い制のまま?)等々やってみなければ解らない点が多い。鯔の詰りは「単身赴任はやはり家族への皺寄せが一番大きい」と言う事。今までも単身赴任みたいな生活だったとはいえ、これから先を考えると半年が憂鬱である。
2007年8月23日木曜日
企業内ホームレスなのだ!
8/20(月)朝6:50に湘南の自宅を出て都内某所の事務所に出勤してから着の身着のまま。結局その日の内に仕事が終わらず翌朝3時に漸く一段落。昼から何も食っていない状態で一時間自席で座って仮眠を取っただけ。で、朝6:00発、希望の無いこの国の「のぞみ」一号で大阪に向かう。大阪の事務所で午後約5時間半の会議が終わって、またもや指摘事項を修正したら、日付は変わって水曜日の未明3:00であった。夜の夜中に開いている24時間食堂で恵比寿を一缶飲んで、その日は会議室をねぐらにして四時間の睡眠。これじゃぁまるで企業内ホームレス!で水曜日、またまた昼飯も食えず午後にまた約5時間の提案会議に嵌って、漸く帰りの「のぞみ」に乗れたのが20:00。で、漸くの夕飯が駅弁。月曜日家を出てから三日間着の身着のまま、異臭を漂わせながらも家にたどり着いたのは23:15。漸く落ち着いて自宅の寝床で眠るのにここまで64時間10分。
2007年8月18日土曜日
夏休みの思い出として


予てから招待券を貰っていたお台場の未来科学館に息子を連れて行く。招待券と言ってもBMWが開発した水素動力機関の販促を兼ねた未来館の催事のタダ券を、たまたま良く行くバイク屋で偶然貰ったものなのだが、まあ夏休みの折角の思い出を兼ね息子を連れて見に行くことにする。で、新橋から「うみほたる」に乗って未来館に向かう。

まずは、お目当ての水素動力機関のコーナーへ。BMWの宣伝の匂いプンプンなのだが、けどこの先、地球温暖化で車社会が生き残るためには水素燃料への早急な移行が必要だとは本気で思う。小手先の解決にしかならないハイブリッドやバイオエタノールなんかより水素社会への移行が必須だとも思う。それだけにBMWや松田の水素エンジンには期待している。課題はやはり液化水素燃料を保管し移動する為のタンクだ。バイクも早く水素難燃機関のバイクが出れば良いと思うのだが、、、課題は多い。


ところで、未来科学館には初めて来たのだが、生物科学から地球科学、そして物理学、工学、ナノからミクロまで、人文科学以外のあらゆる科学の詰まった博物館であった。水素機関を見た後は、他のフロアへ、こちらは深海探査船「しんかい」の実物。
畳一畳程のスペースに寝転んで何時間も潜って探索をするらしい。フィールドワークと言うのは本当に大変だ。



この日、一番息子が興味を持ったのがASIMO君。夏休みなので特別公開(演?)をしていた。ASIMO君が走る所なんぞ、子供たちは目を輝かして見ていた。未来科学館には全く前知識無く来たのだが、なかなかここは面白い!息子がもっと大きくなったらまた行くつもり。
2007年7月23日月曜日
忘れないウチに書いておく
筆不精だが、年初にまとめて読んで忘れかけていた記憶を半年後に遺して置く。 歴史の汚点を忘れたかの様な動きが高まる中、あの戦争を記憶から葬り去ってはいけない。

「昭和史」1926→1945 半藤一利著 平凡社
半藤一利は初めての作家。文春上がりなので保守論客だろうと構えて読んでいたのだが、実は至極リベラルな人だった。この人も戦中派だが、大体あの頃を経験した人達が多く鬼籍に入る中、遺された時間で少しでも多くの「歴史の真実」を後世に遺して行って欲しいと切に願う。話が逸れた。日中事変とかノモンハン事件とか、戦争なのに「戦争」と言わず「事件」だと我々が習ってきた様に、自国の負の歴史を改竄することが、最大の自国の歴史への冒涜であると言うことを、リーダーシップが無く改憲しか頭に無いボンボン宰相以下、戦後生まれの保守政治家は知るべきである。

「昭和史」1926→1945 半藤一利著 平凡社
半藤一利は初めての作家。文春上がりなので保守論客だろうと構えて読んでいたのだが、実は至極リベラルな人だった。この人も戦中派だが、大体あの頃を経験した人達が多く鬼籍に入る中、遺された時間で少しでも多くの「歴史の真実」を後世に遺して行って欲しいと切に願う。話が逸れた。日中事変とかノモンハン事件とか、戦争なのに「戦争」と言わず「事件」だと我々が習ってきた様に、自国の負の歴史を改竄することが、最大の自国の歴史への冒涜であると言うことを、リーダーシップが無く改憲しか頭に無いボンボン宰相以下、戦後生まれの保守政治家は知るべきである。
「十七歳の硫黄島」 秋草鶴次著 文春新書
細々と電気設備業を営む著者の現況を書いたあとがきを読み進むうち、不意に涙が止まらなくなった。生まれてこの方「あとがき」を読んで涙を流したのは実はこの本が初めてだ。群馬県の農家から海軍に入隊、その後通信兵として出征、赴任地は硫黄島。通信兵と言う特殊な職務上前線には出ず、只管後方でつぶさに見て書いた(描いた)記憶。米軍の大量の物量を以ってする上陸作戦に翻弄し、蟻の巣の様に張り巡らせた壕は友軍を受け入れる余裕すら無いと言う現実を知り、やがて米兵の上陸を眼前にし、玉砕の突撃命令が出て突撃の瞬間に手指を吹き飛ばす少年志願兵。そこからの「生きていたい」と言う彼の生への執着が、執拗で凄惨な敵の「あぶり出し」により地獄と化した壕の中で堪え、やがて捕虜として一命をとりとめる。涙が出たのはそんな戦争の記憶の上に、今の著者の平和な日常を思った時に不意に出た。平和な時代を生きていると言うことは本当に素晴らしい。人間一人ひとりに生きる権利は有り、国家に蹂躙される生などあってはならないとあとがきを読んで改めて思う。
2007年7月15日日曜日
台風一過
梅雨も明けやらぬ間に台風が来る。しかもこの夏最大級の台風。
と、聞いて前夜から内心ドキドキ。
二年ぶりの台風、どうなる事やらと気が気でない。
しかも、その台風通過中の最中に昨日封切で息子が「連れて行け!」と言って止まない
映画に私が連れて行くことになり、大雨の中、茅ヶ崎までクルマを走らすことになる。
その間にも台風が大荒れで大変なことになっているのではと思いながら二時間。
映画館を出て来てみると、すっかり雨は小止みに・・・
夕刻になると台風の目だろうか、、晴れ間も出た。
結局、進路はより東側を通ったので直接この地方には来なかった様だ。
いつもと違い、雲がせわしなく海上の台風を目指して流れていく様を何となく撮った一枚。
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