2009年6月20日土曜日

栄螺さん症候群

サザエさん症候群が激しい。日曜日はサザエさんどころでなく正午を過ぎると気分が憂鬱になる。23時頃に寝床に着くが中々寝付けず眼が覚めるのはいつも4時。そこからはもう眠れない。あの計画をどうしよう、この案件はまったく進捗していない、先週も何も進まなかったと自分に言い訳をしている内に朝が来る。月曜出勤時は非常に低血圧。出勤の電車の中では眠れもしないのに只管、眼を瞑る。まるで何も進まない現実から只管逃れるがごとく眼を瞑る。漢字で書けば瞑想となるが、そんな良いものではない。憂鬱度が一番高いのが月曜と火曜、火曜の夕刻の報告会が一番辛い。水曜を過ぎると憂鬱は幾分和らぐのだが、今度は帰れない日が続く。これでは単身赴任時代となんら変わらない。唯一の幸せは金曜日、夕刻から新橋で一献を傾ける時間。

2009年6月9日火曜日

反骨鬱士

我々の合言葉は「反骨」

今までの我々の半生の付き合いの中で思うこと=貴殿は「反骨」の鑑。

長いものには捲かれない。短いものには流されない。

世の中太古の昔から、抗して、抗い、現状を肯定しない事が変化を起こす

頼朝然り、信長然り、龍馬然り、佐藤中将然り、ゲバラ然り。

決して悩むことは無い。我々がついている。その名も「駅前」。

「反骨鬱士」

我々、駅前の誇り。

**待て!!次号**

2009年5月5日火曜日

清志郎 永遠に・・・



夜に腰掛けてた 中途半端な夢は

電話のベルで 醒まされた

無口になったボクは ふさわしく暮らしてる

言い忘れたこと あるけれど

多摩蘭坂を登り切る 手前の

坂の途中の家を借りて 住んでる


だけどどうも苦手さ こんな夜は

お月様覗いてる 君の口に似てる

キスしておくれよ 窓から


多摩蘭坂を登り切る手前の

坂の途中の家を借りて住んでる


だけどどうも苦手さ こんな季節は

お月様覗いてる 君の口に似てる

キスしておくれよ 窓から


作詞作曲 忌野清志郎


合掌!

2009年5月3日日曜日

「あきれてものも言えない」がもう聞けない

かねてより癌闘病中であった清志郎が逝ってしまった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090502-00000037-maip-soci

あまりにも早い死。
おいらが一番好きだった歌い手。

高校生の時。
「トランジスタラジオ」宜しく授業をサボって裏山で煙草を吸っていた事もある。
「雨上がりの夜空に」宜しく、意識の中では暴走していたこともある。
(妙に醒めていたので族なんかには興味は無かったが・・・)

だが、実は一番好きだったのは「どっかの山師が、俺が死んでるって言ったってさぁ・・・」の「あきれてものも言えない」だった。
青春なんて清く正しいものではないが、屈折した若くて苦いおいらのあの頃は清志郎のあの独特の歌声と共に在ったのだが、、、もう生であの声を二度と聞くことが出来ないのは悲しい。

残念、無念、そして合掌!!

2009年4月21日火曜日

来るGW

現時点でほぼ絶望的。
4/30~5/1は休めそうだが、女房からは早々に5/3、4の指定休のオファーが来てしまった。
何故だ?

実家では実父が寝たきり状態で予断を許さない様子。
実父にもまして憔悴しきっているのは実母で、田舎での老老介護の現実に直面している。
考えられるのは5/3~5/4で寝たきりの実父と実母の状況を確認のため帰省することくらい。
せっかくの蛸鍋だが、雲行きはかなり暗い。
嗚呼、あーぁ。

2009年4月6日月曜日

入学式

今日は上の息子の入学式。昨日は女房のお母さんもわざわざ息子の晴れ姿を見に来た。朝の10時と言う中途半端な時間から、下の娘も連れて五人で小学校へ行く。小学校は校門から桜が満開。今年は今日まで桜が持った。絶好の入学式日和。


式自体は10時半前から始まった。開会直後いきなり起立して例の歌を歌わされるのには閉口。あんな歌、一生に一度も歌わないと心に決めているので、、、ハッキリ言ってちょっと意外。何の疑問も無く歌える親子は或る意味幸せ。そして奴等に騙されている。

まあそんな事はどうでもよく、恙無く式は進む。
わが息子は1年1組。女房に言わせれば幼稚園時代の同級生ばかりだそうだ。
担任の紹介があり。式はあっけなく終わる。
けど、生徒の数が1クラス30人。1学年3クラスと言うのは私が小学生の頃に比べるとほぼ四分の一の規模。改めて少子化の進行を実感。

その後、教室に移動して親子でガイダンスを受ける。
息子の初めての学校の先生は綾小路きみまろ風の女の先生。
早々に心の中で「きみまろ」って渾名をつけてしまった。

正午頃に解散。
外は雲ひとつ無い晴天で、その後は校門付近で桜をバックに撮影会になったのは言うまでもない。

第一子の記念すべき門出の一日。

2009年4月3日金曜日

期変わり

結局「現場処理」の事業化は達成できなかった。懸念された約数十名が路頭に迷う結果にならなかったのがせめてもの救い。まあろくでもない組織であるが、ろくでもない結論を出す事もまた出来ないろうくでなし。

事業化自体、不発に終わるのはどうと言うことは無いが、旧知の仲であったY課長との意識の溝が残ってしまったのは、これまた自分自身がろくでなしであると言うのをひしと感じた今期後半ではあった。
そもそも仕事に対しての意識が違いすぎるのだな。Y課長は「現場マネジメント」を手がけてきた人だからね。人は何の理由で動いて、どんな理由でやる気になるのか、最大の成果を挙げるのは何か、そして結果としてのコストは?売り上げは?って事を延々頭の中でシミュレートできる人。

それに引きかえオイラは、現状把握も分析も全く出来ていないのに、どんな成果物にしようか?と結論を急いで自爆してしまう人。目先の問題ばかりに眼が行って問題の本質が見えていない人。結局「現場処理」上がりの人間なので対策は出来ても、原因調査が徹底的に出来ない人なのだと言う事が良くわかりましたわ。今まで皆オイラの事を誤解して「理詰めの現場処理人」と思っていた様な節があるが、それはアンタ等の見る眼が節穴だったって事。

いずれにせよ一から反省の今期後半。
特に一つのミッションを背負ってからのこの三月は、只管一日は長く、短い一ヶ月であった。
疲れた。