2009年、元日。毎年そうだが元日に一年の計を思う事は余り無い。投げやりに生きているつもりも無く、公私共にやらねばならぬことは沢山有るが、子供の時から年始早々に祈ったものが実現したためしが無いからだ。そんな事を努力不足と言うのだと誰かに吐いて捨てるように言われそうだが、幸い今日はそんな事を言う人は身の回りに誰も居ない。
午後早くに例によって実兄一家が自宅に去り、その後はこの時とばかりうだうだだらだらと昼間から麦酒を飲んで暮らしていたら、あっという間に夕方になる。
早くも今晩、夜行寝台で自宅に帰るので、午後の9時半には実家を出た。
この冬は温暖化を印象付ける暖冬傾向が激しいが、元日の晩は流石に寒い。田舎なので寒空に満天の星が降り注ぐ。
会社員の小倅故に、実の父母も都会生活からのUターン組であり、この実家に暮らしたことは一度も無いが、最近この先祖代々の地が自分のルーツであると言う思いを何故か強く感じている。(住みたい住みたくないという感情とはまた別の感情として・・・)
40代も半ばを過ぎれば、それまで隠れていた心理が顔を出すのかも知れない。
最寄り駅を15分ほど遅れ、22時15分過ぎに再び上り夜行寝台の人となる。
が、ここからが長かった。
岡山の手前で実家からのメールで自宅の鍵を見事に忘れてきたことに気付き、再び実家にUターン。
結局、1/2の6時過ぎの「のぞみ」で東進する羽目に、、、。
1/2の一番列車なら切符が指定でも残っていたのが不幸中の幸い。
波乱を予想させる幕開けではある。
2009年1月4日日曜日
とんだ大晦日(2008/12/31)
帰省二日目。早朝に夢の中で「助けてぇ、助けてぇ」と誰かが叫んでいる。ふと眼が開き「夢か?」と思ったのもつかの間、まだ「助けてぇ」と声が聞こえている。聞こえて来るのは実家の裏手で、慌てて駆けつけると誤ってモノの下敷きになった実母の姿があった。大晦日であり、しかも決して都会とはいえない瀬戸内の田舎であるが、当番医が市立の病院でありレントゲン医が居たのは不幸中の幸いだった。診察の結果は肩の骨折。手を吊り「情け無い!」と悔やむ実母を見ていると可哀想でならない。
一昨年の年末は実父が足を骨折、昨年は元日から実母が風邪で寝込んだ。
昭和の時代を共に生きてきた家族が皆、年齢を重ね確実に老いて行っている事を、毎年末に改めて感じるのである。
勿論、自分自身も老いて行っている事も・・・。
そんな事からか、この所、年末には確実に兄弟達が集まっている気がする。
昨日は夕刻に実姉が帰省し、この日の午後が実兄が四人家族で帰ってきた。
夕刻から鍋を囲んで、まあそれなりに賑やかな宴を開く。
それにしても、どのチャンネルを回しても大晦日のテレビ番組ほど今のこの世の中の低脳振りを反映したものは無い。
興味の無い格闘技か、何時までも変わらない「ド」の付くほど下らない演出の国営放送の歌番組か、「下町」と言う名の下らない漫才師の演出する「笑えない」バラエティ番組位しかない。
特に「下町」と言う名の下らない漫才師の番組は、甥っ子、姪っ子が見始めた事もあり暫く見ていたのだが、いい歳をした大人が内輪の貧乏芸人相手にイジメを繰り返している様を番組にしている様にしか見えず、少し見ただけで気分が悪くなった。
あんな「イジメ」を見て笑える人間は、或る意味「不幸」だ。
人を「イジメ」て視聴率が取れると言うのは、それだけ人心が殺伐としている証拠であり、誰もが日頃何かに虐められているから、更に弱い者を虐める(或いは虐めたい)という心理の現れだろう。
そんな事を思っている間に入浴の時間となり、普段は実母に風呂に入れてもらっている年老いた実父を風呂に入れる。
実父の背中を流したのは何年ぶりだか定かではないが、親孝行が出来るという事は、つくづく幸せな事だと今更ながらに思う。
そうこうする内に年を越した。
一昨年の年末は実父が足を骨折、昨年は元日から実母が風邪で寝込んだ。
昭和の時代を共に生きてきた家族が皆、年齢を重ね確実に老いて行っている事を、毎年末に改めて感じるのである。
勿論、自分自身も老いて行っている事も・・・。
そんな事からか、この所、年末には確実に兄弟達が集まっている気がする。
昨日は夕刻に実姉が帰省し、この日の午後が実兄が四人家族で帰ってきた。
夕刻から鍋を囲んで、まあそれなりに賑やかな宴を開く。
それにしても、どのチャンネルを回しても大晦日のテレビ番組ほど今のこの世の中の低脳振りを反映したものは無い。
興味の無い格闘技か、何時までも変わらない「ド」の付くほど下らない演出の国営放送の歌番組か、「下町」と言う名の下らない漫才師の演出する「笑えない」バラエティ番組位しかない。
特に「下町」と言う名の下らない漫才師の番組は、甥っ子、姪っ子が見始めた事もあり暫く見ていたのだが、いい歳をした大人が内輪の貧乏芸人相手にイジメを繰り返している様を番組にしている様にしか見えず、少し見ただけで気分が悪くなった。
あんな「イジメ」を見て笑える人間は、或る意味「不幸」だ。
人を「イジメ」て視聴率が取れると言うのは、それだけ人心が殺伐としている証拠であり、誰もが日頃何かに虐められているから、更に弱い者を虐める(或いは虐めたい)という心理の現れだろう。
そんな事を思っている間に入浴の時間となり、普段は実母に風呂に入れてもらっている年老いた実父を風呂に入れる。
実父の背中を流したのは何年ぶりだか定かではないが、親孝行が出来るという事は、つくづく幸せな事だと今更ながらに思う。
そうこうする内に年を越した。
2008年帰省(2008/12/29)
因みにこの日は21時過ぎに女房に最寄駅まで送ってもらい、横浜22:21発の「サンライズ瀬戸・出雲」に乗る。
夜が明けたのは岡山県内に入り、和気駅の手前辺りでなかったか?以前に比べると熟睡して、結局12/30朝の7:50に実家の最寄り駅に着いたのであった。クルマでも、飛行機でもいつも帰省は苦労しているが、今回は比較的楽な旅。そしてこれが今年最後の旅だった。よく考えれば単身赴任と言う、ある意味独り旅みたいな生活で年始を迎え、年の締めくくりもまた独り旅。こうして2008年も無事終わったので有る。
大掃除(2008/12/28)
ウチの家は本当にやる事為す事、無計画でゲリラ的なのである。家を建てるのもそう、車を買うのもそう。が、女房は女房なりに計画的にやっていると言う思いらしく、いつも休日は「頭を働かせて動け!」と息子ともども怒られているのである。で、今日も同じ事を言われるのは嫌なので、昨晩急遽決まった帰省の切符を女房子供の分の航空券の支払い、私自身の夜行寝台特急券の手配と朝から精力的に動き、尚且つその合間に散髪までして、帰宅後は息子のサッカーまで付き合ったのである。さて、昼食後は朝からの精力的な活動が祟って娘の寝たのを良い事に迂闊にもウトウトしていた所、女房から大目玉!を喰らう。「人が大掃除に忙しいときに・・・」と言われては言い返す術も無い。結局は、やはり女房の指示の下で息子の勉強スペースと玩具の整理をする。捨てるもの残すもの、あーでもないこーでもないと息子と二人で片付けていたら、結局日没まで掛かってしまった。それでもやはり掃除をしないのとするのとでは大違い。例え女房の指示とは言え「一日一膳」と言う気にはなる。こうして今年の我が家の年末行事も無事終わった。
2008年12月27日土曜日
立呑酒乱(新橋「龍馬)・・・(08'12/26)仕事納め
この日で今年も仕事納め。会社の業務は12/29もあるのだが奨励有給でほぼ90%の人間は休みとなる。この日は定時ちょい過ぎまで今年最後の打ち合わせをY課長と行って、いざ帰り。珍しくウマの合う(と言うかお互い立場は違えど、今までの旧知の仲なので)Y課長の出方を伺っていたが、また資料作りに取り掛かり始めた為、年末の挨拶をしてそこに偶然通りかかったミセスKYと会社を出る(とは言えその30分後に野暮用で事務所に電話した時にはY課長は帰っていたので、もしかしたら私と年末の納会をしたかったのかも知れないが・・・後の祭り)。今年の締めは新橋。だが今年いつもの納会メンバーのミセスKYは体調を崩し、もう一人のHTも風邪。よって、結局毎週一緒に飲んでいるKZとたった二人の納会になってしまった。で、これもまたいつも決まった河岸の立ち飲み屋、いつも二人で飲んでいるのでお互い何度も聞いたはずの話を肴に麦酒をジョッキ3+焼酎水割りを3でヘロヘロ。結局、こっちに帰ってきていつもの二人で納会は幕を閉じた。
立呑酒乱:http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13015271/
我々のいつもの河岸、常連となりつつある。
隣に立った若造から醤油をこぼされ、
店のブレーカーが飛んだからと言っては電気屋稼業までしても通いつめている。
カマトロ刺しと鳥竜田揚げが最高。焼酎は芋が多い。
立呑酒乱:http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13015271/
我々のいつもの河岸、常連となりつつある。
隣に立った若造から醤油をこぼされ、
店のブレーカーが飛んだからと言っては電気屋稼業までしても通いつめている。
カマトロ刺しと鳥竜田揚げが最高。焼酎は芋が多い。
2008年12月25日木曜日
とても豊かな生活やね
町課長様。いかがお過ごしでしょうか?日記拝見しました、山の生活は昔ながらの野に根ざした心豊かな生活の様子、日本のブータンと言う言葉が頭をよぎりました。多少誇張があるかもしれませんが(笑)。だが、本当にうらやましくとても同じ国に住んでいるとは思えません。それに対して私の住むこちらの生活はむき出しの欲望と、金まみれの商業主義と、そんな欲望と金まみれの毎日に疲れた数々の人生が錯綜する生活です。まあ望む望まざるに関わらず、結果的に自らがそんな生活に埋没してしまい無理やり「良し」としてしまっている事に情けなさを感じて止みませんなぁ。生年月日で趣味嗜好が似ている町課長様と私ですが、人生の節目節目の選択の結果で住む社会と環境が全く変わってくる事に人生色々と言う思いがしてなりません。人生とは面白いもんですね。あのテントを張らせて頂いた前庭も風の谷も今はすっかり雪景色なのでしょうか?またいつしか前庭で魚を焼く日が来ることを願っております。では年末の豊かで静かな山の生活をお過ごし下さい。
町課長様の日記はこちら → http://www5.diary.ne.jp/user/536955/
町課長様の日記はこちら → http://www5.diary.ne.jp/user/536955/
2008年12月21日日曜日
冬至に思ふこと
朝から女房が「春の風やわ。南風。変なの」と言って新聞を持って家に入ってきた。二階のデッキから外に出てみる。海のほうから山一つ越えて吹いてくる生暖かい南風。やはりこの季節に異常だ。一昨年位から、11月まで半そでで過ごせる程、夏が長くなっているのを肌で感じていたが、遂に今年は年の瀬の押し迫った師走の終わりにまで異常な暑さが続き始めた。本来であれば初冬の真っ只中である。通常の気候なら吹く風は北風、太陽は弱々しく存在感を無くし、所謂木枯らしになる筈であるが、全くそんな気配は無い。時間が経ち、日が高くなるにつれ日差しがまぶしい。これも二年程前から感じていた事であるが日の光が以前に増して何割か強くなって来た気がするのだが、そんな事を感じているのは私だけでは無いと思う。午後に所用で歩いて外に出れば、近所の観光地に向かう車の長蛇の列。閉め切った窓の中は果たして冷房が効いているのか、暖房が効いているのか?いづれにせよ、渋滞待ちで延々アイドリングでエンジン掛けっぱなしと言うのは考えた方が良いだろう。温暖化と聞いていつも私はビーカーの中で熱せられる蛙の話を思い出す。蛙は段々暖かくなっていくビーカーの中で温泉気分に浸っていたのもつかの間、やがてビーカーの中は熱湯になりやがて昇天してしまうと言うあの話だ。今は人類は熱せられている最中なのだと思う。錬金術拝金資本主義の破綻した世界の温暖化ガス排出国家米国が発端になった金融破たんから、巡り巡って日本のクルマ産業に大打撃が及んでいる。毎日、毎日自動車産業の派遣切りの話を聞かない日は無い。この年の暮れに住む所も無く路頭に迷う人は本当に気の毒ではあるが、その格差是正や失業対策を考えるのも政治なら、それを機に社会全体を自動車産業から他の産業、できればそれは石油社会からの脱皮を図る新エネルギーへの経済全体の方向性シフトを考えるのも政治の役割だ。渋滞の長蛇の列のクルマを見て、例えば2010年から全ての自動車メーカーは電気自動車しか売れないとか、全ての一次エネルギー供給会社はどんな田舎に至るまで電気スタンドを一軒は整備しないといけないとか(まあこれらは極論だが)そんなドラスティックな事をやらなければ、この問題は解決にシフトできないので無いかと言う思いを強くした。この妙に生暖かい冬至の日は、既に人類の破滅の始まりであるのであろうが。
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